Vol.800+30+130

日本を救世主の国へ

この二千二十五年の四月から、ひとりひとりが自らの小宇宙の救世主となり、この物語宇宙を卒業するための学校、セイバースクールがスタートすることになりました。
思えば、千九百九十一年に、何もないところから、たったひとりではじめた精神学という名を天から授けられた、私の仕事も、正式に、次の世代に教えることのできる知の体系として成立したということです。
精神学という言葉を聞いて、宗教を思い浮かべる人間は、さすがに少なくなりましたが、この種のアンチ・キリストの波動は、まだ、この人間界には満ちています。
イエスの十字架の恐怖というのは、この二千年間、光を目指すすべての人間の勇気を試すものとして置かれていましたが、救世主への道が、きわめて個人的なものになることで、人類は、この恐怖から解放されることになります。
真実を語る人間は、この社会の多くの真実を見たくない人間によって、十字架にかけられ続けてきたというのが、西洋文明、キリスト教文明の歴史でもあったのです。
日本は、例外的に、その恐怖から解放された土地でしたが、明治維新から、今日まで、その西洋文明の歴史観を受け入れ続けてきた結果、頭の中を、いまの世界を支配している人間たちが生み出した支配される側の論理に自らすり替えてきたのでした。それが、彼らが日本列島の主人となる道だったのです。
そして、この二千二十五年に、アメリカを支配してきた闇の勢力の本体が日本列島に移り、日本列島上で、ルドルフ・シュタイナーが予言した、光の勢力と闇の勢力による地球の主導権を争う戦いの用意が整ったのです。

このタイミングで、日本人の中から無数の救世主を生み出すことになるセイバースクールがスタートするのです。
聖書の時代が終わらなければ、この地上から戦争はなくならない、ということに気付いた人間が、セイバースクールに入れば、本当に神は、あるいは精神界は、その日、その時の後に、御国と呼ばれる時代を用意していることを知るはずです。
神は約束を果たされるのです。
聖書の時代が終わるということは、宗教の時代も終わる、ということです。
そのために、神、または精神界が、すべての宗教的儀礼も刷新していることも、このセイバースクールでは学ぶことになります。とくに、日本に伝えられてきた、まつりぬしという言葉に込められた、神をまつる、まつりの意味に人の世のまつりごと、と同時に、人の世を去るまつりごとも含まれることを知ることになります。
日本の伝統的な仏式のお葬式では、仏僧が、送られることになるご遺体に触れて、送りをすることはありません。同じように、死はケガレとする神道でも、死者の送りは、儀礼的なものです。その点、セイバースクールで学ぶ、送りは、送るべきたましいと語らいながら、この世の姿であった身体との別れを手助けし、光の門への道を歩むための道案内をするという、究極のまつり、なのです。
これらのことは、すべて精神界が用意したもので、私は、その伝達係としての役割を担ってきただけです。そして、重要なことは、このセイバースクールを主宰する精神学教育研究機構というものは、精神学を学んで、その能力を開花させた会員の方々が運営されるものであるということです。
そして、そこで教える人間は、教師ではありません。本当の教師は、その人間の主たる神だからです。精神学を教えるものは、先人であり指導者でもありますが、彼らは、後から来るものの方が優れている、ことを知っているからです。
とりあえず、私が天命によって精神学協会というものを、この世に生み出して、ここまでのハタラキで、セイバースクールの指導員たちを育てられたというところに、この道の正しさが証明されたともいえます。
この先にあるのは、日本人は救世主であるという、私が伝えてきた予告の現実化、つまり、その日、その時を卒業するものたちの時代ということです。いまのこの世は闇ですが、ひとりひとりの意志で、その闇は消滅するということです。

神紀五年(二千二十五年)四月三日 積哲夫 記

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