タケのバンクーバー通信

歴史から抹消してしまった国防と国益 Ⅶ
―日本人の国民感情が国益を損なう―

 今回の菅首相の退陣は、日本にとって正しい選択だったのか、すごく疑問を抱きながら見ています。安倍首相の体調不良によって突然の退任は、世界のトップニュースになりアメリカ・カナダでも緊急速報扱いで報道になりました。それだけ、日本の首相が世界に中心になって国際政治を動かしていたことは間違いありません。その姿を間近で見ていた菅氏は、重責とそのポストを引き継ぐ意味を一番にわかっていたと思います。官房長官に徹し表の花ではなく、裏方の仕事人として安倍政権を支えて、誰よりも首相の役職に就く人格でないのを知っていたと思います。突如の就任に、準備もなくその役職に就くことをためらったのは菅氏本人だと思います。それに加えて、臨戦態勢の中での国家運営は誰がやっても批判の対象になり、前例が通用しない政治は捨て身の覚悟がなくては出来ない職務だったと思います。
 去年の9月は、コロナの収束も検討がつかず「五輪」という大イベントをどうするのか? 武漢熱の収束と経済不安をどのように乗り切るのか、大きな課題ばかりが立ちはだかり国の運命が左右する分岐点で大変な状況でした。政治家としての名を傷つけないことを考えたら、首相職に就かないという選択もあったと思います。誰がやっても誹謗中傷や避難轟々は、避けられない状況の中での決断は相当な覚悟がいったと思います。
 国民の命をどう守っていくのか? 古い政治体制の中で限界を感じながら国家運営の難しさを、重々に理解していた首相だったと思います。任期中は、75年間国防や有事と乖離した政治体制の中で、未踏の戦いだったと思います。
 就任早々、メディアの誹謗中傷がはじまり、政治評論家と称する輩の餌食になり政策非難でなく、人格批判や息子の職業にまで及ぶネガティブキャンペーンをして政権降ろしをはじめました。その状況下でも、安倍元首相が出来なかった仕事を淡々とこなし多くの政治問題を解決していきました。たった1年で、政治主導によって日本の骨組みを変えた首相は、後にも先にも出てこないと思います。まさに政治職人としての手腕は、日本の政治を大きく変えたことは間違いありません。(高橋洋一先生は、ワンポイントリリーフ・ピッチャーに徹した首相だったと。)世論は、花がないとか首相の器でないと言い、政権を批判して仕事人としての首相の評価より、ポピュリズムを中心にした批判と政権否定をしてきました。しかし、本当にポピュリズムやメディアの言う国政批判が、問題の核心と国づくりの真実だったのか? 
 敗戦後、あまりにも左に寄り過ぎた国体は、どこの国の政治なのか解らないものになってしまいました。メディアや知識人をはじめ、日本独特のリベラル思想(他国のリベラル思想は、まずは自国の国益・国防が前提である。日本は、歪な平等・世界主義観になっている。)を提言として、ポピュリズムに乗っかった政治をしてきた結果、日本人を裕福になれない国にしてしまいました。その大きな流れを変えたのは、安倍政権であり菅政権でありました。それを、まったく報道をしないメディアや有識者(学者・評論家)は、何を柱にして言論活動をしているのか? 
 その結果、ポピュリズムを中心にした政治は、国力を落とし日本人自身が不幸になっていく仕組みを作り上げてしまいました。多くの有識者やメディアは、無責任な言論空間を作り国政はそれに引きずられて、子々孫々に大きな負を残す結果になってしまいました。いまの日本の姿は、歪な認識(オールドメディアが作った世論)と感情になびく大衆扇動(得体のしれない全体主義)によって、間違った国づくりをしていることに間違いはありません。今回、菅首相の様な人格を持った人が続けられない背景には、日本人の民族観の大きな変化があったように思います。本来、日本人が大切にしてきたモノは、「人のために働き」「権威を持っても驕り高ぶるな」という誇り高い精神だったと思います。今回の退任の背景には、歪な精神構造が世論となって出てきたと思っています。その歪な精神は、勤勉・勤労の人を大切にしない社会になってしまったと見ています。
 今回、野党やオールドメディアは、徹底的に首相を叩き武漢ウィルスの対応の悪さを指摘しました。(確かに、コロナ対応だけを見れば、不手際なことや政策が遅れたこともありましたが、世界レベルで見たら日本の対応は上手くいった方です。国政は、武漢熱以外にもやるべきことがあり、そのことについては、まったく報道をしない。)
 しかし、リベラル思想を背景に持った人たちは、理想とする政治家の姿は「働く政治家」であり「権力に執着しない政治」ではなかったのでしょうか。そうすると、菅首相は理想の首相だったと思います。それにも関わらず、なぜ政権を否定する報道ばかりをして支えるメディアが出てこなかったのか? いまの日本の問題は、事実を言論空間に変換するときに、いままで大切にしてきた社会観や世界観のガイドラインが無くなり、私利私欲の価値観になってしまったことです。
 「勤労精神」や「岩盤規制の解体」という視点でみると、菅首相の実績と「国づくり」は全く違うものとして見えてきます。
 携帯電話料金の値下げ・デジタル庁設置・原発の処理水の排出・学術会議の改革着手など、安倍政権下ではできなかった数々の政策を成し遂げていきました。どれも、各省庁の省益と民間が結びつき昭和・平成に作られた岩盤規制であります。それを1つ1つ丁寧に作り変えて、次世代の国益につながる土台を作ってくれました。しかし、いまのメディアの大衆扇動は、その政策には何も評価しないという偏った方向になっています。

 いま日本人が変えなくてはいけないのは、昭和・平成に作られた偏狭な政治観と歪んだ国家観を、真実を基に空間デザイン(「時間軸」と「情勢・世界秩序」)して国(自分の町・地域)を見る目を養うことだと思っています。それは、ワクチン接種においても見えてきます。(ワクチン接種には、賛否両論があり現時点では接種後の後遺症が明確にならない問題がある。ただし、今回は接種を前提とした行政の国防として書きます。)
 接種の不手際や行政の欠陥はどこにあるのか? メディアは、政権にだけに問題を押し付けて核心の指摘は何も言わず、問題には蓋をして世論誘導を作りました。本来の問題は、統治機関が時代に対応が出来ていない体制こそが問題で、省益や古い既得権の上に載って機能不全になっていることが要因です。メディアは、その真実を言わず政権を倒せば国が変わるという、稚拙な思考に日本人を洗脳して誘導をしました。それによって、多くの人は事実を正確に掴むことが出来なくなりました。
 菅政権は、就任早々にワクチン接種を1日100万人接種することを掲げ、政策を打ちだそうとしました。しかし、それに一番抵抗をしたのは厚生省であり日本医師会です。その事実を取り上げて、報道をするメディアはどこもありませんでした。その既得権の打開として、ワクチン大臣を作り古い既得権と権益をぶち壊すことからはじまりました。まずは、防衛省に大規模接種会場を設けて、厚生省の岩盤をぶっ壊していきました。そして、超法規的処置を出して歯医者にも接種が打てるような状況を作り職域接種をスタートさせて、医師会や看護師協会に対して抵抗勢力をぶち壊していきました。その事実をメディアは報道をせずに、表面的な政権批判と的外れな真実ばかりを報道して、政権を弱体化することばかりしてきました。メディアや知識人がしてきた行為は、許されることではありません。
 それに加えて、国政と地方行政の問題もあります。あれだけ多くの政治家(地方政治家も含めて)がいるにも関わらず、仕事をしているのか見えないことが問題だと思っています。一番住民に近い行政は、地方行政であり住民自治であるにも関わらず、統治機関として機能していたのか? その問題をメディアは、まともに取り合って改善提案をした知識人やメディはいただろうか。特に、今回の武漢熱対応において、小池都知事は多くの失態をしながらも、どこのメディアも取り上げず都政批判をしませんでした。多くの人は忘れたと思いますが、都に備蓄していた緊急備品(防御服・マスク)を中国に送ったのは、彼女の決定によるものです。都知事は、巨大な権力であり1200万人の住民を守る重責を持った権力者であります。その権力に対して、何も苦言を言わないメディアや有識者は、何をもって民主主義を定義しているのか? 非常に疑問に思いながら、彼らの言論空間を拝見していました。いかに、言論誘導(メディアが作り出すポピュリズム)と政治が国益(住民の生存権)と乖離していたものになっていたのかが見えてきます。
 今後、政治に携わる者は地方政治とて、国益と国防の観点から見なくてはいけないと思っています。地方議員にも求められることは、国を超えた枠で見る住民自治の仕組みが問われてきます。これからグローバル社会が進めば、Outbreak(公衆衛生・疫病)の問題や移民(他人種)の人権の問題が出てきます。前例主義に捉われず次世代の国づくりに仕組みを変えていくことであります。これだけ、情報が飛び交う時代に何を残して、何を作り変えて町・国を変えていくのか? これから求められる力は、そのグランド・デザインが出来る人であり、行動する日本人だと思っています。

 

―1人でも強い意志と持続することで世界は変わる―

 多くの日本人は気づいていませんが、そろそろ1~2年で首相が変わる日本の政治は変えなくてはいけないと思います。毎年、政権が変わり政治のトップが続かないというのは、国際社会は政治不安になっているとみなされてしまいます。それは、民主主義が機能していない未熟な国家として扱われ、国家観や民族観がない国民国家として下に見られます。国際社会は、1年ばかりで変わる首相と日本の政治に、信用と信頼を根付かせることはできません。国家間の話しになると、関係が薄いというのはすべてそこに繋がります。
 民間レベルで、この状況を見ると誰もが解ります。取引先の会社が、毎年担当者が変わり取引条件や価格が変わって、あらたに1から話さなくてはいけないとなると、その会社とは取引が難しいものになっていきます。それに加えて、1~2年で社長が変わり方針や取引内容が変わっていたら、信頼関係はふかくなっていきません。
 国と国の関係においても、その関係は全く同じです。なぜ、安倍首相が世界の中心にいて世界を動かすまでになったのか? 安倍首相の人柄もさることながら、長期政権であり国家観と民族観を持って国際舞台に立った首相だからです。オバマ政権下では、北米は中国に侵食され「日本は中国の属国になる」一歩手前まで来ていました。それは、海外にいると肌身に感じます。その大きな流れを変えて、民主主義陣営にアメリカを戻したのは日本の首相であります。世界は、中国のマネーになびきヨーロッパ・北米は中国を中心にした世界観に染まろうとしていました。たった1人の行動によって、国際舞台で対中国包囲網を作り世界の流れを変えていきました。その大きな転換は、安倍氏の力もありますが長期政権であるからできたことでもあります。国防と国益の視点から見ると、長期政権の重要性はそこにあります。もっと日本人は、長期政権の意味を認識する必要があると思います。
 令和は、さらに民族観と国家観が求められて、国防と国益が中心の時代に入っていきます。そのときに、日本だけがガラパゴスのような内政の権力闘争と古い既得権益に支配される国体では、コロナ後の日本の将来はありません。さらに弱体国家になり、二度と立ち直ることは出来ない母国になってしまいます。巷では、「突破力」とか「人間力」とか言われていますが、「1人でもやる」その精神だと思っています。自分の責任において行動をして、群れて集団に責任を委ねるのではなく、1人でもやり抜く力であり、不毛な集団(組織)から抜ける勇気だと思っています。決して難しいことではありません。誰もが、明日から出来ることです。現代の日本社会のように、即時性の時間軸で答えを見つけるのではなく、大きな時間の枠で考えると自ずと世の中が見えてきます。