タケのバンクーバー通信

歴史から抹消してしまった国防と国益 78
日本の民主主義を破壊した石破政権
石破政権の保身は、独裁政権なのか?

 
国際政治が壊れているのかで、日本だけが安定した経済と政治をしていたのに、岸田政権以降の日本政治は明後日の方向にいってしまい、さらに石破政権下では、自ら不安定を呼び込んでいます。この状況で、暴動が起きない日本人のお人好しの気質にも、問題があるような気がします。これだけ、国民が「石破政権の国づくりに反対」をして、選挙を介して国民総意が出ているにも関わらず、首相が退陣を決めない異常な事態になっています。加えて、閣僚や執行部のポストについている人たちの、進退を決められない人間性にも、問題があるように見えます。

 さらに不思議なのは、オールド・メディアや学者が石破政権批判をせずに、続投を黙認するような世論調査を発表していることです。
 これが、安倍政権であればメディアはこぞって、安倍元首相を個人批判して退陣に追い込んだでしょう。モリカケ問題を海外から見ていて、メディアと学者の異常な偏向報道と個人攻撃(政策批判でなく人格批判)は、常軌を逸していました。
 さらに、石原元知事の豊洲問題のときも、偏向報道と異常なメディアの過熱報道は、あたかも罪人のような報道をして、小池都政を持ち上げました。その結果、百条委員会まで開くことになりましたが、石原都政の問題は何も出てきませんでした。メディアは、煽るときには過剰な言論空間を支配して、自分たちの筋論でないと、結果は何も報道しないという世論誘導をして、言論統制システムを作ってきました。メディア主導の下で、国民世論という言葉に変換してメディア支配と国民扇動をしてきました。さらに最近のオールド・メディアは、「報道しない自由」を使って事実を抹消して、国民に正確な情報を伝えなくなりました。
 日本では、国益を守るために動いた人を、オールド・メディアや有識者は徹底的に批判をして、言論空間を支配し保守というレッテルを張って、潰すことを平気でしてきました。そこには、正義の判断基準はなくなっています。今回の石破政権になってからメディア報道を見ていると、まともな言論が出来ない日本の姿が見えるのです。衆議院選の大敗のときも、メディアは沈黙をして言論空間を閉ざしてきました。そして、日本全体を閉塞感に包み政権批判をするメディアは、ほとんど出てきませんでした。今回の参院選の結果においても、民意が明確なJustice (正義・決定)を出しても、大手メディアは自社の意見を明確にしていません。本来、表現の自由を商売にしているメディアは、権力者に対して共同で声明を出して、政権批判をしてもおかしくありません。それすら、出来ないメディアの異常事態に、日本国民は意思表示をするべきです。
 
 今回、日本社会を見ていてすごく不思議なのは、リベラル思想を背後に持った政権には、言論人は何も意見を言わないという、歪な民主主義になってしまったことです。「リベラル=民主主義」というロジックが、石破氏によってリベラルにも独裁政治(権力の私物化)が出来ることを証明してしまいました。そして、この現象についてメディアも有識者も黙認して、時の過ぎることを待って、責任放棄をしている言論結社になっています。さらに、そこに携わる若い人たち(20~30代社員)も強いものに巻かれて、日本人の価値判断でJustice(正義や判断)をしなくなりました。ここに、権威主義と保守を否定するリベラリズムが合併して、ゆがんだ社会になっています。
(日本のリベラルは、独特の世界観で本当のリベラリズムではありません。西洋のリベラリズムは、新しいモノに作り替えていく力があります。古くは、ピューリタンリズムもそうです。日本のリベラルは、保守を否定すればなんでもリベラルだと信じて、経済システムや社会の土台が明確になっていません。ここに大きな違いがあります。)

 安倍晋三氏が凶弾に倒れてから、敗戦後の知識人の資質が、あまりにも軽薄で、次世代には通用しないことが証明されつつあります。かつては、大手メディアは権力の私物化を糾弾してきました。権力者に対して、常に国民目線から権力や政権を批判して、曲がりなりにも国の繁栄を志した報道をしてきました。しかし、岸田・石破政権になってから、権力の乱用をしていても、一切過熱報道や世論を巻き起こす言論活動をしなくなりました。これだけ石破政権や岸田政権は、権力の私物化をしているにも関わらず、「報道しない自由」を使い事実をもみ消して、権力の手先として言論統制をしています。メディアの大義は、国民に事実を伝える「知る権利」の保証です。その責務を果たさなくなった時点で、自分たちの存在意義を否定していることになっています。
 
 さらに不思議なのは、石破政権の続投を呼び掛けているリベラル支持者です。増税と健康保険の値上げをして、庶民生活を圧迫している政治を擁護しているリベラルリストの意味がわかりません。
彼らは、権力の乱用や私物化を糾弾してきたにも関わらず、石破政権に対して何を肯定しているのか? 
 まったく整合性がつかなくなっています。彼らの思考回路は、敗戦後のGHQによって洗脳された思考と、「リベラル=民主主義」という固定観念が、価値判断が出来なくなっているとしか思えません。どこかで時代が止まっていて、過去に生きている感じがします。

 いま、日本のエスタブリッシュは、海外に出ていない人がグローバリズムを謳い、海外で差別を受けていない人が、綺麗ごとしか言わない人が中心にいることです。そして、自分たちを知的でインテリだと信じて、民族間の現実をみていないことです。彼らが異文化の中で、民族の生存競争の厳しさを味わい、異文化の衝突の中で生きていく体感があれば、「お花畑の思考」にはならないでしょう。

 今回、ほとんど無名の大臣が日米交渉を担当しましたが、海外の交渉ごとや国家をかけたDealは、ド素人に通用する世界ではありません。米国は、学術レベルでも経験も積んできた外交のエリート集団が、プロとして交渉にあたります。それに対して日本は、アマチュアの国家観もない人が出ていって、国益をかけた勝負をしています。普通に考えたら、結果がどうなるか誰でも解ることです。
 石破政権が狂っているのは、国家間の最高責任者が国益をかけた戦いに、ド素人を投入させて自分が最前線に立たないことです。そんな単純なことさえ報道しない日本のメディは、質の劣化なのか権力の手先なのか解りませんが、日本民族の利益になっていません。この一連を見ても、政府とメディアの結託(報道しない自由)が日本の国益には繋がらないことは明らかです。

他力本願から自力本願へ <国を持つ責務を知らない日本人>

 いまの日本の政治を考えるときに、石破首相は突然出てきた人でなく、日本の民主主義の手続きで生まれた、正式の首相であることを認識しなくてはいけないと思います。だとすると、日本の政治システムは対応出来ていないことでもあります。この戦後体制のシステムは、民族の繁栄する政(マツリゴト)になっていません。どこかで、変えていく必要がります。
 加えて、教育レベルから国家観や民族観を学んでいかないと、日本人の生き方とは違う首相を生んでしまうことになってしまいます。戦後すべての悪の集大成が、岸田・石破政権によって日本人の投影になっています。
 さらに、世界情勢はいつ大戦が起きてもおかしくない状況になっています。国家のトップは、有事になれば自衛隊の生命を握る指揮官になります。
 その時に、石破氏はその命と魂の重さと重責に耐えられるだけの胆力があるのか? 
 
 いま起きている日本の政治状況は、国会議員・高級官僚・学者は有事を想定したグランド・ストラテジーを誰も持っていません。石破首相を見ていても、トランプ大統領との外交交渉でアメリカの軍事オプションや、日本の有事については話していません。これからの日本の政(マツリゴト)は、いままで皆無できた軍事オプションを、政策に入れていかなくてはいけなくなります。国民の血で、国護りをしなくてはいけない時代が10年以内(早ければ5年以内)に来ます。その時に、法整備も整っていなければ、指揮官としての采配の覚悟を持っていない人が日本のトップになっていれば、日本は亡国に突き進むだけです。

 今回の選挙は、「石破首相だけが悪い」という話しではなくて、彼を神輿に担ぎ上げている与野党とエスタブリッシュの古い体質に問題があります。特に言論人は、有事になれば言論を変えて責任転嫁をし、政治家だけ押し付けて逃げていくでしょう。加えて、アカデミック界も同じだと思います。いまの与野党の政治家を見ていて感じるのは、市議会レベルの政(マツリゴト)をしていて、党利党略しか考えず国政をしている人が少なすぎることです。(市議会を馬鹿にしているのではなく、国政と地方政治は役割が全く違うからです。)今回、石破政権が誕生したことで、戦後の闇が表面化したと思っています。この80年の膿を取り除かないと、日本の「国づくり」を取り戻すことは出来ないでしょう。
 今回、参政党や保守党やチーム未来が躍進したことは、「新しい日本の政治の幕開け」と「未来の光」だと思っています。(その反面、自民党の保守層が落選してしい、リベラル色が強い政党に衣替えをしてしまいました。)
 古い既得権と体制を壊して、民族観と国家観を取り戻す体制作りが急務です。いまのリベラルを推奨する人たちは、北米やヨーロッパで何が起きているか現地を歩いて、現場を見る必要があります。国会議員で、エッフェル塔の記念撮影をする時間があるならば、移民の集落や集合住宅に行って、民族生存競争の前線を見ることから始めるべきです。その現実からしか日本の未来は見えてきません。これは、学者にも言えます。中途半端な机上の理論では、次世代の英知にはなりません。
 2025年から、各地で国盗り合戦と民族生存競争が激化していきます。その時に、自分の保身(独裁政権をした人)のために、グローバリズムとリベラリズムに従った国のリーダーは、国家を消滅させます。それは、いままでの歴史を見れば解ることで、ヨーロッパや北米でいま起きていることです。いま日本の最悪な状況は、日本の国益を守る最高の責任者がその現実を解っていないことです。

Takefuyu|note