光文書

(ヒカリモンジョ)

Vol.800+30+72

天之御中主の復活

この二千二十四年の七月に、日本国では新紙幣が発行されます。私の見立てでは、その時までに、天之御中主が出雲で復活し、それが合図となって、東京、政府の崩壊がはじまることになるようです。
その準備が、嵯峨天皇の復活であり、桓武天皇の復活であり、早良親王の復活だったということになります。その背後には、現在の東京は、平安京の後継としては精神界において認められていないというものがあるのです。それと、天皇は百二十六代で終わるという予言めいたことも関係しているのでしょう。そもそも、明治時代に天皇が江戸へ行って東京と名前を変えてはいますが、遷都された訳でもないのです。
平安京を企画した主役のひとりである、和気清麻呂が、大和川の流れを変更する工事に失敗した名残りが、現在の大阪の天王寺公園の茶臼山の隣にある池だという説もあり、たぶん、日本の都の移転の時には、これらの精神界のデータが、表に出ることになります。つまり、日本が復活するためには、何らかの形で、現在の東京政府が倒れ、大阪の地に隠された何らかの都の秘密が開示される必要があるらしいということです。その大阪の隠された何かと、松下電器というものが、大阪の門真から本社を移さなかったことには、ある意味で関連性があるということです。
今は、何も見えてきませんが、それらの事象の背後には、歴史を貫く、一本の線が、明確にあることを、やがて、人間は理解することになります。
関東大震災の時、日本がいち早く復興できたのは、日本の経済の中心が、まだ、大阪にあり、その大阪からの資金や物資の供給があったためだといわれています。いまの日本で予測されている地震と津波、または、富士山噴火などの大災害で、首都圏が大きなダメージを受けた場合は、中京圏や関西圏の経済力では、すでに対応不可能とされています。そうした危機への日本人の潜在意識を活性化させているのが、二千二十五年七月問題で、多くの人間の意識が、そこに向けば、それらの事象も現実化するリスクも高まります。

どちらにしても、いまの日本は、二千二十五年に、大きな転換点を迎えるのです。
それらを用意してきたのが、実は日本の精神界であったということが、これから、人知の領域に移る時代がはじまるといってもいのです。それは別ないい方をすると、いまの日本の無神論由来の影響力は、二千二十五年に死に向かうということです。
無神論を信じて、行動してきた人間が、これから死に、死後の世界から生きている人間にSOSを発信する時代のはじまりともいえるでしょう。
死んだら終わり文明の死は、この日本ではじまるというのが、精神界が用意した日本の仕組みの中核にあるものなのです。そして、それは、すでにはじまっていますが、無神論と一神教の暗黒面から逃れて、この日本列島に集まり、精神学を学び終えた世界各地の神々の帰還を達成させることになります。
聖書の時代が終わり、無神論の時代が終わった時に、最後の審判の時代がはじまるということです。
私が伝えているように、最後の審判は、ひとりひとりの小宇宙の中ではじまり、それが、外宇宙全体へ拡散していくよう、プログラムされているものであり、地球だけの問題ではないのです。
天津神、国津神というものに続いて、この日本で、宇津神という神格が出現したのは、この最後の審判の宇宙化というものに対応するものなのです。そして、日本神話の原点というべき神、天之御中主という存在が、歴史の中から復活する日が近づいています。現代の科学のビッグバンに対応する神格が、天之御中主だということは、日本人なら普通に理解できるでしょう。そのビッグバン理論が、ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡によって、役割を終えるこのタイミングで、天之御中主の神が復活するのです。それが、出雲と大和の国譲り神話の役割の終わりを意味すると知れば、天皇百二十六代説には、ある種の根拠があるということになります。すでに、この地球は、その段階に到っているのです。それに対応できない文明も国家も、もうすぐ役割を終えるということに気付く時が来ました。

神紀四年(二千二十四年)二月二十二日 積哲夫 記