光が闇に勝利して、神紀元年が宣言され、この光文書の年号は、いま神紀四年となっています。
二千二十一年から、あと半時ということは、二千二十六年ということです。
その年、二千二十六年の年頭には、この光文書も、千回で終了することが決められています。つまり、その時までに、この光文書の役割も終わるということです。
それに先立つ、二千二十五年の八月十五日には、日本列島が取り戻され、このクニの敗戦利得者の時代の終わりがはじまります。
明治維新の利得者は、敗戦によって、その地位を追われましたが、今回も、同じような人間界での追放劇になるのか、精神界の関与によるたましいの裁きになるのかは、私には知りようもありませんが、それは起こります。
これは地球規模でも起こるのです。
いまの地球上に溢れている膨大なマネーは、そのルーツを探れば、聖書における、イエスを十字架に送った神殿前の両替商に到るのです。それらの利得者を、天が放置することはないでしょう。もし、これらのことが起きるとすると、その影響は、日本の比ではなくなります。たぶん、天は、あらかじめ、この日本列島で、それらのことを試されることになるはずです。
なぜなら、日本列島は地球の縮図と定められているからです。
ここまでのことを明らかにしたのは、はっきりと終わりが見えていると、天が判断したのだと私は考えています。
長い旅でしたが、約束された通り、「ひと時とふた時と半時」ですべては成就し、人間のたましいは、一神教のくびきから解放されることになります。
人間が、一神教のくびきから解放されるためには、精神学の知識と、ここに残された、精神界の存在の証が絶対に必要だったということでもあります。
いまの世界を現実的に支配しているパワーは、アメリカにあり、日本はそのアメリカの属州、または属国として、八十年の時を過ごし、この列島上に、イエスを十字架に送ったものたちの背後にいた、闇の王たる存在を迎えて、この光と闇の戦いの物語を終わらせるという壮大な物語の記録が、この光文書であり、「最終知識」という書であったということです。
聖書があり、二千年の人間の歴史があり、「最終知識」があり、光文書があって、それらの情報はこの宇宙の中にすでに置かれています。ひとりひとりの人間の脳内に、この宇宙の正しい姿が投影されれば、ひとりひとりの小宇宙の中での最後の審判は、自律的に進行していくことになります。人間が、「私は妬むものである」という存在を克服するためには、この自分自身の物語を読み終える必要があるということを、忘れないでください。
神紀四年(二千二十四年)十一月二十八日 積哲夫 記