光文書

(ヒカリモンジョ)

Vol.800+30+76

新しき日本

この三月十七日に、出雲に呼ばれ、アメノミナカヌシをはじめとするコトアマツカミ五柱が、復活されていたことを確認したので、今回はその報告です。
出雲大社の高層神殿の証拠となる柱が発見されたのは、西暦二千年のことでした。
その神殿の内部は、右の奥に大国主の御神座があり、左奥には御客座として別天津神五神がまつられています。
大国主は、国津神とされますが、国譲りをした条件となった、杵築の高層社殿では、現世の人間が神としての大国主をまつり、神の座にいる大国主は、お客様としてのコトアマツカミをおまつりしていたという構図が見えてきます。その意図するところは、やがて、コトアマツカミがお帰りになる時の用意を、大国主がしているということです。それを示すのが、コトアマツカミの御客座は、西を向いており、その西には、神有月に日本中の神々が上陸されるとされる稲佐の浜があるということです。それは、西に去った神々が、西から復活するということです。
太陽は東から出て、西に沈みます。これが示すのは時間であり、過ぎ去った過去から、何者かが復活することは、常識ではあり得ません。しかし、精神界は、くり返し、その時が来ることを告知してきました。そして、今回、起きたことは、日本の建国神話の中に、聖書の時代が終わった後に、人知が宇宙に出て、この物質宇宙の創造に関する知の領域に至った時の用意までが含まれていることを意味します。
話は変わりますが、出雲国風土記には、天神千五百万、地祇千五百万という神々がいたという記述があります。かつて、神々は生きた人間の数よりも多くいたのです。その神々は、人間と違って死ぬことはありません。

コトアマツカミが復活したということは、それらの神々も復活したと考えるべきなのです。
私は、かつてあの世と呼ばれた霊界が、人間界に重なったということを報告しました。その後、神界も魔界も、同じように人間界に重なりましたが、その事象の意味するところは、精神界という領域が人知に含まれることになったということです。
それは、人間の知のデータと精神界のデータが重なることで、この宇宙の誕生の秘密が開示されることになるということでもあります。
一神教の時代の科学的到達点は、ビッグバン理論だったというのが私の認識で、そのビッグバン理論では説明できない宇宙の姿を、ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡が人間界に教えたことで、この日本神話のコトアマツカミの復活に繋がったというのが私の理解です。これによって、この物質宇宙が、私が伝えている物語宇宙であるということへの理解が、一気に進むはずです。さらにいうなら、今回のことで、天津神と国津神のルーツは、同じところにあることもはっきりしました。それらは、物語のために先に地上に降りたものと、しばらく天に留まって地上を見ていたものの差があるに過ぎません。すでに、天はなく、すべてが地上というか、人間を含む地球上の精神界の領域に移行中ということです。ここで移行中という言葉を使ったのは、この物質宇宙には、この地球の精神界に移りつつある意識体がまだ残っているということです。しかし、それらもアメノミナカヌシ宇宙の中の意識体なので、やがて、集まってくることになります。
私の頭に降りてきた、アメノミナカヌシ天皇という言葉は、日本の天皇のことではなく、この宇宙の天皇ということのようです。人間という意識体の容器では、その主導権を、光と闇、神と悪魔、それら相反するものが争っていますが、それはひとりひとりの小宇宙の話であり、外宇宙では、この物語宇宙のはじめのものであったアメノミナカヌシの復活で、その物語がこの日本で読み終えられることになります。はじめに、すべての物語の種子が用意されていたとすれば、すべての小宇宙の物語のルーツは、アメノミナカヌシの中にあったことになります。これによって、神界語は日本語であり、この物語宇宙の精神界のデータは、どうやら日本語脳によってのみ解き明かされるということに人間は気付くことになるのです。
日本の仕組みの究極が宇宙の解明にあったと知ると、科学と精神界の関係も大きく変化するはずです。これから、日本語の時代がはじまるのです。

神紀四年(二千二十四年)三月二十一日 積哲夫 記