光文書

(ヒカリモンジョ)

Vol.800+30+67

ブッダの悲しみ

この二千二十四年の一月のある日、宇宙の神格について探査していた私の意識上に、約二千五百年前に、地上を去ったブッダからのメッセージが届きました。この宇宙の外への旅を試みていた、その結果報告のようなものだと考えてください。ブッダという意識体は、この物質宇宙の外に出て、外側から宇宙を見たいと考えたようで、その長い旅の先にあったのは、この宇宙の外側にも同じ様な宇宙があって、この宇宙と同じようなものが無数に存在しているということを伝えてきたのです。つまり、よく知られているように、この宇宙には並行して存在している宇宙があり、何らかの方法を使えば、そこへ行くことは可能なのかもしれないということです。しかし、その宇宙に行っても、この宇宙の問題を解決した宇宙ではないということです。この並行宇宙の話が、今回のテーマではなく、ブッダという意識体が知った意識エネルギー体の出口は、この宇宙のはじまりの前と終わりの後にしかないということでした。
いまの地球では、最後の審判が進行中ですが、そこで審判されるすべての意識体にとっても、はじまりの前と終わりの後しか、出口はないのです。
その終わりの後という正しい出口にエントリーする、いまのところの唯一の道が、人間の身体に宿って、精神学を学び、たましいの物語を完成させることなので、ブッダですら、その道を通らずに、この宇宙を卒業する道はないということなのです。

そこに、大きな悲しみが生じています。
仏教は本来、その道を示す教えだったからです。
これらの情報が、私のもとに届いたのは、いまの日本列島の地下に形成されつつある巨大なブラックホールとでもいうべき、地獄のエネルギーが、どのように処理されるのか、あるいは、その主宰神が、なぜオオモノヌシなのか、を考えていた時でした。そして、私は納得したのでした。
オオモノヌシは、この物質宇宙の主宰神であるとされます。そして、物質宇宙というのは、物質化するべきエネルギーがあって生まれます。
最後の審判後の暗黒に残されたエネルギーは、次の物語宇宙を創造されるために使われることになるのです。
現行の物質宇宙は、約百三十八億年前に生じたビッグバンによって生まれたとされますが、この知に到るまで、その時間を要したということになります。
暗黒面というか、地獄に落ちたたましいは、この宇宙より、もっと邪悪な宇宙の物語をくり返すという運命を待つことになるのです。ここで、すでに報告した、地球上にいる十四万四千人の、たましいの物語の補足をしておきます。
この聖書で約束された数字は、聖書の神の物語を卒業したたましいのようで、現在の地球には、たましいに聖書の物語を刻印されていないものもいるので、地球全体で、この数ということではないということのようです。
ただし、目覚めた人間は、千人に一人ぐらいの割合であることに変わりはないので、光に向かうものと、闇に落ちるものとの戦いが、地上で起きることはないでしょう。
もし、いまの地球で、そんなことが起きれば、光のものは一人も生き残ることはできません。そんなことが生じない時空として、いまの日本列島が用意されたということです。
あなたがもし、いまのアメリカの国民として、光のものとして生きる選択をしたなら、日本で生きる数倍もの困難に直面することになるはずです。それよりも、大きな困難に直面する国家や地域が、この地球上のほとんどをしめています。
そんな中で、いまの日本は、精神的自由がある程度、保証され、思考し行動する自由がある、天によって用意された土地なのです。ここから、そして、日本語からしか、次の地球の人間社会のモデルは生まれないということに、これから、多くの人間が気付くことになります。その先に、ブッダを祖とする仏教が想定したミロクの世が生まれるはずなのです。この地球のプログラムは、そうなっています。
しかし、それを阻止して、自分たちの支配する地球のシステムを完成させたい何らかのパワーを持つグループも存在し、その閉鎖された人間意識のエネルギーに覆われたいまの地球を、宇宙から見ているブッダの悲しみの深さを、人間は知るべきです。その悲しみの先にしか、希望はないのですから。

神紀四年(二千二十四年)一月十八日 積哲夫 記