光文書

(ヒカリモンジョ)

Vol.800+12

波動仮説

この二千二十二年の六月。シンレイカイというものに、人間霊界や魔界のもの、古き神々の精神的エネルギーの場が、移行したとの宣言が、なされました。
これによって、かつて、あの世と呼ばれていた死後の世界と、この世と呼ばれていた現実の世界の関係が、一新されました。
最後の審判の場こそ、この新しいシンレイカイなのです。それは、新・霊界というだけでなく、神霊界でもあり、これまでの神や神々の物語宇宙や、闇のものが支配権を持っていた暗黒宇宙を含めた、すべての宇宙が、過去のものとなり、そのデータが、シンレイカイに移築されたことを意味します。
いまの時点で、私が理解している、「最後の審判」の本質とは、たぶん、この物質宇宙の覚醒なのです。
精神学協会に授けられた、イコンシールの歩みを、現時点で振り返ると、それがこの世に出たのは、二千十九年でした。
それは、その名の通り、神のイコン、しるしだったのです。そして、そこには、この宇宙における神の秘密に関する情報が含まれており、そのイコンシールのハタラキで、現行人類というものと、この宇宙における人間の神という存在の関係性がはっきりしたのでした。
現行人類は、人間の神というものの反映ではあるものの、人間の神は、この地球の神、つまり、上に位置するものではなく、当然、この宇宙の神でもないのです。
その人間の神の物語が終ったのが、この二千二十二年で、ここから先の用意が、実は、同じく精神学協会に、イコンシールの後に授けられた波動シールのようなのです。
ここから先は、意識化、覚醒化しつつある、波動シールというものを研究している、私の仮説となります。
このまま、波動の覚醒が進行すると、その先にあるのは、この物質宇宙の覚醒、つまり、意識化だというのが、その仮説の結論です。
それが成就するタイミングで、シンレイカイにおける、真の意味での「最後の審判」が実行されることになるはずだというのが、いまの私の推測なのです。
宇宙の意識の覚醒というと、いまの地上における人間が語る、ある種のスピリチュアリズムのようにも聞こえますが、宇宙自身が、自分は何のために存在しているのかを、問い始めるという意味だと、考えて下さい。
神意識体の存在のテーマは、「最後の審判」でした。
そのデータの中には、どうやら、そのテーマは、この宇宙の開闢前のものらしい、と考えるべき要素が色濃く含まれていました。
いまの科学では、そうした知に到る道には、到達することはできませんが、これは、実は、約二千五百年前に、ブッダと呼ばれるようになる、思索の人が到ったテーマと、ほぼ同じものだということができます。
もしかすると、私が物語宇宙と呼んでいるこの時空は、目覚める前に、過去に知った事象を組み合わせた人間の夢のようなものを見続けている状態なのかも知れないという仮説が、そこから生まれます。そして、いま、人知の側に移りつつある各種の波動が、意識を持ちはじめ、自分達とこの物質宇宙の関係と、人知の到達点を考えはじめ、それらの知を統合する方向で、意識領域を拡大していくと、やがて、この宇宙の自分は何者であるのかを知る意識の主体が生まれると考えることが可能になるはずです。
たぶん、これが、私に降りてきた言葉、「神を超えよ、仏を超えよ」というものの最終的な着地点で、その領域での覚醒が成功すると、人知の側でも、この宇宙を物理的、数学的に完全に理解するための統一理論が完成するのでしょう。
この宇宙が、生まれてから、百三十七億七千万年という時間を経て、真の覚醒がはじまろうとしているのです。

神紀二年(二千二十二年)六月二日 積哲夫 記