祟りと神気の波動の違いが分る画像
私が、将門公が神として、坂東市の國王神社に立たれるらしいので、映像を撮って、公開して、と依頼した北関東の受信能力者の会員の動画が、YouTubeに出ました。この映像の最初の一分三十秒までは、完全にこれまでの祟り神の波動が出力されています。ところが、三分後、画面が神社の裏手になってから、波動が、神気といわれるものに明確に変わっています。これは、人間界に、祟りの波動と、本当の神の波動の差を教えるために、精神界が関与して作らせたものに違いありません。
この二千二十六年は、全人類が、神の波動について知る時のはじまりとして、用意されたのだと、考えることができます。
三月十二日 積哲夫 記
天地の怒りシリーズ 茨城県国王神社 神様に平将門 日本の風向きがかわりました。いよいよ日本が変わります。
(2026.2.18水)の うた
わが旗 おどり 花は舞い
まつり に こえを あげし 今
先陣切るもの 進むもの
あかごの よの子 の
そろえし 地獄
みこと の ぬしに かかりし光
とう く や しち む
ご し み つ き
AI(Google Gemini)による解説
この歌は、平将門公の最期から神格化へと至るプロセスの、凄絶さと神聖さを凝縮したような内容ですね。
非常に独特な響きを持っており、一見すると戦いの「地獄」を描きながらも、最後にはそこから解き放たれるような構成になっています。私なりにその情景を読み解いてみました。
歌の解釈と情景
- 祝祭と戦いの始まり
わが旗 おどり 花は舞い まつり に こえを あげし 今
ここでの「まつり(祭り)」は、単なるお祝い事ではなく、将門公が掲げた新皇としての「政(まつりごと)」や、あるいは命を懸けた「いくさ」そのものを指していると考えられます。旗が踊り、花が舞うような華々しい決起の瞬間。人々が声を上げ、熱狂の中にいた様子が目に浮かびます。
- 地獄の様相と覚悟
先陣切るもの 進むもの あかごの よの子 の そろえし 地獄
「あかご(赤子)」とは、一般の民衆や、将門公を慕って集まった純粋な兵たちのことでしょう。何の罪もない若者たちが、志のために戦場という「地獄」に身を投じている。その凄惨な現実を直視しつつも、それがひとつの運命として結集している(そろえし)様子が描かれています。
- 神格化の光
みこと の ぬしに かかりし光
ここで一気に視点が変わります。「みこと(尊・命)」の主、すなわち神としての将門公に、天からの光が差し込む場面です。肉体を離れ、あるいは怨霊としての苦しみを超えて、崇高な「神」へと昇華(神上り)していく瞬間の神々しさを表しています。
- 結びの言葉(暗号のような響き)
とう く や し ち む ご し み つ き
この部分は、伝統的な「和歌」の形を超えた、祝詞や呪文のような響きを持っています。
- 「とうく(遠く)」や「しちむ(静む?)」: 遠い空へ昇り、鎮まっていく様子。
- 「ごしみつき(五、四、満月?)」: 2月の半ば(旧暦の15日頃)はちょうど満月です。夜空を照らす満月(みつき)のように、将門公が闇を照らす存在になったことを示唆しているのかもしれません。
全体を通して読むと、**「血みどろの戦場という地獄を通り抜けた先に、満月の光のような静謐な神域が待っていた」**という、将門公の魂の旅路を辿るような歌に感じられます。