<ひたちのおおきみ>が平将門であることが判明し、その将門公のメインの神の社となるのが、茨城県坂東市の國王神社であるという情報が私の許に届いたので、精神学協会の会員であり、神の言葉の受信能力もある人物に、その確認をしてもらいました。今回はその報告と、シンロジーラボを主宰している人物から届いた「将門と大日本史」というタイトルのレポートを公開することにします。
日高見のクニの伝承があり、平将門が反乱を起こし、幕末から明治に、水戸藩だけでなく、会津に代表される東北の各藩が不幸な結末を迎えた背景には、人間の力を超えた神のたくらみのようなものがあったのです。
これらの情報が出て、明治の日本が終わり、新しい日本の時代がこれからはじまります。将門の首塚が、いまの皇居の前、大手町にあるのも、日本の仕組みの一部ということなのです。
以下は、私が受け取った歌です。
同じように、胸が高鳴り、ニヤけながら、叫び、高い山や、雲から一気に駆け降りているイメージでした。
わが旗 おどり 花は舞い
まつり に こえを あげし 今
先陣切るもの 進むもの
あかごの よの子 の
そろえし 地獄
みこと の ぬしに かかりし光
とう く や しち む
ご し み つ き
頭の中では、
あー!ゆかい、ゆかい!よくも、まあ、こんな地獄に 純粋?空っぽ?良い子達?が揃ったもんだね。
闘えるか?闘えるよな?
と、頭をわしゃわしゃ撫でられながら言われていました。
【報告2】
将門と大日本史
2026.2.18(水)
昨日、通信を書いてからどうにも落ち着かないので調べはじめました。
予想外に複雑な話になってきていて、まず2月14日が将門の忌日でした。
今も東京で将門を祀っている場所は、将門の子孫とされる「江戸氏」が居住していた場所だそうです。
そして、19日分の神文の原稿の段階では私もしらなかったのですが、平将門を 「よになきもの」 としようとしたのは「大日本史」です。
維新で東京に天皇が移ったさい、神田明神の祭神から将門がはずされたのは、「大日本史」の「叛臣伝」に将門が「日本で唯一新皇になろうとした朝敵」として書かれていたためで、国家神道の時代は教科書にもそう書かれていた歴史があります。
祭神に戻されるまで非常に時間がかかったのも、その影響が大きかったと見られます。
今の日本史のトレンドのひとつが将門研究で、「将門記」以外の資料がたくさん出てきていて、将門一族はほんとうに、東国から陸奥までを支配するつもりだったらしいとわかってきています。
精神界的な面では、物語の構造が聖徳太子とよく似ていることもあり、東日本支配という物語を負わせた存在がいたようだ、ということになってきます。
その物語は、奥州藤原氏に引き継がれたのでは?というのが、現段階での私の推測です。
将門は生きていても死んでからも相当な苦労人で、人間が神になるにはここまで苦労しなければならない…という点では、神になるにはふさわしい存在ではあります。
(浄化のため、最後は全身に傷跡が浮き出て、血まみれで毎夜、身体を探してさまようところまで夢で再現しました。その苦労する様子は「蘇民将来」のようでした。
本人が かみとなりたり と喜んでいるので、将門の怨念はほぼ消えているかと…)
最近まで千代田区周辺で、国家中枢や大手金融機関にバリバリ祟っていた存在が東京を離れて神になって、これから東京で何が起こるのか気になります。
個人的には長州の終焉の感が強いですが、将門と天帝の件は天地がひっくり返ったくらいの印象があります…。
(お釈迦様は、日蓮さんの件でご足労をおかけした時に、「日本でなにが起きているのか、まだよくわからないねえ、要観察だねえ…」と言われていました)
国学の本にはほぼ書かれていませんが、「大日本史」の尊王攘夷、南朝正統は、中国(漢民族)の朱子学の思想をそのまま引っ張ってきただけのもので、その意味するところは
南朝=漢民族 攘夷=北方の異民族
だから日本では無理があったというのは、儒学や禅宗の人のあいだでは常識みたいです。
(禅宗は仏教と朱子学が融合したものです)
「大日本史」は各藩の藩校教育で使われていました。そして勝者が西南の雄藩、敗者は東国の幕府と東北諸藩という、維新へと向かいました。
幕末の禁門の変の時に、薩軍が天龍寺を焼き討ちして寺宝を奪ったという事件がありました。
それで昨年末に天龍寺の資料を調べていたら、上の「大日本史」の史観の問題点があっさりと書いてありました。
叛臣・足利氏の天龍寺は、「大日本史」の教育を受けた維新の志士にとっては許せない敵でした。
大ごとみたいなので、いずれ波動チャンネルに書くことになるかと思います。
怨霊が神になった瞬間に立ち合ってしまいました。