国づくりと無能なやから

―ホンコンのデモ・ホルムズ海峡問題は、
決して対岸の火事ではない。―

 先日、党首討論を見て、この国の代表者が「何をもって国づくりをしているのか?」まったく理解できなかった。そして、日本の将来に対してロジックを組み立てられない人が党首であることが露呈した。あの討論のレベルの低さもさることながら、いまの日本の悪しき集大成がここにあるというのがはっきりわかりました。先に結論を言います。能力のない人間が、拝金主義化された集団と化し、この国を動かしていることが見えた瞬間でした。ほとんどの国会議員が、問題の対立軸を理解していない。それに、問題のプライオリティの順番がデザイン出来ていない人が、どうでもいい問題を、さも重大な問題であるかのようにでっち上げ、無駄な討論をしていることが、はっきりと国民に知れ渡ってしまいました。
 私は、特定の党を支持しているわけでもありません。自民党を支持しているわけでもありません。しかし、野党のあまりの稚拙な主張に呆れてしまいました。6月に入り世界情勢は、さらに大きな難局に直面しているのに、どの党もみんな同じ「老後の年金問題」を取り上げて、誰ひとり国際情勢に言及しなかったことの不思議さ。この気持ち悪い全体主義はどこから来ているのか? 野党共闘か知りませんが、イデオロギーがまったく違う党が、「国づくり」を同じ方向で見ていることに、国会議員の一人一人は何も感じないのか? 国民は、あんな「まつり(政)事」にお金を払っていて満足しているとは想わない。ある党首は、金融庁のレポートに付箋をつけて渡す行為をしていましたが、国会の数分の答弁に、何百万の血税が使われている実態を本当に理解しているのか。あの国会は、国民をバカにし、国づくりを放棄しているとしか見えませんでした。世界は大きな地殻変動(激動の政界情勢)を起こしているにも関わらず、プライオリティが解らない人たちが代表を務めていること事体、この国を滅亡に向わせている。

 海外から見ていて、いまの安倍政権は国際社会の中で大きな役割を持っていることは間違いありません。敗戦後の日本は、お金だけを出して意見や意向を言わずに世界との関係をつくってきました。結果、世界は日本のことをキャッシュ・ディスペンサー(銀行のATM)とバカにして、「カネだけ出せばいい」とたかられていた存在でした。その日本が、はじめて世界の中心に座り、意見を言う国家になったことは間違いありません。いまの世界情勢は、民族の生き残りをかけた生存競争が始まっています。その状況のキャスティングボードを握っているのは、安倍首相であるということ。これだけ複合的な難局が重なり合っている中で、軍事を背景に持たない国家が、外交交渉だけで世界のオピニオンリーダーになっている事実を、日本人は理解しなくてはいけないのです。この至難な状況の中で、安倍首相は奇跡に近い外交を展開し、日本の国益と日本の将来をかけた、綱渡り外交をやっている。その度胸は、いままでの日本の首相にはない大胆な振る舞いで交渉をしている。トランプ大統領をはじめ、プーチン大統領や習主席や各国の代表の国益のぶつかり合の中で、日本のリーダーとして国益をしっかりと主張をして守っている。野党にせよ与党にせよ、安倍おろしを必死になっている人は、本当に日本の将来を考えての行動なのか? いまの国際情勢を理解していない人に、日本の将来を語る資格はない。国のかたちを変える、大事な局面に来ているにも関わらず、何をもって足の引っ張り合いをしているのか理解できない。

 日常生活をしていれば、いまの世界情勢は、なかなか見えないと思います。一般の人は、時間に追われ世界に目を向けることはなかなか難しい。世界の動きは、国際社会の中に入る機会がないので、自分たちの生活には直接つながらない。しかし、世界はすごい勢いでボーダレス化になり、国際社会はシュリンク(収縮)しています。いままでは、国際情勢は日々の生活には直接影響せず、一部の人(商社や国際トレーディングなど仕事としている人)しか関係はなかった。しかし、今日は国際社会のシュリンク化によって、昨日起きた国際情勢が近日中には、自分たちの生活に影響する時代に入った。例えば、外国で起きた有事で、自分の会社が倒産することも起きうる。いままで想像しないことが、いつでも起こりうる時代に入ったことは認識しなくてはいけない。今回の香港デモやホルムズ海の出来事は、その一例でもあり他人事ではなく生活に直結した問題である。

 <香港デモから見えてくること>
 いま、中国の覇権はすごい勢いで、世界を呑み込んでいっています。中国マネーをばらまき、中国のお金に依存するシステムをいたる所(各国や特定の地域)で作っています。中国のお金が入り過ぎると、その国や地域の経済は牛耳られ、町や国が中国化して壊れていきます。韓国は、依存し過ぎたことによって中国に従わないと、直ぐに経済に影響するという関係になってしまいました。日本各地でも中国のマネーが入り、潤っている場所はたくさんあると思います。そのお金に依存しすぎた地域は、中国の観光客や中国資本が途絶えたとたん不景気になってしまう。それが、広域になり市や区レベルで景気が左右されるようになっていけば、中国人・チャイナマネーに歩み寄る街になっていきます。そして、そこの街には中国人が住みつきチャイナタウン化していきます。一度、チャイナタウンが出来たら、その経済圏に日本人は入っていくことはできません。“Rule of Law”法の支配ではなく、彼らの秩序が勝手に作られ、その地域は治外法権になってしまい、街の伝統や文化・住民の生活が壊れていきます。(この現象は、西海岸で問題になっていて、規制や法律が出来てようやく行政側がうごき始めました。) 
 中国人は、先住民をリスペクトして共存ができない民族です。一番の大きな問題は、中国人が共産党のコントロールの下で莫大な資金と集団で行動が出来ることである。中国人が、押し寄せてきたら小国や地域は太刀打ちできません。今回の香港のデモは、自由・民主主義と覇権主義の大きな瀬戸際の戦いでもあります。こんな大きな争いが、アジアでおきているにも関わらず、日本の党首は誰も取り上げようとしない不自然さ。野党から、この問題を取り上げて中国の覇権主義を問題にし「超党派で、中国に非難決議」をすれば、G20前に強烈な日本からメッセージにもなった。それに、党首討論で中国の問題を取り上げることが、どれだけ覇権主義の抑止力になるか、日本の国会議員は理解していない。そして、野党でしかできないこともある。政権は、中国を真っ向から避難することは出来ないとき、野党が中国を非難しても大きな外交問題にはならない。(実際は、G20のときに安倍首相は習近平に香港デモについて、言及したようです。かつては、政権が非難すると必ず中国の報復にあっていた。―尖閣諸島での海上保安庁の衝突事件では、船長を拘束したときに、中国駐在の日本人を不当逮捕していたこともあった。―)国会を上手に使い、日本の世論として「民主主義」という立場を中国に伝える最高の手段でもあった。野党の議員も、それぐらい戦略的に賢い議員が出て来なくはいけない。

 <日本のタンカー襲撃という話しではない>
 ホルムズ海峡の問題は、日本のタンカーが襲撃されたという端的なことではありません。エネルギー確保は、日本経済の死活な問題であります。かつて日本は、エネルギーの問題で苦い経験と多くの犠牲を払ってきました。その過去の歴史があるにも関わらず、その問題を取り上げない党首は何をもって、この国をつくろうとしているのか? 原油が上がれば、日常生活に直結した問題(すべてのモノの値段が上がり、生活費を直撃します。)にもなり、製造業はガソリンや電気代の高騰で経営不振になり倒産する会社もでてきます。ホルムズ海峡という遠方の話しではなく、国際情勢と日常生活がすごくタイトになっていることに目を向けなくてはいけない。さらに、この問題は防衛にもつながり憲法9条の問題にも繋がってきます。(自国の船が襲われたことへの警護・防衛をどうするか? 自衛隊を派遣してエネルギー確保をどうするか? この問題にもつながり、憲法がいまの情勢に対応が出来ていない。平成は、ごまかしていた問題を避けることは出来ない状況になっている。) その状況の中で誰も国会では、「エネルギー対策を政府はどうするのか?」「Sea Lane確保をどうしていくのか?」を問題にしなかったことである。世界情勢の緊急事態に、国会議員が対処出来ていない。
 この2つのことは、党首討論の直前に起きた大きな有事である。それを棚上げに挙げて、国民が飛びつきそうな話題にしか触れず、国の存亡の問題に触れていない。国づくりを任された者が、多様化社会への対応と謳っていながら、対応できない国会議員の姿を、国民一人一人は直視しなくてはいけない。そして、「年金問題」という、くだらないことを政争の具にして、国力を貶めている状況を恥じなくてはいけない。野党・メディアを含めた、このいびつな全体主義が、どれだけ国づくりを歪めているのか。同じ問題しか出せない党首討論は、この国の滅亡に向っている証でもある。これは、野党だけの責任だけでなく、与党にも責任があり一人一人が、この国の存亡をかけた「国づくり」がはじまっていることを意識しなくてはいけない。

 <無能の輩の手口>
 対立軸が見えていない、もう1つの問題は。政権を潰す動きのときに、かならず「年金問題」「税金」の問題が出てくることである。これは、与党対野党という対立軸ではない。むしろ、国会議員対官僚との戦いで、官僚が自分たちの既得権益を守るための権力争いをしている構造である。野党だけでなく与党の議員も官僚のシナリオに乗っかり、政権を潰す工作活動をしているのが本当の姿である。官僚は総力をあげて、オールド・メディアとポピュリズムを使い古い体質の既得権益を守ろうとする行為が、いまの国会の姿である。野党党首の質問を見ていてもわかるように、核心をついた討論でなく感情の討論(フワッとした空気の討論)しかしていない。本来、お金の問題やシステムの問題は具体的な数字として出てくるので、数理的・科学的な根拠から改善することは出来る。それを空気のような感情論に変えて、「年金が足りなくなる」とか「年金のシステムが壊れる」という非論理性の話しに変えて、国民の不安を煽っているだけである。昨日今日、勉強した国会議員に理解出来るシステムではない。もし、修正するのであれば通常国会で審議をして、プロの人たち(高橋洋一先生など)に調査をしてもらい、時間をかけながら修正をしていくべきである。あの短絡的な討論は、国民を間違った方向に導いていることに党首たちは気が付いていない。そもそも「年金」というシステムは、老後の生活をすべて補ってくれるシステムでない。あたかも、老後を100%満足できるシステムだと印象付けて、国民の側に立っているフルをしているが、根拠のない無意味な討論をして、ポピュリズムで煽ろうとしているだけである。そこで出てきた言葉が、空気のような「安心」という言葉である。「安心できる生活」と言っているが、そもそも個人の安心や不安は、千差万別でそんなことを国がコントロールすることではない。個人の経済的自立が前提にあって、それをサポートするシステムが年金制である。
 この手法は、小池都知事もまったく同じやり方で築地の移転で都民に大きな溝を使ってしまった。「安全基準を満たしているが、安心ではない。」まったく、非科学的・非論理的な言葉だけが舞い、住民の心を動かした結果、豊洲の移転を2年も延期させ莫大な都税を使い住民を分断にさせただけだった。そして、オリンピックに向けた都市計画が壊れてしまい、問題解決にはいたっていない。民を束ねる者が、言葉の空間をあそび、ポピュリズムを作り責任を取らないまつり(政治)が何を意味するのか、日本人は気づかなくてはいけない。いまの国会議員・地方議員は、実態と言語空間が乖離し責任を取らない国づくり(政治)をしているのが実態である。人の不安や心の隙間に、埋め合わせる言論で夢物語を語り、自分の当選のことしか見ていない無能なやからが国を動かしている。そして、官僚は古い体質と既得権益を守るためにしか仕事はしていない。その2つのやからが、拝金主義化された集団の構造になっている。
 本来、国づくりに携わる者は、厳しい実態を国民に突き付けて希望という未来をプログラムするのが、国づくりをする人の責任である。先人は、子孫に多くのことを残してくれました。幕末期・昭和の大戦前後は、国づくりに命をかけて作ってきました。「国づくり」のまつり事は、悲しい歴史でもあります。既存の体制の否定は、守る側の理念や生き方の否定であり、ときには命との引き換えに国づくりをしてきました。そこには、「禍根」「遺恨」「憎悪」という負の感情のぶつかりと「希望」「未来」という光が、交差の中で国づくりがされてきました。気力と胆力が求められ、何十年経っても劣化しない「国づくりという精神」が受け継がれなくてはいけません。国づくりをする人は、目の前の銭勘定にとらわれるのではなく、後世につなぐ志を持たなくてはいけない。いまのような、パフォーマンスと安いポピュリズムを扇動する人は、国会に行ってはいけない。そのためには、日本人一人一人が良識ある見地から、まつり事をする人間を選ばなくてはいけない。
 次の参議院選は、日本にとって大きな分岐点になる選挙だと思っています。この選挙を一歩間違えれば、日本は亡国に進みます。二度と立ち上がることは、出来ないと思います。
 これからの国際情勢は、もっと悪化していきます。国会議員は、国際社会から見た国益のデザインが出来る人かどうかの資質が問われ、対外的に、この国をどこに導くのか? 国際情勢の対応や対処が出来る見識が問われてきます。その空間デザインが出来なければ、国政の国づくりに携わってはいけない。(ほとんどの国会議員は、地方議会の議員レベルである。その重責を請け負うだけの力があるのか、疑わしい人ばかりである。その人たちが、わざわざ国政に出る意味がわからない。国民がしっかりとした洞察力で、国会議員を選ばなくてはいけない。)

 図の対立軸は、平成から令和に移り変わったときに、軸が変わったことの略図である。
昭和や平成は、(強い企業 > 弱い労働者)という対立がありました。しかし、いまの国際競争は、(外資巨大企業 >日本企業 > 労働者)という関係になり、日本の大企業は虚弱化して、外資に吸収されることだって、いつでも起こります。外国資本が労働市場を乱用したときに、それを取り締まるルールが完備されていません。外国資本にいいように使われて、奴隷化された労働市場になっていきます。(これも一例ですが、Amazonが法人税を払っていなかった事例もあり、国益にはなっていなかった。)
 しかし、対立軸を変えることで(外資巨大企業<日本企業 & 労働者)という図式に変えることができます。強い企業:弱い労働者という軸ではなく、融合させることで対外的に対抗が出来ます。そして、パワーバランスを変えることで、賃金の上昇や将来につながる仕事(技術の向上・仕事の多面性)にもつながっていきます。この対立軸に対して、国や地方行政が、どうバックアップできるか。これが、政治力だと思っています。
 いまの国会で「働き方改革」の法は、まったく無駄なことをしています。国は、労使関係の自由裁量にゆだね、民間経済に委託するべきである。あれは、労働者の意欲と自立を奪い、無能な人を造出するだけである。国が、労働采配(時間規制や労働規制)をしたときに労働市場は、共産主義化して無気力な人間を作っていくだけである。いまだに、国会議員の中に、(正社員>非正規・非正社員)この対立構造を持っている人がいるが、令和にはこの対立構造は無くなります。むしろ必要なのは、税金のシステムから年金のシステムまで大幅に変えていくことであり。退職金がない社会システムの構築である。トヨタはようやく、「年功序列システムや終身雇用制を維持することは出来ない」と発表しました。それは、正社員:非正規という構造が無くなるということである。労働対価と労働時間とキャッシュフローの関係が、大幅に変わっていきます。それは、4月に一括採用、3月に一括退職という昭和的な働き方の終焉であります。時間を現金化する作業は、もっと多様化していきます。
 新しい社会になったときに、自由と規制の空間デザインができるかが問われてきます。既存の体制にとらわれない、超越した空間デザインがない人間は、国政に携わってはいけない。
 国は何をもって国民の生活を保障して、国民は何をもって日本国を支えるのか。この根本の構造が問われてきます。令和の対立構造は、ボーダレス化(国境が無くなっていく)と令和化(仕事・生活のかたちが大きく変わる)時代に入ったときに、日本人の資質と精神が問われていきます。変化に怯えるのではなく、先人の声に耳にかたむけ、真実を見抜く洞察力を取り戻すしかありません。日本人は、多角的に空間デザインが出来る特殊な民族です。もう一度、日本文化と日本の精神性に歩み寄れば、答えは出てきます。