学術会議のガラパゴス化とリベラル利権 Ⅰ
―Vancouverのすし屋から見えてくる学術会議―

 この副題から、「何で、すし屋と日本のアカデミックの世界がつながるのか?」と思っている人たちが大半だと思います。普通に考えたら、職人世界と学者世界(学術会議)がつながる接点は1つもありません。
 ただ、世の中というのは、面白いもので海外に住んでいると、日本国内では見えない世界が見えてきます。そこに、時空間を超えた未来の日本の姿が見えてきます。いま問題になっている学術会議も、その1つであり日本のアカデミックの世界の深刻な問題が隠れていると見ています。いま争点になっている「学問の自由を権力によって奪うのか」という論調は、それこそが日本人を間違った方向に導き、未来に繋がらないことをしていると思っています。学術者が、巧みな言葉を使い世論を形成し、言葉による庶民の洗脳をして事実を隠し、問題のすり替えをしています。その隠れている問題は、日本の大きな闇の世界につながり、民族を弱体化する病巣になっています。学術会議と言えば、日本のアカデミックの心臓部であり、国家機関の中心に位置しています。にもかかわらず、自分たちがどれだけ国の中枢にいるのかを理解していません。政治的な決定権はもたないにしても、教育・研究・学術を決める権限を持ち学者村の権益を持っていることは間違いありません。知の集約されている大学村の権益を持ちながらも、国家観・民族観も持たないという不思議な組織になっています。そのことに、誰も言及しない日本社会はどうなってしまっているのか? 実は、この副題を付けたのは、Vancouverのすし屋業界と日本のアカデミックの世界が、ダブって見えてしまうからです。民族観を持たない民族は、時間と共にどのような結末が待っているのか。Vancouverの小さな日系社会を見ることで、日本の将来が見えてきます。

 この話をするにあたり、Vancouverの外食産業の実状を知らないと理解できないので、その話しからします。Vancouverという街は、すごく面白い街で世界の縮図のような空間になっています。Vancouverの民族の人口分布や経済活動を見ていると、どこの民族が勢力を伸ばして経済的に力をもっているのかがよく解ります。それは、母国(外国)と民族がリンクしてサイフォンの原理のように、Vancouverの街に経済力と人口分布がイコールになっています。80~90年代は、日本のバブルにより日本人が多く移住し、日系企業の進出が凄まじく、Vancouver経済の半分以上を担っていました。いまは、商社の撤退や留学生・観光客の激減により、日本人はほとんど経済基盤を失ってしまいました。時代とともに、民族の人口数が変わり勢力図が変化していったことで、キャッシュの流れも変動しました。ここ数年は、中国勢力が幅を利かしチャイナ・マネーがなければ回らない街になってしまいました。多民族国家において、移住者が生活をしていくために一番大切にしていることは、自分たちの経済圏を持ち同胞を経済的に豊かにしていくことであり、権益を作ることです。その権益は、世代が代わることによって民族の既得権益になっていき、同胞たちの生活圏を広げて子々孫々の民族村を作っていきます。既得権益を持つということは、多民族との共存において家族や自分たちの民族が生存していくために必要不可欠なものであります。その基盤を失うということは、その地域での民族の衰退につながり、民族村の消滅にもつながっていきます。
 日本のバブルがはじけて、日系村は衰退し多くのビジネス基盤は他人種に持っていかれてしまいました。野蛮的なことでなく、空洞化した仕事場(稼ぐ場所)を他人種が取るという、自然な資本の流動化が合法的(ビジネスの売買)に他人種に移っていきました。しかし、民族が持っている権益を手放すということは、20~30年というサイクルで見ると、経済だけではない大きな損傷を受けることをここでは実感します。(最近では、世界の各地で従軍慰安婦の銅像を建てた件などはいい例です。民族村の衰退が起こると、弱肉強食の関係で簡単に現地の人を洗脳して、あのようなモノが建ってしまいます。)
 少し話しは飛びますが、日系社会の話しをしながら歴史を通して話します。日系社会は、大きく分けて2つに分かれていました。70年代前に渡ってきた移民の人たちと、70年以降に渡ってきた人で、価値観が分かれ日系社会が分断化された関係でありました。70年代前に移民になった人は、戦中・日本に疎開していた人やカナダに残留した人が日系社会を作ってきました。その世代の日系人は、合法的な強奪(強制移住・資産没収)や差別の中で生きてきたので、民族として生きる知恵を持ち同胞を大切にする意識を高く持っていました。
 しかし、70年代以降入ってきた日本人は、国家観と民族観を持たない日本人がほとんどで、リベラル思想を持った団塊世代を中心にした日系社会になりました。それに加えて、日本のバブルによってあぶく銭で日系社会が出来上がったので、前の日系人とはまったく違う日系社会になっていました。多くの日本人は、自分たちの銭もうけだけをして、日系社会の繁栄や次の世代につなげるということをしてきませんでした。仕事も商社や観光業などで、日本からのキャッシュをあてにする仕事がほとんどだったので、70年代前の人たちとは仕事面からも違っていました。70年代前の日系人は、食品店・農業・漁業・ガーデナーなどの仕事を主としていたので、現地の社会に浸透した仕事をしていました。
 団塊世代を中心(70年代後)にした日本人は、民族生存競争せずに生活が成り立ち、各々が勝手に銭もうけが出来たので、同胞との関係においても希薄で、自分たちの業界(商社・レストラン業界・観光業界)さえ楽しめればいいという年代でした。そして、次世代に仕事を継承していくということをしませんでした。そういった、2つの日系社会が存在していました。
 (とは言っても、70年代前の日系人は、団塊の世代の日系人を助け日本食レストランやガーデナーという仕事を通して、次世代に経済基盤を継承する人たちもいました。しかし、団塊の世代は次世代の日本人にほとんど仕事の継承をすることはしませんでした。)

 では、他の民族はどうだったのか? 1度手に入れた権益は簡単には手放すことはしません。そこを1つの切り口にして、関連事業を立ち上げ1族や同胞の経済圏を作り民族の領域を広げていきます。移民社会の中で、1番早く経済基盤をつくる方法は、レストランビジネスです。私は、Vancouverの外食産業を25年近く見ていて、母国食と民族が一致していない外食産業を見たことはありません。中国人が、チャイニーズレストラン開き、イタリア人はイタリアンレストランを開きます。ベトナム人は、ベトナムレストランを開き、韓国人が韓国レストランを開くことが、ここでは自然なことです。
 そして、多民族が手を出せない経済圏の1つになっています。腕のいい日本人が、おいしい中華レストランを開業しても民族社会の壁を超えることはできません。この街で日本人が、中華レストランを開いた話しをきいたことはありません。そのロジックで言えば、韓国人がイタリアンレストランを開業しても成立しません。母国食と民族村が1つのセットになっているので、異文化の店を開けても他民族の社会に入っていくことはできません。料理が美味いとかのレベルではなく、食文化と民族のネットワークがリンクしているので、日本のマーケット論だけでは説明できない世界があります。(ただし、北米料理やファーストフードは、例外として外します。これは、多人種がしても出来る北米企画のビジネスモデルになっています。) 
 面白いのは、日本食レストランです。中国人・ベトナム人・韓国人がオ-ナ-になり、日本食レストランを開業しても立派な経済基盤をつくっていることです。その反面、日本人は職を取られ日本の経済基盤ではなくなってしまいました。日本国内の論調は、日本食が世界に広がり他民族に浸透していいと思っている人たちが大半だと思います。しかし、現地にいる日本人は経済基盤を失い生活ができない状況になってしまいました。それが起きたのが、20数年前の話しで多くの日本人は、日本食レストランを撤退するしかない状況になってしまいました。
日本食という外食産業は、日本人にとって大きな権益でありました。バブル期は、日本の外貨を中心にしたビジネスがほとんどで、現地に巨大な経済圏を作っていました。日本からのあぶく銭で成り立った経済圏は、効率を重視する経営をして日本村だけが、特殊な経済圏を作り謳歌していました。しかし、十数年はもちましたがあっという間に、日本村のバブルもはじけて悲惨な状態になっていきました。
 このVancouverのすし屋の時系列を見ていくと、いまの日系社会が見えてきます。30数年前のVancouverは、本当に田舎街でした。富裕層が、それほどいなかったこともあり、高級レストラン(フレンチ・ステーキハウス・中華料理・日本食)が20店舗ぐらいしかありませんでした。そのうちの10数店舗が、日本人の経営する高級レストランでした。どれだけ日系社会が、繁盛していたのかが伺えます。そして、腕のある板前がVancouverに来て店を任され、ヘルパーの仕事をワーキングホリデーで日本人を使いながら店を回していました。いつしか店の忙しさは、ワーホリの日本人を雇うだけでは間に合わなくなり、中国人や韓国人やベトナム人を入れながら、店を回すようになりました。はじめは、彼らは皿洗いからはじまり、長く働く者には少しずつ包丁を持たせて、野菜を切らせたり揚げ物を任せたりして、仕事の技術を教えていきました。ある日本人は、9~10店舗を展開して寿司学校を併設したビジネスをして規模を拡張していきました。そこで多くの中国人・ベトナムの人たちに、寿司や天ぷらの作り方を即席で教え、安い人件費で雇い現場に立たせました。当時の若い日本人は、店のストック要員としてこき使われて、給料も上がることもなく年配の人たちの高給を維持するために仕事をしていました。そこに、安い外国人労働者をつかい、若い日本人の給料を上げず人件費のデフレ状態にしました。当時は、自分たちのポジションと給料が上がることを信じて、店に貢献してきました。しかし、何年やっても給料も上がることもなければ、ポジションも変わらないという状況が何年も続き、当時の20~30代はその職場から離れていきました。結果的に、年配の人たちが辞めない限り上のポジションには付けず、給料も上がることがありませんでした。この街では、30年前から単一労働単一賃金のシステムを作り日本食レストランは経営をしてきました。その労働環境が続いたことで、多くの若い日本人は移民をとっても将来に希望が持てず、日本に撤退していきました。
 郊外にも日本人が経営する小規模の日本食レストランがあり、そこにも若い人たちが働いていましたが、状況は似たり寄ったりでした。バブルがはじけて日本食の高級レストランがつぶると、仕事する場所がどんどん減っていきました。20代後半~30代前半の働き盛りの料理人は、転職をするにも低賃金でしか働く場所がなく、生活も出来ない状況になっていきました。それによって、日本社会の空洞化がおこりました。

 ここで、注目するべきは他人種の人たちの日本食レストランの介入です。中国人やベトナム人や韓国人は、職を失い働く場所が無くなっていきました。しかし、彼らは日本食レストランで学んだすしや天ぷらの技術を、郊外にある小さな日本食レストランを買いとり開業する道を選びました。一族や友人たちから資金を集めて、日本人経営者のレストランを次々に買って、一族の経済の柱にしていきました。日本人はといいますと、その当時の30~40代は貯金もなく資金を集めることができず、他の街(トロントやアメリカの主要都市)に行くか日本に帰るかの選択しかありませんでした。このような経過で、多くの日本食レストランは、他人種に渡り日本人が経営する店が1つ1つ消えていきました。
 蛇足として、他国の資金集めのことについて書いておきます。中国系は、資金を苦労せずに集めることができます。人口が多いことと、大家族で移民をしているのでお金になる人材が出れば、家族が一団となってその個人に投資をします。それに、華僑ネットワークは若手で現金を作る人材には、長老集たちがお金を貸し出すシステムを持っています。クラウドファンドという言葉ができる前から、アナログで資金を調達する知恵を持っていました。
 韓国人は、韓国の国策として海外に永住権を取った者に、無担保無利子で1000万円まで投資をするシステムがありました。(いまは、それを続けているのか解りませんが、かつてはありました。)外国で永住権を取った者に、現地で起業をする資金を国家が積極的に援助していました。それによって、韓国人はそのファンドを使い、日本食レストランを開業していきました。このようにして、韓国人は経済圏を手にして、韓国村を作っていきました。寿司レストランは、他人種の生活を支える経済基盤になってしまいました。
 いま、Vancouverにあるすし屋(日本食レントラン)は、700店と言われています。そのうちの、日本人が経営する店は、いったい何店舗あるのか? 5%にも達していないと思います。日本人経営者の店が、30店あるかどうかです。ほとんどの店は、他人種が経営をしています。
 では、中国レストランはと言いますと、Vancouverには500店舗あるとされています。100%中国人オーナーであり、従業員もほぼ100%中国人が働いています。中華レストランで他人種が働いているのを見たことがありません。それは、ベトナムレストランでも、中国人が働いているのを見たことがありません。
 では海外にあるすし屋はどうか? 日本人経営ではなく、韓国人経営の寿司レストランでは、ほとんど韓国人が働いています。中には、日本人を雇っている店もありますが、中国人は雇いません。中国系の寿司レストランでも、ほとんど中国人が働いていて、日本人以外の他人種が働いているのを見たことがありません。
これだけ民族と経済基盤の関係はタイトにつながっていて、民族の生存競争の根幹になっています。

 

―リベラル利権の争点のすり替え―

 上の内容を読んでほとんどの人たちは、しょせん外国のことだし自分たちとは関係ないと思っている人が多いと思います。しかし、グローバル社会というのは、国境という壁をなくしていくというのが思想の中心にあります。各国は、どこをグローバル化にしてどこを国益とするかを別けて考えています。表面では、開放して平らな社会を謳いながら、国益というフィルターにかけて、閉じることと開くことを平気でします。日本のアカデミックの世界は、その意味をよく理解せずにすべてをボーダレスにして、日本国民と他国民を平らにして日本の国富や英知を分配することを是としています。日本の教育界を見ると、それが顕著に出ています。日本の多くの学者は、民族観や国家観がない中で教育と研究をして、性善説の中で生きています。他国と他民族は、いかに権益を奪うかしたたかに様子を伺っています。民族生存競争と弱肉強食という価値観を内在しながら、チャンスを狙って生きています。その実態をよく解っていないのが、日本のアカデミックの世界だと思っています。敗戦後の日本の思想は、得体のしれない全体主義と無防備な開放が「平等」という、いびつな日本語を作って「平らな社会」を作ってきました。結果として、日本の若い世代の体力を弱体化させ、次世代に繋がらないシステムが出来上がってしまいました。民族観を持たないグローバル社会を取り入れたことで、人材の育成にもつながっていない教育システムが、いまの日本の国づくりの柱になっています。

 1つは、日本の研究者の卵は生活もぎりぎりで、教授の雑務と資料集めに時間を取られ自分の研究テーマに時間を避けない現状があります。大学側も研究生に対して、生活を保障していくシステムが整っていません。教授の一言で、采配が決まりその人の人生が決まってしまいます。上司の論文を否定するものなら、左遷されるという怖さと生活の土壌を無くす不安の中で研究をしています。上手くマッチングしなかった人材が民間で働ける、システムが出来ていません。
 2つ目は、海外留学生の問題です。日本では、留学生を受け入れて定員が埋まらないところを外国人で埋めて、国からの助成を受けながら運営をしている大学があります。北米の大学は、留学生に対して国費で外国人を補助することはありません。よって、留学生の学費は正規の学費の3倍が掛かります。それに加えて、生活費が加算されるので、カナダに留学するとなれば1年間に、最低250万~300万円は落ちる構造になっています。4年間通えば、その街に1200万円落ちる経済構造になっていて、10人~20人いれば1.5~3億円のキャッシュ・フローが前提で留学生を受け入れています。
 3つ目は、はじめから日本の技術を自国に持っていくために来ている留学生です。その技術を海外に流出し、日本の研究を現金化して海外でビジネスをしている学生です。

 不思議に思うのは、外国人に日本の国費を使って「なぜ補助をしているのか?」ということです。各大学・専門学校に多くの留学生を入れて、日本人と同等の学費になってこと事態が他国の常識では考えられません。ある地方の大学は、定員が満たないために留学生の枠を広げて、外国人を受け入れて大学の運営をしているところもあると聞きます。日本の税金を使い将来の日本社会の投資が、外国に間接投資をして資本の流出をしている状況の意味がわかりません。日本の学生は、学生ローンによって借金を抱えマイナスから人生がスタートしています。外国人の若者を日本の税金でサポートをして、自国の若者にマイナスからのスタートを、国家権力によって仕組みが出来上がっていること事態に、誰も指摘をしないのか。
 これを容認して、地方に多くの大学を作り学者の雇用を作ってきたのが、学者村の既得権益だと思っています。少子化が進んでいるにも関わらず、このことを学術会議は長年に渡り黙殺してきました。日本の若者を弱力化させ、民族の体力を教育の時点で奪っている現状には言及をしない、不思議な団体が学術会議です。
 日本の学術会議と言えば、日本の学者の貴族村です。名誉と地位とお金を手にした人たちで構成されている人たちが、なぜ次世代の若者を育てようとしないのかが解りません。彼らは、少なくても世界の大学の状況や経営を見てきているはずです。今回、選ばれなかった6人をやり玉に挙げて、上記の問題には言及せずに、自分たちのポジションしか言わない、あの体質こそが問題だと思っています。そして、それを誰も非難しない社会の風潮を見ると、すでに日本社会は壊れていると思っています。
 リベラル利権(オールドメディアや政治家や一部の学者)は、政権と権力というナンセンスなロジックを使い、子々孫々につなげる政ごとはしていません。野党第一党の議員らが「学問の自由への侵害」を提唱すると、一斉に権力の行使というロジックに変えて世論をつくって反論していますが、彼らは一体どこを向いて政ごとをしているのか。 
 今回の菅政権によって、学者・メディア・役人・政治家の一部が、一体になってアカデミック村を作って既得権益の実態が浮き彫りになりました。次世代の価値に繋がらない組織に、国費と教育の権限を与えていること事態が、一番の争点にならなくてはいけないことだと思っています。

 

―時代を空間デザインする知恵―

 なぜ、Vancouverのすし屋と学術会議が同じ問題として取り上げたのか? 海外の日系村が、どのように衰退したかを空間デザインすると、いま日本で起きていることが想像できると思います。たた、10年間の日本の食文化の経済基盤の空洞化を作っただけで、民族の既得権が変わってしまう恐ろしさを書きました。それと類似していることが、日本国内でしかもアカデミックの世界で起きています。この問題は、10~15年先のアカデミックの世界に必ず影響します。そして、一度空洞化が起きて他民族に侵食されたら、その世界の復活はないと思っています。高度な研究と日本の優秀な研究者が流出したら、日本国内の学者と研究者の空洞化がはじまります。日本国内では、安い賃金と劣悪な労働条件で本来の研究に特化できずに、学者村の衰退につながります。国富の流出と蓄積は、何もキャッシュだけの話しではなく、人を育て価値観をつなげていくという国富にもつながり、国力にもつながっていきます。
 いまの大学村のように、日本の税金を使い国民に還元するのではなく、一部の学者の名誉と給料を保障するために学術村が存在するのであれば、日本のアカデミックの世界に優秀な人材は育ってはきません。日本の一番大切な勤労・勤勉文化を、学術村の人たちによって破壊され民族を衰退させる方向に向かっていきます。
 いま、日本の科学や医療分野でノーベル賞をもらっているのは、その個人の能力もありますが、先人の努力と次の世代に教育をつなげたいという先人の想いが、現在に繋がっています。敗戦後、予算が無い中で若い人たちを育て世界に通用する学者を育ててきた結果、いまのアカデミックの世界に繋がっています。
 日本は、大きな歴史の中で文化・文明・技術の中で育んできた国です。いまのような、民族観と経済感覚がない学者村の中で、日本の有望な学者が出てくるとは想えません。日本社会の大きな問題は、サラリーマン社会だけでなく学術界の世界も同じだと見ています。年功序列と終身雇用システムで鈍化した村を作り、名誉とお金に執着した70~80代が業界を牛耳り、国際世界で戦えない基盤を作ってしまいました。そして、狭い世界の中で、特定の人達が既得権と出来レースをしていることです。学術村の人たちは、「学問は自由で開かれた世界」と言いながら、次世代にはつながらない閉鎖的・独裁的な村を作り、民族の衰退につながることをしてきました。大学の知的財産や研究は、ITの進化によって学者世界もボーダレスの時代がはじまり、世界との競争の中で日本のアカデミックを発展していかなくてはいけない時代に入りました。いままでのように、学閥や学術会議の閉鎖的な世界ではなく、優秀な人材が集まる仕組みを作り。出来レースで人材を決めるのではなく、独創的で開かれた学術の場にしていかなくてはいけないと思っています。そして、若い世代が活躍できる場にして、10~20年先を創造する場所にしていかなくてはいけません。それには、「民族観」と「経済的な独立」と「知の探究」この3つの組み合わせを、ゼロベースから再編することだと思っています。学術村のトップにいる人たちが、次の世代に何を渡すのかで、日本のアカデミックの世界の方向が決まると思っています。海外の日系社会の衰退を見ることで、日本社会の未来と世界の縮図を見ることができます。