コロナ後は、世界経済が大きく変わる
-日本の教育の失敗(学歴社会と職に就くことが一致しない時代の到来)-

 世界情勢は、このコロナ(武漢肺炎)によって社会が大きく変わったと見ています。感染症の一番被害の少ない日本ですら、コロナの後の経済は大きな打撃を受けることは避けられません。実際、どこの国も補助金で経済を回しているので、最悪の経済状態を避けていますが、助成金が止まったとたんに何が起こるのか解らない状況になっています。北米に関しては、大統領選の結果以降景気が大きく変わります。いまは、嵐の前の静けさのような状況ですが、本格的な危機がはじまるのは2021年の2~3月以降だと見ています。なぜならば、2020年にバラまいていた助成金や失業保険の給付が止まり、日本で言う確定申告が2月以降スタートするからです。その時に、過剰にバラまいていた助成金のIncome Tax(日本で言う所得税)の回収が始まるからです。それに加えて、固定資産税の支払いも来ます。ちょっと日本では、想像しにくいのですが北米社会の景気循環の話しをしますと。1~3月は、北米社会は景気が低迷する時期に入ります。その理由として、クリスマス・シーズンにお金を使い、ほとんどの人たちがカードで支払をするので、12月に引き落としをせずに翌月に支払いをします。その請求は1月に来るのですが、ほとんどの人たちは12月にいくら使ったのかを知らないで請求書を待ちます。そして、1~3月にはカードの支払いと税金の支払いが同時に来ます。通常時でも、このシーズンはどの業界も景気で低迷します。今回は、ローシーズン(景気低迷期)に加えて、コロナ不況が同時に来ます。この2つの大きな波が、北米経済に直撃したときに何がおこるのか? いままで延命していた北米経済の過渡期になるのは、年明け早々に地獄がはじまります。多くの人は、支払う現金がなく職に就きたくてもない状況が、年明けからはじまります。果たして、そのときに財政出動をさらにして延命をさせるのか?(北米人の体質は、貯金をほとんどせずにすべて使ってしまいます。日本的に言えば、宵越しのお金は持ちません。いままで配られた助成金を使いはたし、来年の支払いが出来ない状況が数か月後にはじまろうとしています。)そのときに、いったいどのような経済になるのか誰も想像できていない世界が、いまはじまろうとしています。
 感染症の問題は、春先には解決していく方向に進んでいくと思います。ただし、経済活動は1年間しなかったツケは、どこで埋め合わせをしていくのか? という深刻な問題が待っています。そして、いつから通常の経済に戻るのか解らない状態が続いています。いままでは、すべて国が保証してお金を市中に流してきましたが、それが無い中でどのように社会を回していくのか、資本主義の限界を感じながら経済動向を傍観しています。日本だけでなく、北米社会も「コロナ後の将来をどのようにして、生きていくのか?」世界共通の課題として、大きな岐路に立っています。

 

-日本人は、間違った認識で仕事を捉えている <会社依存の洗脳>-

 日本も何を柱にして生きていくのか、個人が問われ会社に在職することに意味を持たない時代が、コロナ後からはじまると見ています。日本社会の大きな闇は、教育の段階から社会に出て仕事をする方法を1つの方法しか教えてこなかったことです。「時間をお金に変える方法」を、学歴(卒業)と就職(新卒採用)を1つのセットにして教えてきたことによって、就職することが仕事だと信じてきたことです。そして、昭和脳や平成脳を持った人たちは、いい会社に在職することが社会人として、生きる最善の方法として自己暗示をかけてきました。それは、結果として有名企業に在職することが、人生のゴールになってしまいました。
 就職後に、何も成長のない人間を作り惰性(マンネリズム)の労働体質と社内でしか通用しない人材を作り、社畜にしてきたのが日本社会の縮図です。カナダにいて他人種と一緒に仕事をしていて、常々思うことは自由に発想し行動する力を持っていることです。日本人は、常に学校➛就職というルーティンを守り、周りの人たちと違う行動を取ることを非常に嫌います。仕事選びにしても、会社の知名度や周りの体裁で仕事を選び、学生時代に専攻した時間や技能とは違う職に就こうとします。果たして、これからの時代に日本の教育システムが、社会人を育てるプロセスと一致しているのか? 社会構造を見直す時期に来ていると思っています。こんな無駄なことをしていたら、世界の民族競争で残っていくことは出来ないのは明々白々です。

 

-日本の教育の欠如は、時間軸と金銭軸で思考させない-

 時間軸と金銭軸から見ても、非常に不経済で日本が大切にしてきた勤労精神にもつながっていません。学歴(出費)と職(回収)が一致しない社会構造は、いったい何のために続けているのか理解に苦しみます。学歴を取得するために、学費というコストに1000万前後を使い、4年間という時間を費やすことを義務化しています。実際学費に500万(学部や学校によって違いますが、文系の平均コストとしての額)かかり、それに付随する4年間の時間や交通費や教材費等を入れても、少なく見積もっても1000万以上の費用が掛かっています。果たして、いまの日本社会で社会人になり学費の回収ができるのか、疑問に思いながら学歴社会を見ています。昭和や平成までは、学歴システムと労働システムがリンクして、学歴投資の意味がありました。年功序列と終身雇用に支えられ、学歴を買った方が回収できる時代でした。日本社会は、教育の投資と就業後の回収という密接なキャッシュフローで経済が成立していました。
 しかし、平成の終わりからITが社会の中心になったことで、違う社会構造に変わってしまいました。会社の終身雇用システムが壊れてしまった時代に、次の生き方を教育や家庭の中で教えていない次世代は、会社依存の精神から脱することが出来ないまま社会人になっています。そして、大きな後遺症となって社会を迷走しているのが、20代後半から50代の人たちです。
 いま、日本社会の大きな問題は、「コロナ後にどのような仕事につくのか?」ということばかりが言われていますが、その思考そのものが教育の失敗だと思っています。仕事というのは、「時間をお金に変える」行為です。会社に行ってタイムカードを押し、在籍していることが仕事と思い込んでいる人たちがいますが、「時間をお金に変える」行為は、もっとシンプルな発想のところにあります。いまの日本人は、その会社でしか通用しない仕事に全能力と時間を費やし、無駄な消耗をしています。自分の将来に繋がらない仕事を続けることは、自己成長を止めることになり。仕事に対して後ろ向きの精神は、心身に支障をきたし自暴自棄になって、努力する精神を閉ざしてしまいます。それでは、自分の才能を見つけることも出来なければ、どこに「時間をお金に換える」場があるのかも、思考そのものが止まってしまっています。すごく、大切なことは「自分は何で稼ぐのか」「社会に何ができるのか」という内から湧き出る、主意と覚悟だと思います。人間、30年~40年生きていれば、何かしらの能力を持っています。もう一度シンプルな発想に戻し、自分の能力がどこにあるのか向き合うことが必要だと思っています。
 そもそもお金の流れは、「需要と供給のバランス」で地域(人間集合体)が成立しています。自分が出来ないことを、人に頼むというところから社会システムが成り立っています。人の時間を買うことで、世の中を効率よく回す社会システムです。車の修理や家の内装など、自分たちで出来ないことを他人の能力と時間を使うことで、自分が望むことをみたし、お金を使って時間軸と金銭軸で経済を回しているのが社会です。
 もう一度、その観点に立ち返り自分の能力と社会との接点をリセットすることで、自分たちの未来を考える時期に来ていると思っています。今の日本を見ていると、どこかその概念が無くなり体裁や会社の知名度ばかりにとらわれて、一番肝心な「時間をお金にする」発想が無くなってしまったような気がします。
 
 このコラムを書き始めた原点は、日本は人口減少と成熟社会で過剰競争社会になってしまい、消費低迷と賃金のデフレにより、日本社会が壊れていることの警鐘からはじまりました。一歩離れた世界から見たときに、過剰競争によって生み出された技術やビジネスコンテンツは、海外ではとても価値があるモノで、それを海外で実践をすることでプラスに転じる世界があることを日本人は気づいて欲しいことからはじめました。残念ながら、その価値を一番わかっているのは、海外で活躍する朝鮮半島の人たちや中華系や在日の人たちです。日本では、飽和した能力や技術が賃金のデフレによって淘汰されてしまう現状があります。結果として、廃業や失業になり「時間をお金に変える能力がなくなった」と錯覚をしますが、それは日本社会が作ってきた自分たちの自虐による洗脳であります。昭和や平成に出来た労働システムに引きずられ、自由の発想をしないところから、日本人の仕事の価値観がはじまっています。日本人は、他人種に比べて手が器用で鋭敏な味覚を持っている民族です。この組み合わせを、海外ですることによって日本人の能力を最大に引き出すことができます。いままでに、ビジネスコンテンツを紹介してきたのは、ただ単に「How to Business」の世間に出ている安い話しではありません。技術の継承と勤労文化の継続をどのようにするかという「日本文化の壮大なストーリー」と「民族生存競争がはじまっている」現状が、そこには隠れています。

 私のバックグランドは食文化です。北米社会では、日本の食文の輸出はまだまだ限りない可能性があります。そして、日本では飽和してしまった外食市場は、多くのひとが職を失い自暴自棄になって、将来を想い描けない人がこれからも多数出てくると思います。このコラムでも連載しているように、技術と勤労精神さえれば世界どこでも生きていくことができます。日本社会は、1億の人口ですが北米の人口は3億の人口であります。単純計算しても、日本の市場の3倍の市場があることは、注視する必要があるとおもっています。確かに、地域によってはカントリーリスクを含めて、単純に人口比だけで市場を3倍にすることは出来ませんが、少なく見積もっても日本の倍の市場が転がっています。日本で飽和された技術や能力を活かせるチャンスが北米にはあります。もっと自由な立場で想像して、行動をするべきです。それを考えるきっかけが、このコロナ後の日本人の生き方だと思います。

 

-日本人の大きな闇を光に変える-

 日本社会の給料のデフレ脱却は、次の産業革命が起きるまで10年かかると思います。そして、世界の次世代の産業の波に乗れなければ、貧困層はさらに広がり個人の人生も自虐の人生を送ることになります。さらに暗黒の社会が、日本の中を埋め尽くします。
 すべての日本人に言えることは、「自分たちの持っている技術と勤労精神に向き合い、そこから人生を構築していく」発想を取り戻すことです。日本国内で切磋琢磨して付けた技術や精神力は、海外では価値があり、どこまで自分の能力が世界で通用するかを見る勇気だと思っています。少し暴論を吐きます。日本国内であれば、100人の競争相手と戦う必要がありますが、海外は2人の競争相手としか戦う必要がありません。どちらが大変か普通に考えたら答えは出ます。
 もう1つの日本人の特徴は、同胞をつぶし合う癖を持っていることです。日本国内にいたら、同業者をつぶし利のない戦いを永遠に続ける不毛なことをする体質があります。なぜそこまでして、国内での競争にこだわるのか私には理解できません。日本人が他人種と海外で競争したときに、日本人は必ず勝つ法則を英知として持っています。時間をかけてロジックとノウハウを学習することで、他人種では達成できないことを、日本人は可能にする能力をもっている不思議な民族です。もっと大きな時間軸と民族観を通して世界を見るべきです。
 海外で仕事をするということは、カントリーリスクや言語空間の壁や文化の壁があるのは事実です。新天地で、仕事をすることは、日本での経験値では理解できないことがたくさんあります。しかし、新しいことのチャレンジは予測不能なことを、どのように解決していくのかという、空間デザインのゲームでもあります。日本人には、技術を活かし社会の中に浸透していくという、コンテンツを持っています。そして、空間デザインを明確にすることの出来る民族でもあります。そこに、注目をするべきです。そのコンテンツから仕事おこしをしても、他人種と渡り合っていく力を持っています。
 近年の日本教育は、現地の言葉がしゃべれなければ無理だとか、現地の学校に行って勉強をしなくてはダメだという洗脳が、日本人の能力を劣化させています。これは、日本の学業信仰の1つの弊害だと思っています。言語空間で対話が出来なくても、技術や個人の能力で対話能力を持っているのが日本人です。もっとそこに、フォーカスをして言語空間を超える対話が、日本文化にはあるということを注目するべきです。
 かつての先人の移民1世たちは、日本での貧困や職がないということで、言葉も現場も知らずに遠路はるばる渡ってきました。そして、技術と勤労を背に生計を立て立派に海外の社会に浸透していきました。令和は、先人の英知を見習い、自分たちがどのように生きていくのか考える時代がはじまったと思います。いまの30~50代は、海外に次世代の仕事場のフラットフォームを作る時代に入ったと思っています。80年代のバブル社会と団塊の世代によって、海外の日系社会がほとんど壊れてしまいました。それを再構築する時期に入ったと思っています。日本国内で、日の目に見ることが出来ない技術者や埋もれている能力を開花出来ないで悩んでいる壮年は、海外に進出して技術と勤労精神を海外で実践をして、新たな人生のスタートをするべきです。
 すべての日本人は、労働の概念を過去の社会システムに当てはめて考えるのではなく、何を残してどこの場で活かすのかを創造することからはじめるべきです。そして、行動する勇気を持ち突破力を内蔵することです。自分のためだけではなく、次世代の大きな道しるべを作ることです。その突破力は、次世代にもシンパシーとなり新しい道を切り開く第一歩になると思っています。

 このコラムでは、常に日本の技術者や勤労者は北米大陸に進出することを推奨してきました。それは、今も変わりません。私の言う技術者は、ITや最先端の技術を持った人たちではありません。日本にいる普通の人で、調理人やパン職人や大工さんや庭師や美容師などの手に職を持った人たちです。日本では、いい技術を持っていても人間関係や会社の方針によって、よってつぶされてしまう現実があります。前にも書きましたが、日本でトップの技術者でない人たちが来ることに意味があります。トップが来ても技術を持て余すことになり、北米社会では通用しない現実があります。それよりは、臨機応変に柔軟な発想と打たれ強い精神を持っている人の方が、北米社会では成功します。

 

-労働をするためには大きな壁がある-

 北米に自分たちの持っている技術を広めるためには、ここでの労働ビザもしくは永住権の資格を取る必要があります。この問題を解決しないと、次に進むことは出来ません。自己資金を使って、海外に起業する方法(投資移民)もありますが、近年は額が上がり1億以上の投資(起業して、従業員を雇う)をしないと投資移民の申請をすることはできません。かつては、3000万ぐらいの額で投資でも永住権を取ることが出来ました。
 その他の方法は、現地の会社に入って労働ビザをもらい、数年後に永住権を申請する方法があります。この方が、建設的で自分の努力次第で、移民になれる方法です。基本的に、この方法であれば誰でも努力をすれば移民になれます。まずここで働くために、労働ビザを出してくれるスポンサーを探すところからはじめます。雇ってくれることが決まれば、会社からワーク・ビザを出してもらいます。そこで、2~3年働いて移民申請して、永住権を取得する方法です。 
 30代以下であれば、ワーキングホリデーのシステムを活用することを勧めます。このビザは、どこでも働くことができるビザが1年間でるので、その間に自分に合った職場(ワーク・ビザを出してくれるところ)を捜します。若いときに、海外で働くことを視野に入れた人生設計をしているのであれば、ワーキングホリデービザを取得して働き移民を取ることを勧めます。このやり方が、一番自分の能力が試され、誰にでも移民の道が切り開けるプロセスの1つです。お金がないから永住権をあきらめる必要はありません。(技術があれば、現地で時間をお金に変えればいいだけの話しです。)
 いずれにせよ、海外で働くということは昔ほどハードルが高いものではなくなりました。情報が、すぐに飛び交う時代になったいまこそ、昭和や平成の働き方をするのではなく、世界に視野を向けて「時間をお金にする」行動力を持つべきです。

 

-三徳オフィスは、日本の技術者とVancouverの経営者のマッチングを開始-

 今回は、バンクーバーではなくウィスラーという高級リゾートですが、料理人数名と大工さんを数名探しています。
 最低賃金は、18ドル/1時間 スタートですが、高い技術やマネージャー職になれば、給与体系は変わってきます。そして、週5日労働の年間7日の有休もあるので、日本よりか労働環境はいいです。
 本来は、アコモデーション(住まい)などは自分たちで探し、経営者はそこまでのケアーはしませんが、今回の仕事場は、住まいも完備されているので体1つで海外に渡って仕事ができる環境になっています。海外で大変なのは、住まい探しです。通常は、ホームステイやホテルで宿泊をして住まいを捜します。そして、家具などを新調するので、出費と労力だけで疲れてしまい、仕事に支障がでます。それが、今回の場所は仕事と住まいが1つのセットになっているので、非常に無駄な出費と労力を使わないで済みます。そして、賃金も高いので貯金も出来ます。日本の飲食業界は、低賃金と労働時間が長いので将来性がない仕事の1つになっています。それが、カナダでは賃金の保障と労働時間の規制がはっきりしているので、日本のようにサービス残業は基本的にはありません。
 個人の能力を高める場にもなります。他人種と仕事をするので、コミュニケーションは英語になるので、意思表示や相手に伝える言語空間は、嫌いでも勉強にもなります。意味のない語学学校で勉強をするのをやめ、実践英語を現場ですることで、コミュニケーション能力を高めことができます。いま、日本人の徹底的に弱い力は、コミュニケーション能力です。前にも書きましたが、学校に行くことが目的になってしまって、現場で活用できない学業信仰が日本人のメンタルの中に内蔵しています。それを脱する意味でも、30~50代が次の新しい日本人の生き方を切り開くことをしてもいいと思っています。これこそが、「時間をお金にする行為」です。学校に行って、時間と学費に浪費するのではなく、「労働を投資して英語を勉強する」行為が、時間軸と金銭軸で実利を取って行く方法です。それに加えて、日本は通勤ラッシュで時間や体力や精神を消耗する現実があります。もっと、時間軸を有意義に使っていくことも大事なことだと思っています。ここでの仕事は、住まいと仕事場がすぐなので通勤時間に時間は取られません。その無駄な時間を省くだけでも、生き方がすごく変わってきます。

 上の写真は、仕事場のビルから撮った写真です。目の前に、ウィスラーのスキー場があり大自然の中に街がある環境になっています。
 
 下の写真は、下宿用のリビングです。各部屋によって違いますが、こんな家具が付いているので、ルームメイトたちと話が出来る空間があります。そして、各自個室が用意されているので、自分たちのプライバシーは守られる状態になっています。

 給料や勤務形態は、料理部門と建築部門によって違います。レストランも6店舗を保有しているので、どのレストランで働くかで、時間帯も変わってきます。
 料理部門では、居酒屋の日本食を作れる人で、人を管理できる店長候補を探しています。店長のポジションになれば、最低でも4万ドル+ボーナス(カナダドル)は保証します。実績を出せば、次年度の契約は5万ドル~6万ドルの契約を結ぶことができます。それに加えて、チップが加算されるので日本で仕事をするよりかは、はるかに待遇された環境になっています。

 人生をもう一度リセットしたい人は、環境から変えることで、再スタートすることができます。自分で限界を決めなければ、人生はいろんな形に変容します。そして、日々の努力をすることで、今まで見てこなかった世界が広がります。いまの30~50代は、現状の日本社会に安全安牌の既定路線を引くことにやけになっていますが、壊れてしまった羅針盤に正確なゴールを設定することは出来ません。大きな荒波の中を航海しているのが人生です。予測不能な時代がはじまったからこそ、「何を切り・何を残すのか」取捨選択の決定が、個人の人生の方向を決めます。小さな光を、自分の人生の側につけるかは、その人の天命であります。コロナ後の世界は、すべての秩序が壊れ日本人一人一人に、大きなチャンスが転がっているのは間違いありません。

興味ある方は、精神学協会事務局にメールでご連絡ください。