歴史から抹消してしまった国防と国益 92
日本の農耕文化は、世界を席巻する 上
「寿司が世界を席巻した理由」と「人類の味覚脳」
日本の食文化の浸透は、異文化を飛び越えて凄まじい勢いで他民族の生活の一部になっていきました。1995年に渡加したとき、多くの人は寿司を嫌悪感で見ていました。当時、私は昼間は寿司屋で働いて夜は移民の夜間学校に通っていました。そこには、台湾・東ヨーロッパ人・南米・香港と多岐の生活文化を持っている人が、仕事が終わって学校に集まってきました。そこは、生活の匂いがあり勉強だけをしている語学学校の学生とは違う空間でした。生徒の年齢も高く50代の人もいて、いろいろな職種の人が集まって英語を学ぶ傍ら、交流の場でもありました。その学校の最後の日に、先生への感謝と学友のお別れ会を兼ねて、小さなパーティーをしました。そのときに、学友の数人が寿司を食べたいということになり、寿司を持って行くことになりました。
ここで面白かったのは、これまで寿司と無縁の人たちが、疑惑の目でじっと寿司を見ていて、「これは、美味しいものか?」「自分は食べられるか?」と聞きながら、恐る恐る口に運んでいる光景でした。しかし、一瞬で表情が変わりました。
その当時は、寿司と言ったら生魚を連想し「野蛮な食べ物」と捉える人たちの方が多かったです。いまでこそ中国人は、寿司を当たり前のように食べる時代になりましたが、30年前は香港人や台湾人も抵抗を持っていた人も多く、ほとんどの人たちは食べていませんでした。スロバキアから来た人たちは、寿司という概念すら持っていませんでした。その彼らが、カリフォルニア・ロールやお稲荷さんやカッパ巻きや太巻きを口にしたときに、険しい顔から豊かな表情になった瞬間は忘れることができません。そして、あっという間に寿司はなくなりました。
ほとんどの学友が「こんなに美味しいものがあるのか!」という歓喜にわいたさよなら会になりました。スロバキアの女性にいたっては、「君と会っていなかったら、寿司は食べていなかった」と言われました。いまでは当たり前になっていることが、30年前には怪異として見られていました。
30年前は、「寿司=野蛮な食事」という雰囲気の方が強かったです。北米の国民食は、ポテトやステーキやバーガーが中心で、パンが主食でお米を主食にしている人たちは少なかったです。加えて、魚介を食べる人種も少なく大手のスーパーでも鮮魚売り場は、隅にあるぐらいでした。(中国系の人たちは、米も魚介も食べていたので中華系のスーパーにはありました。そこで、自分たちの食材を調達していました。)今でこそ中華系(本土・台湾・香港を含む)は、寿司を好んで食べる時代になりました。かつては、生で食べることに抵抗を持っていたので、寿司に対しての拒絶は強く持っていました。そんな時代を知っている身としては、こんなにまで寿司が異文化の中に入っていくなんて、想像もしていませんでした。いまや寿司は、市民権をとりカナダを代表する食文化になりました。あるカナダの小学校では、学校の先生が生徒に
「カナダのソウルフードは何ですか?」
と聞いたところ、カナダの子供たちが
「寿司」
と答えるそんな時代になりました。時の流れが、ここまで大きく人の価値観を変えて、社会そのものを変えてしまいました。(メトロ・バンクーバーは、いま一番多いレストランは寿司屋になりました。)
いまや異文化の味覚脳が、日本食を食べたことによって人種を超えて世界共通の味覚脳に向かっていることです。ただ単に、「寿司」「天ぷら」「ラーメン」「日本酒」が世界で人気があると見るのではなく、「文明の衝突」ではなく「文明の浸透」が起きていて、日本の味覚脳に向かって動いていることです。これをただのマーケット論として見るのではなく、文明の浸透とみると全く世界観が変わってきます。実は、次の日本人の進むべき未来は、異文化に日本文明の浸透をさせて、世界の化学反応をさせることだと思っています。そうすると、仕事のカタチも変わり個人の死生観も全く違うものになって行きます。
次に世界を席巻するのは日本の農耕文化がくる
これまで、日本の食文化は寿司ではじまり「天ぷら」や「日本酒」など世界の人たちを魅了してきました。最近は、ラーメンが異文化の人たちの味覚脳を席巻しています。そして、その食べ物だけでなく作るストーリーや食文化にも彼らは興味を持って探求をしています。日本人にとってみれば仕事としている寿司屋やラーメン屋や酒造所は、彼らにとっては文化として見ています。そして、日本文化の世界への浸透は、民族や人種の障壁を気にせず老若男女の興味(心)に溶け込んでいます。多くの日本人は、その事実を理解せず単純にビジネスとして見ています。
その視野をもっと広くして文明論としてみると、民族の食事は文化・文明そのものです。異文化や他民族の障壁は、文化や文明で分けられて異質な文化を理解させていくことは困難なことでもあります。その障壁を日本の食文化はボーダレスにして、他民族に受け入れられるすごい力が内包しています。これを経済だけで見ると、安い価値でしかみえませんが文明論で見ると全く違う世の中として見えます。
文明論と日常生活のレイヤーを重ねてみると、日本文明の浸透が異文化の生活を豊かにする力を持っているとするならば、他の仕事もその可能性を持っていることになります。そうすると食文化の先には、農耕文化に突き当たります。次の日本人の主戦場は、農業であり異文化や民族を超えて人を豊かにする日本の農耕文化の輸出だと見ています。
多くの日本人は、農業を産業として捉えていて国内でとれた農産物を、海外に輸出し貿易で日本農業の向上を考えています。それも1つの方法ではありますが、農耕文化の輸出となると、さらに上のレベルの文明の浸透になっていきます。現地で生産をして現地で消費する仕組みを作ると、日本食や包丁で起きた文明の浸透がはじまり、現地の人たちを豊かにする仕組みに変わっていきます。
加えて、海外で日本人が活躍することで、日本人の復活にも繋がっていきます。日本国内では社会の閉塞感と先の見えない世の中に、迷走している人が多く精神を壊している人たちが増えています。精神的発想の展開をすることで、若い時に得た技術が海外で復活することにも繋がります。
近代文明の歴史は、侵略と占領で世界を動かしてきました。ヨーロッパ文明は、農業を農奴の仕事としてきた歴史があり、中東やアフリカでは食料を強奪や搾取をすることが前提になっています。アメリカは、奴隷貿易と農奴から国が発展してきました。その歴史を見ても日本の農耕文化は、大陸の歴史や価値観とはまったく違う流れから成り立っています。
さらに、これからAIの発達とともに農業は進化していきます。日本人は、ロボティクスと相性は良く、AIとの共存を平和にする術(すべ)を知っています。この数年で、農業をAIとのハイブリットでする時代が主流になります。
いまの農業は、3K(キツイ・汚い・金にならない)と思っている人は多く若い人たちは農業に興味を示しません。しかし、AIが入ってくると凄まじい勢いで技術革新になり、いままでの農業は全く違うものになって行きます。18世紀の産業革命で生活習慣がかわったように、AI革命は人の生活と労働価値観を変えていきます。少なくとも、マニュファクチャ(手工業)からクリエイティブなカタチに変わっていきます。
AI技術者と農耕技術者(農家)の新しい組み合わせによって、サービス業の時代から新産業の時代に、とって代わるでしょう。AIが発展していけば、農業は第一産業と第二産業と第三産業のハイブリッドの産業に変わっていきます。いままで「キツイ・汚い・金にならない」から「クリエイティブ・クリーン・お金になる」の産業になり、農業の第二次・第三次産業は淘汰されていくでしょう。
さらに、日本の農業は国内市場だけでなく、海外に出ていく時代がはじまります。国土の狭い日本でするのではなく、北米大陸などの広大な土地ですることで、日本人のDNAのもの作り精神の復活がはじまると見ています。