賀 正
―2022年から世界が大きく変わる―

あけましておめでとうございます。2022年を境に、大きな時代の流れがはじまります。この2年コロナによって、通常生活や経済活動がまともに出来ず制約の中で、苦しんできた人たちが大半だと思います。しかし、武漢ウィルスは3~4月あたりから収束宣言に向かっていくと思います。いまオミクロン株という新型のウィルスによって混迷していますが、感染力は強いものの弱毒性になってきているので、通常の風邪に近づいていると見ていいでしょう。メディアと国は過剰に危険を煽り、ワクチン接種3回~4回を推奨していますが、その必要性はないと見ています。エビデンスがない接種肯定論は、大衆扇動をして個の心の中に入り、正論であるかのような世論を作っています。いま北米では、若年層(5~17歳児)まで接種をしていますが、実証データがない状況の中で接種をしています。もはや、ワクチンゼネコンの既得権と国の癒着がマネ―ゲームになってきているように見えます。このワクチン接種は、人類にとって何が待っているのか誰も解りません。ただし、いま解ることは集団感染が終わり、コロナは通常の風邪と同じレベルになってきているということです。特に、日本は他国に比べて感染者数はダントツに少なく、重篤患者を出さずに非常に感染対策が出来た国家であることは間違いありません。この事実は、検証をして国民に伝えることが必要だと思っています。今年からは、世界は次のステージに変わって動き始めます。

 これから、世界はどのように動くのか? 北米やヨーロッパ圏の先進国は、2年間の空洞化になった経済活動を埋め合わせる、大きなアクションを起こします。その1つが、産業構造を古いものから新しいものに変えていく、インフラ設備のイノベーションです。その1つが、「カーボンニュートラル(脱炭素社会・温室効果ガスの排出ゼロにする」という新しい言葉でもわかるように、エネルギー革命がはじまろうとしています。なぜ、突如として出てきたのか? その背景は、ヨーロッパ経済連合が北米・日本・中国の経済活動を停滞させるような政策を打ち出し、ヨーロッパ経済を守るために新しい秩序を作ろうとしているのが、あのカーボンニュートラルという仕組みです。この仕組みは、アメリカや中国の炭素の排出が高い国に対しての牽制であり、経済力を活性化させない枠組みでもあります。そして、日本においては自動車産業と基幹産業を壊す政策でもあります。ここにきて電気自動車の普及、化石燃料から電気に移すための社会インフラのイノベーションが進み、日本でもエネルギー改革がはじまろうとしています。
 この流れを慎重に見ておかないと、国をさらに間違った方向に進める原因になります。海外から見ていて日本の政治や「国づくり」において不思議に思うことは、「なぜ、日本国が勝てない国づくりをしようとするのか?」。さらに言えば、日本の産業復興ができ機会であるにも関わらず、常に国家を弱体化していく方向に進めることを自らしていることです。その代表例が、このカーボンニュートラルの仕組みです。この状況で提示指標にするということは、日本の基幹産業が壊されて国内を貧困化にして、最先端の技術が海外に流失してしまう危険な政策になっています。
 小泉元環境大臣が、カーボンニュートラルを発したときに、すぐにトヨタ自動車の豊田章男社長が、「一部の政治家から全てをEVにすれば良いとの声を聞くが、それは違う。」と発言しました。その後に、自工会は電動化によって「550万人の大半の雇用を失う」とも声明を出しました。
 この問題の核心部分は、電気自動車を推進することは電気の供給量も足りなくなり、電気料金が輪をかけて値上げをするということです。日本の電気価格は、北米と比べても高額でもあるにも関わらず石油から電気にシフトしていくということは、さらに日本の産業構造を弱体化させると同時に、貧困層をさらに増やしていくことに繋がっていきます。(電気は、社会インフラなので誰もが使う必需品です。その需要量が上がれば、料金が上がり家計費をひっ迫します。当然、可処分所得の差ができ富裕層と貧困の格差がさらに広がっていきます。)いまの日本は、原子力発電所を止めたことによって電気料金が上がり庶民の生活を圧迫して、総電力量がどうにか足りている状況になっています。電気自動車の電力需要が加算されれば、電力が足りない事態にすらなります。
 なぜ日本は、根幹の問題にメスを入れて産業改革をしていかないのか? 今回のカーボンニュートラルは、官民が一体となって電気料金を下げる仕組みを作ることで、日本の電力権益を再編することでもあります。電気料金を下げることができれば、外国に出ていった産業を呼び戻し自国生産に切り替えることが出来ます。それは、日本人の雇用が生まれ国民所得を上げることにもつながります。産業の空洞化の問題は、1990年代からはじまり日本からお金が流出して、日本人が貧困化し働く場を失くしてきた仕組みです。その構造を作ったのは、米国による円高によって当時の政府と経団連が中心になり、日本の国力を弱めていきました。
 なぜ、海外に産業が出ていったのか? その1つの要因は、円高と光熱費の高価格の問題です。日本のようにエネルギーが高いと、生産コストが高く他国と競争が出来ないような産業構造を作ってしまいました。ここで、エネルギー改革をして電気料金を落とすことが出来れば、生産コストを落とし「Made in Japan」が復活して国際競争に勝てるプラット・フォームが出来ます。さらに、いま日本の人件費は下がっているので国内生産にする方が、企業にとってもメリットになり、国富が貯まる仕組みになります。
 2022年から、日本は国内生産に産業構造をシフトして、海外に「Made in Japan」の製品を出す仕組みに変えていくことを官民一体で進めていくべきです。いまだに経団連を中心にした経済界は、中国や外国にサプライチェーンを持ち古い仕組みの中でキャッシュフローをさせていますが、このコンテンツは国益を損ねる仕組みになっています。
 そして、なによりも世界は経済のブロック化がまた起こる空気になっています。そのときに、日本はブロック経済になっても国が生き残れる国家体制になっているのか? 半導体でもわかるように、1つの部品が止まると通常生活が出来ないということにもつながります。(半導体の物流がとまることで、車や家庭用の湯沸かし器<ボイラー>などの生産が出来なくなっている。納期が遅れて、直接庶民生活にも影響が出ている。)
 いま、日本は海洋資源に力を入れてメタンハイドレードや熱水鉱床の採掘に力を入れて、資源大国になろうとしています。この採掘が技術革新によって、エネルギーや鉱物資源が世界の標準価格になれば、資源大国になることは間違いありません。日本には、精密にモノを作る技術と想像力があります。そこに、自前のエネルギー確保と資源確保が出来れば、外国の勢力によって支配されることが無くなります。そして、国を導くリーダーが決断を間違わなければ、日本という国は「黄金の国」としてよみがえります。しかし、現状は政財界のトップは、未来の日本を想像することが出来ないどころか、日本を亡国に進めていることが一番の問題です。
 先ほどの車の話しに戻れば、日本の自動車メーカーは電気自動車にすることは、簡単であり技術的なところでは問題ありません。テスラが注目されていますが、あれ以上の車を作ることができます。では、なぜ電気自動車を中心にした社会にしないのか? その理由は、電気自動車になれば多くの下請け会社がつぶれ大量の失業者が出るからです。(ガソリン車で扱うパーツが3万部品、電気になれば2万部品になり扱わない技術や製品が出ることは避けられないからです。)
 それに加えて、エネルギーの問題もあります。電気を中心にした社会にすれば、需要と供給の関係で電気料金が高額になり、海洋資源が実用化されるまでに日本人は貧困な生活を強いるということになってしまいます。いまですら、中間層が激減し貧困層が増えているにもかかわらず、貧困化が悪化すれば外国資本が日本国内に入り、日本経済が外国人によって支配される社会にすらなります。
 カーボンニュートラルをするということは、自動車産業や製造業だけが変わればいいという話しではなく、エネルギーの産業構造改革でもあります。そして、法設備が古くなっている問題にもぶつかります。まずは、低コストで提供できるエネルギーにして、弱体化された生産業を強靭化にして、日本人が誇りある労働意欲を持て働ける国に設計することです。いままで海外に取られていた技術や技術者を戻し、日本から流出していた英知を留めることこそが、国を豊かにしていくことに繋がります。

 このカーボンニュートラルの問題は、環境問題の話しではなく日本の基幹産業の話しであります。日本は、国際競争において長期戦略を持っていけば、勝つことが出来るものばかりが日本には眠っています。その事実を理解していないのが、日本人自身であるということ。他国の人たちは、日本人の弱点をよく知っています。ガイアツを使うことによって、誘導し価値あるものを盗るというのが世界の常識です。いつでも、その状況に振り回されて自分たちの価値を見失い、間違った政策や決断をしてきたのが戦後の日本という国です。そろそろ、一人一人が覚醒して世界の常識を知るべきです。「みんな仲良く」という全体主義でなく、独立した精神を持つことでこの国は復活をします。そして、日本の国益を守ることは、自分たちの生活を守ることであり貧困化社会にしないということです。その因果関係を理解しないと、これからも沈みゆく舟の中での生活を強いることになります。そこには、閉塞感と貧困が混在した社会になり、自己の生活をするだけで未来を創造する力は生まれてきません。国益という概念は、決して日常生活から離れたものではありません。これから、国家観と民族観を柱にした「国づくり」がより求められます。世界は、民族生存競争に向かって進んでいきます。
 日本人は、日本文化と精神を蘇らせることで、コロナによって壊された社会を作り直す術を持っています。いま生活苦に絶望し、人生の限界を感じ諦めている人たちは、負の精神を拭い捨て「勤労・勤勉」精神に立ち返ってください。これから、大きな変革の時代がはじまります。そして、新しい世界を見ることが出来ることに興味と関心を抱いてください。その好奇心と歴史の証人になれる喜びを持てば、まったく世界観が変わります。いま、その過渡期に入ろうとしています。