歴史から抹消してしまった国防と国益 Ⅵ
―コロナ禍から見えてきた日本の姿―

 日本の知識人の討論する番組を見ていると、不思議に思うことがいくつもある。そこで話していることは、「五輪が成功か失敗か」の話しになり「コロナ対策の失敗」の話しになり、国のガバナンスが成っていないことに話しを結び付けて、核心の問いに触れることなく知識のお披露目会ばかりしているように見えてしまう。確かに、言っている内容を見れば指摘そのものは間違っていないこともあり、意見そのものは正論に見えてしまいます。しかし、どこか他人に責任を押し付けて、日本全体が他力本願で社会を回そうとしているようにも見えます。事実だけをみれば、コロナの対応の遅れや結果に結びつかず、多くの人は不満に感じたと思います。しかし、その反面テロからの攻撃や感染爆発して死亡者数と重篤者数が増えなかった状況を見ると、プラスの要因も多くありました。
 世界はどう見ていたのか? 日本という国が、この状況下の中で安定した秩序と誰一人選手に重篤者や死亡者を出さなかったことに、日本の国力を世界に示せた一幕でもありました。この状況下で、国際大会を開催出来る経済力と治安の安定した国が、他にあったでしょうか? メディアは、意図的に報じないのかポピュリズムに迎合することばかりしているのか、解りませんが、日本のもうひとつの側面を知る必要があると思います。国際社会において、信頼ある国と誠実な民族であることを発信できたことは間違いありません。
 いまの日本のメディア報道を見ていると、マイナスのことばかり報道して達成したことやプラスのことを言わない不思議な言論空間になっています。そのオールドメディアが作った生活空間によって、自分たちを見失ってしまい必要以上に日本社会をどんより曇らせています。この数日、日本の知識人の意見を聞いていると、論点のすり替えと問題認識が世界とズレていることを感じます。
 日本国内では、「五輪が成功か否か」や「コロナ対応が出来たか否か」という問題ばかりを取り上げて「首相の統治能力がない」ことばかり全体の空気になっていますが、本当の日本の大きな問題は違うところにあることにあります。それは、日本にはトップダウンによる国家権力で統制するという機能がないということです。さらに言うと、有事の時に国を守る仕組みを持っていないことです。簡単に、「ロックダウン」を口にする知識人はいますが、いまの日本の法設備ではそれは出来ません。憲法には、有事対応の文言がなく国という単位で動かすことができないのが、いまの日本の国の姿です。それが、コロナによって明確にされました。ひとつの例で言えば、外出禁止令を法で定めることも出来ず、自粛要請でしか人流をコントロールするしか出来ない仕組みになっています。外食産業の営業時間を短縮させ、酒の販売に規制をかけて人流をとめることしか出来ないのが、いまの日本の統治能力の限界です。日本は、エボラ出血熱のような致死率が高いウィルスが国内に入ってきても、ロックダウンや町を隔離する仕組みを持っていません。
 これを見てもわかるように、敗戦後の日本の統治機構が歪なものであったのかが解ります。そもそも日本人には、有事や臨戦態勢のときにはどのように統治をするのか、人知が無くなってしまいました。それによって、他国では当たり前に行われているトップダウンで国を動かす機能が、日本には無く歪な全体主義と平等主義だけが、日本の統治機関を牛耳り身動きの出来ない国家になってしまいました。多くの知識人は、権力の集中やトップダウンで権限をひとつにすることを明言せず、避けて議論する不思議な社会になってしまいました。トップダウンの仕組みにするということは、迅速性と結果を出すことが問われるので、権力の集中につながり軍との関係が密接にした統治機構にもなります。
 海外から、他国のコロナ対応を伝えてきましたが、ほとんどの国は軍事オプションで国家運営をしてきました。日本だけが、軍事オプションを柱にした政策をしないで、コロナ対応にあたり通常の国家運営をしてきました。不思議なのは、メディアを含めて有識者と言われる人たちが、ほとんどその事実を言及せずに政府批判や国家運営批判をして、煙に巻いた議論ばかりをして軍による国防の視点がない机上の空論になっていることです。
 いままでは、日常生活において生死の局面を統治機関に問われる場面はありませんでした。国会や地方議会は、無能な人間でも政治家になることができ「統治・自治・安全保障」という概念を持っていなくても、務まった仕事でした。しかし、今回のような有事のときに統治の意味(政治家の職責)が問われました。口だけの政治家か有能な政治家なのか分別ができたことは間違いありません。政治家や役人は、莫大な費用と時間を使い住民生活を豊かにする責務を怠り、前例主義にだけ固執するという無意味なシステムと無能な集団で構成されている統治機関になってしまいました。国会や地方議会は、縦割り行政と柱になる政策もなく会議(言論)だけで世の中を回そうとする不思議な社会そのものが閉塞社会につながってしまいました。
 海外から見ていてすごく不思議に思うのは、日本の研究機関や役人は緻密な基礎データを取りながらも、なぜそれを活用しないのか? 2011年のときも似たようなことがありました。3.11の福島の大震災の時に、放射線量をSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)で放射性物質の拡散予測のデータを持っていながらも住民の生活には活用されず、データを取るだけで終わってしまい住民自治とアカデミックが繋がっていないことが判明しまいました。(地震後もSPEEDIの拡散予測に必要な気象データは、運用機関の原子力安全技術センター(NUSTEC)が文部科学省、原子力安全・保安院などが、様々な条件で予測計算を行っていた。データは、3月14日以降、米軍、在日米国大使館、米原子力規制委員会(NRC)にも提供されていた。100億以上の国費を投じて、作られたシステムである。)このようなことが、日本には多分にしてあります。
 なぜ、医療機関・アカデミック・政治機関が基礎データを読み解き政策を作らないのか不思議に思いながら見ています。アカデミックと統治と生活を断絶することばかりして、何のために莫大な研究費用を投じているのか解りません。そして、科学的根拠のない政策ばかりをして、通常社会に戻すことを阻んでいる政治をしています。それが、外食産業の時間規制や酒類の販売規制につながっています。感染拡大の一番の要因が家庭であることが、科学データで明らかになっているのも関わらず、外食規制をする意味不明な政治をしました。それに加えて、今回の五輪の無観客試合に関しても、高校野球やプロ野球では有観客にしているにも関わらず、なぜ五輪は有観客にしなかったのか? 整合性に合わない統治が、庶民の政治不信と怒りがつながっています。なんのために、血税を使い研究をしているのか? 本来、学者や研究者は非常事態に備えてデータをとり、幾つものシミュレーションをして社会に貢献する立場であるはずですが、ほとんどの学者は沈黙をして、まっとうな意見を示さないという不思議な閉塞社会になってしまいました。そして、メディアは政権批判をする道具として、メディアの御用学者(去年、「対策をしなければ最悪40万以上死亡する」という基礎データを無視した学者が世論を作った。)を担ぎ出し、事実とはかけ離れた主張をさせて政治を混乱させる最悪な状態を作り出しました。
 本来、メディアは政治権力のチェック機関であり、真実を伝える役割を職務としているにも関わらず、まったく機能しない集団になってしまいました。報道利権を守るために、真実とはかけはれた虚偽報道と日本社会の分断をする行為にしかなっていません。いま、日本をダメにしているのは言論空間で、現実とは乖離した社会を作り、まっとうな人知で考えられない社会になっています。これは要するに、敗戦後続いた歪な精神によって、日本人が日本人でなくなってしまったということです。

 

―軍事オプションと民主主義―

 年配の方やリベラル思想を信奉している人は、その言葉を聞いただけでアレルギーになり否定する傾向がありますが。しかし、今回世界の状況を見ていてよく解ったことは、民族や国(文化や歴史)を残すために国家は何をするのか、根本の仕組み(生存権を柱とした国づくり)は軍や軍事オプションからなっていることです。それをなくして、国を守れないということをまざまざと見せつけられました。軍事オプションにするということは、通常状態でないときに指揮系統を一本化にして、統治機関をシンプルにするということです。
 国境の開閉が、一番よく解ります。9.11のときもそうでしたが、今回もカナダ・アメリカは一瞬にして、国境を閉めてしまいました。トップダウンによって突如、いままでの機能を止めて通常時の法から有事法に切り替えて、経済と人流を止めてしまう政治は、いまの日本人の人知では理解できない世界です。空港や港湾には、軍事オプションで感染対策のガイドラインを引き、一瞬にして臨戦態勢にして国防体制に入りました。
 はたしていまの日本で、それができるのか? コロナ禍でもそうですが、各省庁や民間(日本で言えば、国土交通省や法務省や経団連)の意見に耳を傾けて、それぞれの立場や状況を理解した上で、相互の間を取るという不思議な全体主義の政治をしているのが、いまの日本の政治です。常に、前例主義にとらわれてトップからの指示で、超法規的(通常時の法律や常識をすべて無にする法規)な処置を一瞬で決断できない仕組みになっています。
 今回、アメリカ・カナダの政治を見ていて、どのようなプロセスで決まり反対意見との調整はどうなっているのか理解する間もなく、突如、法の執行がはじまりました。あまりにも突然のことであり、国民もよく理解していなかったと思います。国外に住んでいた人や海外ビジネスをしている人たちは、敏感に反応して執行される期限まえに空港に殺到して、自国に帰ることを一斉にはじめました。
 現地メディアを見ていて感じたことは、政策に反対するメディアはなく、現状を報道するメディアしかありませんでした。(報道から流れてくる映像は、空港に押し寄せる人と陸続きの国境で渋滞している車の映像でした。そして、有事法の詳細と違反したものに罰則規定があることを報道していました。)施行期日からは、行動規制がはじまり(場所によっては、ロックダウンがはじまりました。)違反した者には、罰金刑になった現場の映像を流し臨戦状態を、官が主導のもとに社会を作っていきました。そこには、通常時の民主主義の手続きもなく権力の集中と単一の指揮系統になりました。しかし、これが独裁なのか? 日本では、有事の時に個人の議論や答弁を重視して、行動が出来ない国家運営や自治運営になっています。敗戦後の日本は、統治と国防の関係を持たないで社会を作ってきました。それによって、緊急時において「生存権」をどのようにとらえるのかが明確になく、常に役人や有識者の前例主義を重視して、ひとつに権力に絞ることが出来ない国家になってしまいました。軍事オプションとは何なのか? 戦争を起こすことが目的でなく、国家(民族・領土・主権)をどのように守り、瞬時に生存権に立ち返るオプションが軍事オプションだと思っています。下記を読み解くと、軍事オプションの意味がよく見えてきます。

 Principle of War プリンシプル オブ ワォー (戦争の原則)

    軍事学の基本で、戦争に勝つための原理・原則です。
    Mass(軍事力の大きさ)

  • 量だけでなく質も上げ質量ともに揃える。いくら旧式の武器を大量に持っていても意味がない。
  • Unity of Command(単一の指示系統)

  • 戦時に、総大将が二人いたら戦前は大混乱に陥る。サッカーの試合に監督が二人いて同時に指揮をしたら、混乱して試合にはならない。
  • Simplicity (単純・明快)

  • なんでも単純にする。複雑な作戦や戦術は使わない。
  • Surprise (奇襲)

  • 真珠湾や湾岸戦争は、奇襲攻撃によって先勝をしている。
  • Security(安全保障)

  • 陰謀を含めた、敵に奇襲攻撃をさせない安全保障。
  • Objection (目的)

  • 戦争をする目的
  • Economy of Force(適正な兵力の投射・資金面による力の配分)

  • 金の切れ目は敗戦のはじまりとなるので、資金と適正な兵力の投射。
  • Offensive (攻撃)
    Defensive (防衛)
    Maneuver (動機作戦)

  • ボクシングでも、単純に前に攻めるのだけでなく左右に動き、フェイントをかけながらタミングをみて技を出す。

 各国の国や自治を預かる者は、すべてこのセオリーを持って政治をしています。日本においては、多くの政治
家や役人はその発想を持って政治をしている人はいません。(一部の政治家や役人を除いて。)日本人が、敗戦後信じてきた「平和信仰」が政治力を弱めて、国づくりのグランドデザインが世界とはかけ離れているのは、ここにあります。国民感情の中に、軍事アレルギーも作用して「軍」と聞くと、人を殺傷するオプション(国家権力によって、権利・権限の集約)に見えて、そこから先の思考を止めてしまうというのが、いまの日本人の思考回路です。今回のコロナ対応で、各国と差が出たのは、この思考を持っている人が少なかったからです。そして、政治家にこの発想を持っていたら、日本の政策はもっと変わったと思います。
 たった一文字、「軍」から「医療」という言葉にして医療オプションにして政策を組み立てるだけで、まったく違ったオプションになります。そして、6の組み合わせるだけで、感染症の対応が出来てしまいます。しかも、日本には人・技術・インフラすべて物理的なものは整っているにも関わらず、唯一、法の仕組みだけが整っていないという不思議な国家になっていました。いま、日本にある医療インフラを100%機能させるだけで、問題はすぐに解決します。 

 医療オプション

  1. 「Mass 質量」を見ると、日本には医療機関の数と質ともに先進国の中ではダントツの1番になります。病床数を見ても、日本の医療インフラの吐出は世界が驚愕するレベルです。
  2. 「Unity of Command 単一の指示系統」、これが一番の日本の問題であります。尾身会長という何もしない人材に、権限と発言権を持たしてメディアを使ったツートップにしていることが、最大の問題です。これは、安倍政権と菅政権は首相に権限を一本にして政策をするべきだった。一本化された方向を、メディアに流すべきであった。
  3. 「Simplicity 単純・明快。なんでも単純にする」 もっと、データに基づいた政策を作り単純明快にすることです。人流を動かすのか止めるのか、わかりにくい政策になっている。規制を緩和するならば、外食産業の営業時間の規制をするのではなく、感染者が出たときの対応と情報公開だけはする。感染者が出たときには、店の公開と従業員と来店客に検査を受けさせる。
  4. 「Security 安全保障」 国境の開閉を明確にして、無闇やたらに外国から人を入れない。入国するときには、2週間の政府指定のホテルに隔離する。この2週間は、安全が確保できるまでは外出はさせない。
  5. 「Objection 目的」 感染症をゼロにするのではなく、治療と感染抑制をして通常生活にする。
  6. 「Economy of Force 適正な医療を投入・資金面の配分」 ワクチン接種と治療体制を整えて、感染しても入院出来る体制にする。そのために、国が税金を投入して医療機関に資金を投入する。

 では、「なぜこの組み合わせができないのか?」 確かに、現行法では出来ない仕組みになっています。しかし、現行法でも上の条件に近いことは出来ます。
 いま、日本のガバナンスの大きな問題は、2・3・4が出来ないことです。有事の時には、首相に権利と権限を持たせて絶対的な指示系統を1本化にすることです。それをすることによって、日本のかたちが大きく変わっていきます。いままでの日本の国づくりを停滞させている要因は、以下の3つです。

  • 政治家(地方議会も含めて)・役人が有事時の安全保障の概念を持っていないということです。
  • マスメディアが安全保障の概念がないまま権力批判ばかりをして正確な現状を伝えていないことです。
  • 3つ目は、古い仕組みになっている縦割り行政と既得権益団体が、各所の利権(省益・既得権)ばかり誇示して国益という概念で国を機能させない仕組みになっているということです。

 前例主義ばかりに捉われて、大きな改革も出来なければ組織のトップ(各省大臣・知事・市町村長)が、現状を理解していないことが一番の問題だったと思います。古い省益や地方自治の古い権益(医師会や農協など)を壊すことが出来ず、新しい仕組みに組み立てることが出来ことが、いまの日本の停滞になっている要因です。今回は、厚生労働省と日本医師会は国益を損ねた仕組みで、その岩盤規制が大きな壁になっていました。(菅首相は、その現状の中で超法規的な処置を取って、ワクチン接種を医師や看護師以外の歯科医にも打てるようにしました。自衛隊に要請し広域接種をはじめました。そして、各社に要請して職域接種などを展開して厚労省と医師会の岩盤規制を壊していきました。本来は、これはすごい改革で日本のメディアは、ここを報道すべきである。)メディアは、大衆を煽る報道をして政権は何もしていないようなことを流し、世論誘導を行いました。メディアの最大の問題は、国内で起きている事実とは違うことを、伝えたことにあります。ミスリードをした言論空間を作り、大衆を間違った認識に洗脳し政治も世論に引きずられて、おかしな政策しか出てこない現状になっています。日本社会の闇は、オールドメディアが政権を批判して、政治を身動きできなくして世論誘導している不思議な社会空間を作っていることです。そろそろ、その実態に気づく日本人が多く出てくる必要があると思います。

 毎度、同じことを言いますが日本はコロナ感染に関しては、社会全体として軽症でありコロナ対策だけに世論を注視するのは危険だと思っています。むしろ、コロナ感染症によって日本の「国のありかた」を見るいい機会になったと思っています。かつては、有益な仕組みであったものが、いまは機能していないモノものになり、国益を阻んでいるものが沢山あります。国づくりをするにあたり、明確な国家観を持つ時代がはじまりました。国家観を持つにあたり、軍事オプションの価値観を持っていない政治家は政ごとに参加してはいけないことが、今回証明されました。今回は、医療の仕組みが注目されましたが、防衛産業や技術産業や農林水産業のありとあらゆるところに、その仕組みを変える時期に来ていると思っています。令和は、国づくりの大きな転換期だと思っています。前例主義にとらわれるのではなく、国家観と民族観を取り戻すいい機会だと考えて、行動すべきなのです。