歴史から抹消してしまった国防と国益 Ⅳ
―情報に踊らされ、統治機能を失った国家―
なぜ、この記事では国防と国益のカテゴリーに入れて、コロナ政策を語っているのか、多くの人は疑問に思っていると思います。そもそもコロナ(武漢熱)は、感染症であり公衆衛生や医療問題と日本では認識されています。しかし、各国の対応や政策を見ていると、臨戦状態として国政が国防として庶民の生活のすべてを変えたといえます。それによって、個人の自由や経済的活動の規制かけることによって、国民の行動を最小限にして感染被害を拡張しない統治がはじまりました。海外にいると、その違いをまざまざと見ることが出来きました。去年の3月武漢に、各国が自国民を帰還させるために飛行機を出しましたが、ほとんど軍人が搭乗していました。帰国後も平時の空港を使わずに、特別に地方空港に到着させて、軍管理の隔離施設にしばらく滞在させて個人の自由を奪いました。日本では、民間ベースで対応して、完全なる隔離には至りませんでした。そして、個人の自由と尊重を中心にした政策は、各国とは対極の対応になっていました。
いまの日本は、有事の際に「個人の尊厳」と「民族(集団)の尊厳」の取捨選択ができない国家になっていることはまちがいありません。決定のプロセスやガイドラインもなく、75年間「国づくり」をしてきた結果、日本は国を守るという概念がない不完全な国家を作ってしまいました。
この武漢熱の経過を振り返ると日本の国家観がよく見えてきます。日本は、他国よりも早く武漢の異変に気付きNHKをはじめ、メディアは普通に報道していました。しかし、深刻度や危機管理からの報道は、CNNやBBCの方が日本のメディアよりも早く報道をしていました。日本のメディアの報道は、外国のこととしてニュースに取り上げていたものの、日本には関係ないというレベルでの報道でした。「事なかれ主義」なのか、「平和ボケ」なのか解りませんが、報道の姿勢にも大きな差がありました。そして、事実を報道に載せるまでのプロセスが、国防や国家危機というフィルターを通さない報道をすることによって、まったく違う事実として庶民の中に浸透していきました。
なぜ武漢熱が発症したときに、中国からの入国拒否や外国人・帰国者に対して徹底的な検疫ができなかったのか? 2月の下旬になっても、駄々洩れ状態で中国から人が入国し、規制や検疫の強制がないまま市中に入っていきました。当然のことながら、感染があっという間に拡大して至る所に拡散しました。
コロナ対応は、自然の摂理や常識で考えればすごく単純なことでした。例えば、無色透明の水槽に黒色の液体を入れれば、黒色が広がるのは当然であり、色を混ぜたくないのであれば混成の源流を絶つしかありません。あとは、混ざった個所を取り除くしかありません。今回の武漢熱によって、日本の危機管理が出来ないことを証明してしまいました。先進国では、規制やルールが迅速にでき権力が国民の行動を取り締まりました。しかし、日本に於いては自粛という統治力のない規制めいたことをずっとしてきました。
各国の統治は、外出禁止令や鎖国を一瞬にして社会を変えて、民意や民主主義という概念の中では国政は動いていませんでした。ある日突然、自由の規制と非日常の生活を一瞬にして権力によって作り上げました。そこには、言論の自由もなければ、個の尊厳などは1つもありませんでした。唯一あったのは、生存権の保証だけです。北米は、早い段階から軍が動き国家の中枢に軍事機関が、国防という観点から情報を発信し住民自治をするようになりました。
日本は、「軍人は悪で軍が政治に関与することはナンセンス」とした価値観が根底にあり、政治や社会から軍を省く国家を作ってきました。それによって、決定権と政策の実行が迅速にできない事態になってしまいました。通常時の政治は、幾つも不毛な議論が障害になり政策解決ができない国家運営をしていることになります。野党をはじめ稚拙な議員が、日常生活の体験を取り上げて国防や国家危機の話しをしても、噛み合わず何も解決にはつながりません。今回はっきりしたことは、国政や地方自治には有事に対応するマニュアルもなければ、代表者が危機管理から統治できないことです。この1年を振り返りと、各持ち場(役所・議員・知事・政府・保健所)では前例主義の仕組みで最大限に仕事をこなしてきましたが、結果は場当たり的な仕事になり、全体の解決につながらないおかしな統治になってしまいました。
国と地方は、二重行政になり対応が後手後手に回ってしまい、各部署(保健所)や省庁(厚労省)の仕事の分担や責任の区分けが、大きな障害になり国家権力で政策決定が出来ない状態になったのです。過去の大戦の後遺症なのか、GHQの洗脳プログラムなのか解りませんが、権力という統治機関が動かない仕組みがあり、いまの日本は、民族の生存権から国づくりをするという概念がまったくなくなってしまいました。
もう一度、日本人はこの大きな流れを整理する必要があると思います。日本は、中国が隣国になっている関係上、欧州や北・南米よりも早く感染が広がり日本の中で蔓延をしていました。1~2月は、中国から多く人を入れて中国春節を祝うムードになっていました。世の中は、感染症の恐怖よりも中国人の購買力ばかり注目をして、2月になっても大量の中国人を入れて、安倍元首相ですら「多くの中国人は日本で春節を」という趣旨を言っていました。
日本の中で武漢熱の認知がされるのは、ダイヤモンドプリンセス号からでした。そのときは、まだ日本全体は他人事のように捉えて、自分たちの生活にはまったく関係ないという空気でした。報道を見ていても、ある学校で集団食中毒が起きたというレベルの捉え方しかしていませんでした。しかし、2月下旬になり欧州から急激に重篤者と死亡者がでたことによって、メディアは異常事態が起きていることを報道し始めます。欧州・北米は、3月から非常事態宣言をひいて、北米は各国からの入国拒否と国境を閉じ始めました。それによって、メディアや国会はその問題を取り上げて、本格的な政策に乗り出します。欧州や北米の政策を追うように、類似するような政策を打ちだし、やっと国家レベルで動き始めました。すごく違和感を感じるのは、日本の場合はすでに感染がはじまっているにも関わらず、欧州や北米の状況を見てから日本の政策を決定するというおかしな現象です。欧州は、3月上旬から医療崩壊やロックダウンがはじまりました。北米は、3月の中旬からロックダウンと鎖国状態に入りました。日本が本格的に、動き始めたのは、ゴールデンウィーク前からでした。欧米よりも早く感染症の状況が来ているにも関わらず、そのときには何も対策や政策を打ちださず、平時の生活をしていました。いったい、日本の危機管理はどこにあるのか? 国家として、欧米諸国が出す前に日本は国として方向を示すことをしなかったのか? そこには、欧米に追随する日本人のメンタル(欧米優越主義)が潜在的に浸透しているように見えます。本来のメディアのあり方も問われると思います。欧米が危機的な状況になってから煽る報道をして、武漢で発症したときとはまったく違う報道をしていました。どこかで、欧米が世界の中心であるような欧米信仰があるような気がしています。
この武漢熱の大きな問題は、日本の国益や国防から見ることをせずに、世界の相互依存(白人依存)の中から日本という国を考えていることです。それによって、事実を正確に捉えられない情報機関と統治機関の機能不全が組み合わさり、日本の国益を必要以上に低迷させる結果になってしまいました。欧米社会の報道を優先するあまりに、日本での事実を正確に分析することが出来ないまま、いま現在も日本社会は迷走をしています。先進国は、数理学的な分析に於いて、この夏以降感染症は軽減するとして経済復興に向けて社会の規制を外して、段階的に通常化に戻しています。
いま、日本の政治やメディアは全く逆の方向に向けて、日本を動かそうとしています。果たして、今回の武漢熱の対応の反省がされているのか? 感染がはじまった時と同じように、世界が動いてから日本は追随することをしていくのでしょうか。いったい日本の研究機関や統治機関は、莫大な税金をつかって何をしているのかが、問われなくてはいけないと思います。
日本は、欧米社会追随するような政策やロックダウンを真似て日本の法律下でやってみたが、欠陥だらけの政策になりました。感染状況にしても、日本だけが先進国とは状況が違っていました。(多くの重篤者や死亡者が出ていなかった現実。)その原因究明のレポートや報道は、ほとんどされていない中で国民を煽るようなことばかりをしてきました。むしろ、日本の国益を考えたときに「なぜ、日本だけが特殊だったのか?」 感染症が少ない現状の国家運営をしてもよかったと思っています。それに、メディアや研究機関は、この差異を前面に出した情報活動をすべきだったと思っています。そうすれば、欧州や北米のように過剰に経済を止める必要もなければ、生活規制をする必要もなかったと思っています。
いま日本は、民族として独自のコロナの分析と日本の国づくりをどのようにしていくのか? 世界の相互依存に国家運営をするのではなく、日本での事実と世界の差異から日本国を立体的に描くことが必要だと思います。そして、いま日本人の最大の問題は、コロナによる国民が傷心状況になっていることです。「コロナが怖い」という洗脳が、日本人の国づくりを止めています。科学的な分析と現状を捉えて、未来の道しるべをどのようにして作っていくのか? 日本一人一人が、事実を掴んで行動をしていくべきです。あまりにも、空気に振り回されて整合性のない社会に、自分たちで首を絞めているように見えます。
―世界は、コロナ後に向けて動いている―

いかに日本の統治機関が壊れているのかが、他国の機関と引き合いにしてみるとよく解ります。そして、日本の政治をする人たちが、いったい何を根拠に政策を決めて、どこに向かおうとしているのかが、明確にしていないというのが解ります。今回もBC州の例になりますが、統治ということがどのようなことなのか、日本人のヒントになると思っています。(毎度のことですが、この比較はカナダの政治の方が上で日本が劣っているということを言っているのではありません。日本は民度が高いにもかかわらず、なぜ上手く機能出来ていないのか、考えるいい機会だと思っています。海外から見ていると、日本の統治機関だけが昭和からアップデートされずに、機能していない仕組みを維持しているように見えます。役場や議員は、賃金と待遇の保証がされて、政治のイノベーションをしなくても結果が問われない仕組みになっている。)
BC州の州議会が、5月25日に4段階を持って経済と日常生活の平常化をしていくことを発表しました。英語になりますが、下に日本語訳も載せておきます。Twitterなどで情報を発信して、老若男女に住民自治の共有と生活プランをわかりやすくしています。いま日本の統治は、決定方法が何を基準にして決めているのかが解らず、規制に根拠を示さないで経済の自粛をさせていることです。それによって、多くの人の経済活動が自由に出来ず、統治の不透明さが庶民の生活を壊しています。見通しの建てることが出来ない経済活動が、庶民の生活に負担がかかり借金と労働者の貧困化を拡大させています。
そのやり玉に当たったのが、飲食店の規制と理不尽な経済活動の不均衡な自粛です。今回の飲食店の時間短縮や酒販売の規制は、根拠のない規制であり感染拡大防止対策の統治機関の餌食として、飲食産業がターゲットにされたとしか見えません。この整合性のない政治を正していかなくては、公平な住民サービスが成立しないと思います。やらなくてもいい規制をして、経済活動を止め庶民生活の疲弊を引き起こしているのが現実です。地方と都会では、人の移動量も違い、都会の規制に合わせなくてもいいものを、類似する政策にして画一な規制にしていることの理不尽さもあります。事実を明確にして、地方や地域の長所を活かした対応と現状に合った独創的な自治が問われていると思います。カナダを見ていると、合理的で整合性にあった形で経済活動の緩和をしています。
段階的にどのようなステップで、通常かしていくのかを見るととても解ります。BC州は、いままで外食産業は、店内営業は出来ずテイク・アウトだけの営業だけをしていました。同居人以外の人と外食や家に招くことも出来ませんでした。それを段階的に緩和する手順を示しています。



5月25日から緩和政策をスタートして、ワクチン接種も順調であることを州政府は発表しました。
常に、データを基準にした成果を政策の決定にしています。日本の政治家とは違い、情緒論や感情論だけで意思決定をするのではなく、ワクチン接種率や感染者数や重篤者数を見ながら、徐々に人の移動と経済活動の枠を広げていっています。
今回の規制緩和は、市が公道にパティオ営業を拡大したことです。多くのレストランは、室内飲食の禁止で経営が立ち行かないところに、パティオでの集客を許可したことによって、少しでも外食産業の経営負担に軽減につながりました。公衆衛生の側面から見ても、室内よりも安全だと判断したことで、パティオでの飲食を拡大するように各店舗に呼び掛けて許認可をしました。これによって、飲食業界の失業対策と倒産件数を減らす政策を市は、率先して住民の経済活動の規制を緩めました。外食が緩和されることによって、友人たちとの会食や社会の閉塞感からの解放につながりました。そして、職にあぶれていた人たちは、仕事に就け経済的不安からの解放にもつながりました。公衆衛生から見ても、外での飲食の方が室内よりも感染率が低いというデータのもとで、車道を潰してパティオを市や州行政が推奨して各店舗に許可してきました。


6月15日からステップ2に入りました。徐々に、集団での規制を緩める方向に移行しています。右の図を見ればわかるように、緩和を段階的になっていることがわかります。ステップ1の緩和が、上手くいったことによって人との接触を多く増やし、野外での集団行動も通常時に戻しつつあります。BC州内の旅行の緩和もして、BC州はワクチン接種率の初回が70%突破したこともあり、順調に経過が進んでいることを発表しました。
それによって、さらに規制緩和を広げていきます。順調に進んでいるので、7月1日にステップ3に移る方向で進んでいます。BC州は、夏の観光で成り立つ経済なので、今年の夏も経済活動を止めたときに州全体の民間資産の減額や財政を圧迫するということから、80%ぐらい経済活動の通常化に舵を切って政策を打ち出して雇用対策の方にステージを変えています。いつまでも、感傷的になっているのではなく行政の方から、「安心・安全」という方向を明確に打ち出して、統治機関として機能しています。7~8月は、夏休みということもあり人が動き経済活動が活発になる時期です。この時期に、どれだけ経済を復活するかによって各地域の経済活動の今後の将来がかかっています。BC州は、地方自治のあり方として公衆衛生や感染症対策よりも、経済復興と不況対策に明確に舵を切りました。脱コロナ宣言を秋にする未来想定のなかで、政治力を使って動いています。
日本の国会や地方行政を見ていると、明確な政策を出さないで「危険」という空気で統治しようとしているところがあまりにも強い印象を受けます。それでは、国民や住民は不安が大きくなり、心のダメージだけが重篤化し復興の手がかりすら見えないと思います。まずは、感染症が少ない地域から脱コロナ宣言をして、徐々に正常化に進む地方行政を進めていくべきだと思います。厚労省は、地方行政と国の垣根を取っ払い、重篤者の治療システムのガイドラインを作り、通常化に向ける試案を提出するべきです。地方自治体も治療体制を明確にして、安心して治療に当たることが出来ることを住民に広報活動をするべきです。日本は、五輪の開催に向けての感染症対策ばかりを国会で言っていますが、そろそろ不毛な議論や辞めて具体的な規制緩和の手順を示すべき時です。仮に、拡大したときには、その対応や治療方法を国家レベルで対応が出来る仕組みを作るべきです。もう、日本の人たちは忘れたと思いますが、ダイヤモンドプリンセス号では、はじめは厚労省が対応していました。まったく対応が出来ず、最後は自衛隊が出動することによって対処が出来ました。なぜ、防衛省には出来て厚労省には出来なかったのか? トップダウンによる、徹底的な管理と実行が結果を出しました。この反省を明確にして、地方自治の保健所と医療機関と厚労省のパイプをトップダウンで作るべきです。日本にある既存のモノを使えば、大方対処ができるのです。過去の蓄積を人知として活用することによって、過度の不安を作る必要は無くなります。それに加えて、不必要な経済規制をすることもなくなります。まずは、政治力で「恐怖」という心の払しょくをしていくべきです。


ステップ3を見ると、さらに日本の規制とは真逆の方向に進んでいるのが解ります。日本では、五輪開催中に、感染者が増えたらどうするのか? という不毛な議論ばかりしていますが、そもそも論点のすり替えです。規制を強化して、経済活動の制限や閉塞社会を作り、日本人の両腕両足を縛り付けているほうが、日本の国益を損なうことになります。
日本の政治やメディアを見ていて不思議に思うのは、なぜ海外での規制緩和の状況を正確に日本人に伝えていかないのか? 恐怖を煽るときには、海外の重篤者や死亡者の処置の映像を毎日のように流していましたが、いまは海外でどのように動いているのか的確に伝えていないと思います。野党や新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長をはじめ、科学的な検証の上で発言をしているのかが、疑問に思って見ています。いったい彼らは、「政ごと」をなんだと思っているのか? 感染症を撲滅させるために、すべてを犠牲にして国を動かそうとしているとしか見えません。何度も言いますが、コロナ感染は日本国を揺るがすほどの感染症ではありませんでした。専門家や政治家の一部は、いまだに、「五輪中止の発言」をしていますが、その真意はどこからきているものなのか?国の税金を使って研究と発言の場を保障されている以上、発言の責任の追及はされるべきです。
いままでのメディアは、政権を否定することを仕事にしてきました。しかし、感染症撲滅のために政策を打ち出している人たちの仕事の事実検証もするべきだと思います。先日、バンタム級タイトルマッチをラスベガスで観客動員の中で、井上尚弥選手が防衛を果たしました。北米は、大きなイベントをしながらコロナからの脱却に向けて動いています。一番状況を理解していない人は、国会にいる一部の「恐怖を煽っている」人たちです。統治をする人(特に地方行政の人たち)は、世界の状況を収集するべきです。いったい、どのように世界が動き始めているのかを的確にとらえて、政治の舵を切っていくべきです。特に地方行政は、住民に一番隣接した自治です。その自治体が、自分たちの責任の下で決断し舵を切って、国よりも早く新しい政策と経済復興に舵を切るべきだと思います。


ステップ4を見てもわかるように、BC州(北米)は9月には通常に戻す方向でプランを立てています。夏休みが終わったと同時に、すべてを正常化にして100%経済活動を戻すことを政治が表明しています。州自治なので、国境の開閉の文言について触れていませんが、9月中にはカナダとアメリカの国境が開き経済の更なる強化を北米社会は作っていくと見ています。(あくまでも、予定は未定ですが感染者の状態がこのまま減少した場合9月中にはカナダとアメリカの国境を開けると思います。)この2ヶ月先の世界は、いま日本で議論している風景とはまったく違う状況になっていると思っています。日本では、東京五輪が終わりに差し掛かるところです。先進国は、これから経済復興と財政をどのように立て直し、恐慌という波に立ち向かう準備をしています。
このプランは、カナダの1つの州の地方政治の自治の政策です。州の財政や経済規模や人口で言ったら、田舎の地方自治です。なぜ、日本では地方議会でも広域連合でもこれぐらいの自治政策を発表して、住民と共に通常生活を取り戻す政策をしないのかが不思議でたまりません。各地域に大学があり専門の研究機関がたくさんあるにも関わらず、なぜ研究機関と自治が連携しないのか? 今回の最大の問題は、アカデミックな機関と統治機関が機能していないことです。
<情報戦に負けた日本>
すでに、日本は情報戦に負けたと思っています。武漢で発症したときに、なぜ大学の姉妹校や姉妹都市が情報収集を徹底的にしなかったのか?外務省はどこまで情報収集に動いたのか解りませんが、国家危機レベルでは動いていなかったと思っています。日本には、幾つもの情報を収集するソース(情報ルート)を持っています。1つは、姉妹校提携をしている大学(アカデミックの世界)です。もう1つは、現地の民間の駐在員です。外務省が中心となり、それらの人たちを招集して意見収集をして、日本本土にレポートを送ることが出来たと思っています。当然、日本の政治家も独自に情報収集をして、動いていれば不毛な議論にならず、まともな国会になっていたと思います。特別な機関や施設を作るのではなく、あるモノの活用です。いまは、ネットという便利なツールが出来ました。それをフルに活用すれば、質の高い情報収集ができ国会討論にもつながったと思います。野党や専門家の発言は、不毛な議論で税金の無駄遣いでしかありません。世界各地の日本のネットワークを使えば、正確な情報が集まると思います。そして、国家観や民族観から見た世界観は、いまの日本人とは違う視点で見ることが出来るのです。マスコミや役人やアカデミックの人が、その観点から世界を見ていたら、また別の世界を日本は描いていたと思っています。決して日本は、他国に比べて劣っている国家ではありません。噛み合っていない歯車を嚙合わせることによって、ポテンシャルが高い国になり民族としても甦ると思います。日本の中心にいる人たちが、敗戦後のGHQの洗脳プログラムによって、国家観が無い中で政治をしていることが最大の問題だと思っています。それに加えて、学者陣が自分の専門以外に興味を示さず、自分の立場(専門的な情報収集がしやすい環境)や研究を社会に還元するという価値観に立ってしていないことに問題があります。民族観を持たないゆえに、自分の保身と名誉しか追わなくなってしまったアカデミックの閉ざされた世界があると思います。この分断化した社会は、国を亡国に進める要因になっています。
今回はっきりしたのは、民間の情報とアカデミックの情報と官の情報を3つのセットとして、集める場がないことです。これを上手く、使うことによって立体的に世界を見ることができるはずです。いまのマスメディアの報道は、大衆が飛びつきやすい情緒論を意図とした報道が多いように見えます。そうすると、意図的に偏向報道をすることもでき、日本を情報操作によって間違った道に進めることも可能になってしまいます。今回のコロナでは、報道機関は機能していなかったといえます。
私の言っている民間人は、事業をしている駐在員の人たちです。民間の駐在員は、より現実のリアリズムの中に生きています。記事や情報を媒体にして、職業にしている人たちとはまったく違う価値観で生きていので、日本にとって有益な情報を持っています。現地の経済に密着した生活をしているので、生の声が聞くことが出来ます。ここが機能していれば、国益や民族の生存権につながる有益な情報を持っています。
これから日本の課題は、欧州や北米の政策に振り回されるのではなく、独自の政策をすることです。感染症ばかりを取り上げていますが、本来は対中政策と経済政策をどのようにして国を立て直していくのかが、最大の課題です。前回も書きましたが、いまの日本の力であれば五輪は簡単に成功させることが出来ます。2ヶ月後に、国益と国防が中心になる世界がはじまります。一人一人が、その世界を立体的に描かなくてはいけない時代がはじまります。