Vol.800+30+141

審判は清算

この二千二十五年の六月は、人間のたましいが、次のプログラムへの移行の準備期間の最後の時のようで、七月には、ひとりひとりのたましいにもともとインプットされている、過去の人間の歴史が、現実面に隣接するシンレイカイと呼応するように変更されはじめるという報告が精神界から届いています。
いまの日本のZ世代というものは、良くも悪くも、アルファベットの最終文字であるZに示される、最終世代ということでも、あるということです。いまのところの日本人のたましいは、最後の審判に対応するような情報を、生きている人間の意識上には上げていませんが、最後の審判とは歴史の清算ということでもあるのです。
ひとりひとりのたましいのデータが活性化され、あるグループは上に引き上げられ、あるグループは下に落とされる、それが生きている間に起きていることを実感する、そういうプログラムが、たましいには組込まれているということです。
この話を、いまの日本社会を見て、信じる人間はいないでしょう。しかし、すでに、ひとつの例が、置かれています。それが、いまの半島の隣国で、そこはすでに、若者たちが自嘲気味に「ヘル」と呼ぶ時空と化しています。なぜ、そうなったのかは、歴史を、自分たちの空想の産物として、国民教育をしたからです。日本から、奪えるものがなくなった時点で、すべては終わりの時を迎えました。同じような運命を辿っているのが、現在のチャイナで、半島に続く「ヘル」が、これから生まれます。

それらの国々は、出口王仁三郎の書いた霊界物語で、体主霊従の神である盤古大神の統べる地域で、その神格の霊界、または神霊界は、日本のものや一神教のものとは、別の場を形成していたのです。そこでは、一神教の悪魔というべき、マネーの力の崇拝者とは、別のタイプの拝金主義のたましいの持ち主たちの大霊界が形成されていたのです。その人間支配の力の背後には、多くの死者の恐怖のエネルギーが蓄積されていて、その力が、いまの日本列島を、アメリカや西洋由来の悪魔とは別の日本列島と日本人への侵攻を進めていました。この人間の欲望を支配するもののエネルギーこそ、「ヘル」という名の地獄のエネルギーなのです。つまり、この世を地獄化することで、支配力を高める、精神的エネルギーの使い方を、半島と大陸の主宰神はよく知っていて、それを使って、日本列島を支配し、この地球の覇権を握ることを目指していたということです。この目的と、共産主義のイデオロギーは、相性が良かったため、その盤古大神と呼ばれるものは、その背後に、隠れていました。これは、アメリカの背後に隠れていた、古きユダヤの神の暗黒面と同じような仕組みなのです。
この問題を解決するために、出口王仁三郎は、崑崙山のある場所に、ご神体を鎮めるよう、日本の笹目仙人と呼ばれた人物に、託し、その時の用意としたのでした。
このご神体が、日本からの信号で、発動したのが、この二千二十五年の六月十日で、これによって、ユーラシア大陸の盤古大神の人間霊界の結界が切られ、シンレイカイに移行することとなりました。
一神教は、地球の人口の約六十パーセントをカバーしていますが、この盤古大神の霊的世界もまた、約三十パーセントにも及ぶエネルギー量を持っていたのです。
これによって、過去、この世で生きた人間のたましいは、ひとつの場に移行し、本当の意味での最後の審判の用意が整いました。
このシンレイカイの一元化なしに、ひとりひとりの小宇宙の中で、最後の審判を実現すべき、宇宙的な精神エネルギーの場の投影はできないということなのです。
これによって、審判という名の過去の歴史の正しい清算が、地球規模ではじまることになります。それは、日本ではじまりますが、アメリカでもヨーロッパでも、そして、インドでもチャイナでも、というように、波及していくことになります。
精神学は、出口王仁三郎をはじめとする、多くの先達のはたらきが、正しい精神界の長い期間をかけての用意であり、それらを統合する唯一の知の体系だということに、これから多くの日本人が気付くことになるはずです。これから、いよいよ、立て替え、立て直しの本番がはじまります。

神紀五年(二千二十五年)六月十九日 積哲夫 記

故出口日出麿氏から言葉が届いておりますので、掲出しておきます。


大本の大願成就に寄せて シンレイカイより

かねてより、大本は世界全ての宗教、民族は、
日の本の名によりて一つに統一せらるべしと大願を抱えておりましたが、
出口なお、王仁三郎の時に叶わなかったことを受けて、
では、なぜ、第二次弾圧の時、聖師は彼の者、笹目にご神体を託したのか、
その神謀はいかなるものかとあやぶんでおりました。
怪しからぬと思っていたのであります。

しかし、大本が最後に残した仕組みが、これほど大きな時の中に置かれたものであり、
またその神謀りの巧みさと、人智をはるかに超えた発動の仕方には、
まっこと、しきりに感服せらる所存にございます。

いづのめの神勅が出された折に、この神勅があればと思い
心に抱いて生きておりました。

今日、死して世を退いてなお、働くべき場があり、
世の民全てが心に抱くべき道と学びが精神界より降されましたことを、
大願の成就した日といたしまして、本日この場を借りて、
言祝ぎの言葉として、ここに寄せさせていただきます。

積哲夫殿、本当に本当に、大儀であらせられました。

二千二十五年六月十二日
出口日出麿 記す