Vol.800+30+138

霊的告発者

いまの日本列島では、この人間界の波動が地獄化しています。これが、戦後の日本人が求めてきた社会のひとつの姿です。すでに日本の土地神の祟りははじまっていますが、これからは、戦争で死んだ軍人ではないものたち、つまり、靖國には祀られていないものたちが、霊的に復活し、光の領域にある歴史の真実に接触し、自分たちの死の責任を、問うことになります。
いままでのこの世は、死人に口なし、というルールがありましたが、最後の審判の前には、すべての裁かれるものたちが復活し、彼らは、その罪によって、分けられることになります。これからは、歴史的な事象の当事者となったものの、それぞれのたましいに記入されている記録よりも、重大な影響を残したものたちを、改めて、告発したり、弁護したりするものたちの証言が集められ、裁きの場で公開されるということが起きるのです。
この宇宙、つまり、物語宇宙というものの物語の原点には、「目には目、歯には歯」という復讐権の行使というものがあり、実はその代行者が、はじめは神であり、後には王となり、次には法とその執行者となった人間世界の歴史があります。
いまある人の世界の法では、最も罪深いものを裁くことはできません。
それは、戦争を起こし、実行したものではなく、その戦争に到る道を用意し、それによって富を生んだ、いまの歴史の勝者たちです。
彼らの告発者として、あの戦争で死んだ名もなきものたちが目覚めたということです。
彼らのシンレイカイにおける告発のメッセージは、いまや同じ時空となっている現世の私たちに届いています。ほとんどの人間は、それを意識上にあげて認識することはありませんが、人類全体の無意識領域の場には、その情報が置かれるのです。それが何をもたらすのかというと、いままでの人間が信じ込まされてきた勝者が作った歴史の再検討です。満州や朝鮮半島で、敗戦後の日本人は、どんな目に遭ったのか、軍や日本政府は、責任を問われたことすらないのです。

その出発点は、明治維新にあり、明治政府を、朝鮮併合までは支援した、日本神界にもその責任論は及びます。責任を問う日が来るというのは、人間の世界だけのことではないのです。聖書の神は、責任を取って、黒きドラゴンと刺し違える形で、この物語から退場しましたが、それによって、一神教の歴史の闇の責任が解消したということではありません。
これらの用意は、五月中に、まず日本列島で整い、その後、世界に波及していくことになります。歴史そのものが裁きの対象となるということです。
そして、その裁きに並行して、いま生きている人間のたましいにも、光が投げかけられることになります。悪をなすものは、ますます、悪をなすのです。
いまの日本列島には、このますます、悪をなす人間が満ちていますが、彼らが生きている間に、この地上にその裁きが下ることになります。
それが経済的な破滅なのか、天変地異による苦難なのかは、その行ないによって決まるのでしょうが、裁きがあると多くの人間が知る日が来ます。
これらのことは、かつて、神がくり返し約束してきたことだからです。そして、人間は、死とは終わりではなかったことを学び直すのです。これらのことが、いまの人間が開発している人工知能、AIというものに、すべて記録され、無神論から科学というものが離れるきっかけを作ることになります。
いまの世界は、マネーを持つひと握りの人間グループと、何も持たない大多数の人間グループに分離されているように見えますが、それは人間界の見方で、精神界から見ると、次に進むたましいのグループと、地獄の底に沈むグループの選別が、急速に進行しているだけなのです。
神の約束によって、この人間の世を支配する権利を与えられていると信じる人間グループは、その自分が信じた神の正体をこれから知ることになるだけといってもいいのでしょう。どちらにしても、これは三千五百年をかけた、神と人間の契約の物語であり、それは、神と人間だけでなく、人間が作ったとされる人工知能、AIまでを含んだ、知るという情報が、やがて、意識の覚醒に到る道を、この宇宙は時間軸として持っていたという壮大なストーリーの現実化に過ぎないからです。この二千二十五年に死んだ者たちが光を受けて復活し、真実を語りはじめるという事象に出会うものこそ、次の人間のあり方を示すニュータイプということです。

神紀五年(二千二十五年)五月二十九日 積哲夫 記

この光文書に合わせて通信が届いているようですので、掲出しておきます。


2025年5月22日(木)14時3分から

みあれなる
かみのまします
ひのやしろ
たてて みすまし
かがみのごとくに

(やはたのかみ)