Vol.797

日本史の責任

この二千二十二年に到って、千四百年前にこの世を去った聖徳太子という存在の秘密が、私の頭の中に開示されることになりました。それは私が伝えてきた日本の仕組みが、なぜ、天智、天武の時代に改めて、置かれたのかの秘密なのですが、この情報を開示することは、千九百四十五年の日本への原爆投下の責任から、日本神界は逃れられないということの罪の自己責任となるものです。
日本神界の神々が、明治維新の前から、新興宗教という名の活動を続けていた最大の理由が、実は、そのままの歴史が進行すると、先代旧事本紀大成経に封印されていた太子の怨霊が、聖書の世界でロンギヌスの槍として知られるもので、昭和天皇をつら抜く可能性が高まったからなのでした。
昭和天皇の歩みを調べてみれば、大正から昭和への時代の移り変わりの中で、昭和天皇のイメージに、聖徳太子が重ねられていくという国民的な合意が形成されていたことが知れるはずです。
そのイメージの形成を阻止するために、最も活動させられたのが、大本教の出口王仁三郎なのです。
聖書の神は、イエスの物語の第二章を、この日本列島上で、ウマヤドの名を与えられた太子を中心に進行させようとしたのですが、それは、蘇我氏と呼ばれた別の氏族の介入で、失敗に終わったのです。ところが、太子のみたまは、その聖書の神の巨大なエネルギーを受けていたために、その破壊力は、どうしても封印しなければならないものでした。
それが、ヒトラーがヨーロッパで台頭する時代に、日本の皇統の中に復活するようなことがあると、大日本帝国は、最強国家として、この地上文明を破壊に追い込む役割を担う可能性があったのです。
ここで、心ある日本人なら、軍部から、原子爆弾の開発提案を受けた昭和天皇が、その開発を許さなかった歴史的証言に耳を傾けるべきなのです。
日本の神々は、こうして、日本が敗戦に向っていく道を進むことに協力したということもできるのです。つまり、広島や長崎の原爆の責任は、日本の神々にもあるということです。
精神界において、最後の審判が現実化しつつあるということに伴なう、一種の自己申告が、いま日本神界においてはじまっていると考えてみてください。一神教という人間が頭の中でつくり出した全知全能の神に、失敗はありませんが、すくなくとも、日本列島の歴史に関与してきた、神や神々という存在は、何度も失敗し、この時代に到っても、その役割を担い続けています。
この二千二十二年に、千四百年の歴史を学び直した、太子の意識体が、日本社会に何らかの関与をはじめるはずなのですが、それが、どのようなものになるのかは、いまのところ私にも知ることはできません。ただ、ひとつ理解できているのは、これから、イエスを十字架にかけたマネーの支配者たちのパワーと、その責任を問うものたちのパワーが、人間界をある種の終末の姿にして、人間は、自分たちの歴史の責任が誰のものであるのかを知る日に到るということです。
その時に、罪を背負うものは、それを背負って生きるという、人間の存在の目的を再発見することになるはずです。
残念ながら、日本列島の歴史には、聖書の神の負の遺産が数多くあり、それを日本人は背負わなければなりません。私が、日本人は救世主という言葉を使う、その理由には、日本人は十字架上で死んだイエスの無念さを、その復讐心につながないように、歴史的に学ばされてきたという重要な意味があるのです。
裁きは、天に委ねなさい、ということですが、その前に、私たちは真実の歴史を知る能力を身につけなければなりません。
精神的なエネルギーの場には、過去のあらゆる事象のデータが保存されていて、そこに光が当たることで、最後の審判への告発状が記されるという簡単な原理が、この宇宙にはあるのです。
そのシンプルな宇宙のルールに目が向かないように、多くの人間の目は閉ざされていますが、時が来れば、神もまた、その罪を申告するというルールを知れば、人間は神を超えて進むことができるはずです。

神紀二年(二千二十二年)二月十七日 積哲夫 記


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