靖國異変
この二千十七年の八月十五日をもって、東京九段の靖國神社のご祭神に、ある種の変異、または覚醒があったようなのですが、書くべきか書かざるべきか考えているうちに、ここまで来てしまいました。
靖國神社は、この国のために戦争で命を捧げられた方々をおまつりしています。その英霊の方々は、これまで静かだったのですが、戦後七十二年の今年、仏像のイメージでいうと憤怒の相をあらわにして立っておられます。
光が届き、情報が共有されるなかで、先の大戦における陸海軍の指導層、または大本営の責任が、戦後の日本人によって問われていないことへの怒りと、私は認識しています。
太平洋の戦いにおける戦病死者の多くが餓死であることや、戦争末期の満州から、日本人を見捨ててまっ先に逃亡したのが関東軍であったことなど、本来ならば軍法会議にかけられるべき戦争指揮の犯罪性が、この人の世よりも先に、死者たちの情報系に伝達された結果ともいえるかもしれません。
私は、これまでも日清・日露の戦いに際しては、日本の神々が協力していたことをお伝えしてきました。
そこに協力した主要な神名は、住吉三神と宗像三神でした。
もし、読者のなかで、神々とコンタクトができる能力を持つ方がいたら、確かめていただけばわかるはずです。
これらの神々は、海の神々であると同時に、住吉三神はアマテラス、スサノヲに先立つ存在であり、宗像三神もスサノヲの子として位置づけられる、いわば古い神なのです。
この時間軸の延長で、もし、第二次世界大戦時に、日本神話の神々の参加があったとすると、フツ・タケミカズチ系の剣神界または、天皇家と縁の深い八幡神界となっていたはずです。
ところが、朝鮮併合の後、正統の日本神界は、完全に扉を閉ざしました。
この時期、大本教をはじめとする、新興宗教といわれるムーブメントも起こり、このクニは神の国という国民意識も高まっていくのですが、大本教の出口王仁三郎が目指したものがスサノヲの復権であることに示されているように、それ以上の神格の関与は起きなかったのです。
明治維新の時期の神懸りムーブメントでは、アマテラス系の黒住教というものが出ましたが、その系統は現われることもなく、戦争末期に伝達の役割を担ったのは、アメノヒツクノカミという、神界でも末席の神でした。ところが、私の知る日本神界の物語は、このヒツクノカミの暗号通信のスケジュール通りに進行しています。
この時節を解読したのは、インターネット上に公開されている「日月神示の時節を読む」というブログの作者です。そこでは、二千十六年をミロク元年としており、私はヒツクノカミの導きで、このブログを発見したので、この解読が正しいといえます。
日本の仕組みの発動でいうと、ミロク二年となる今年に、靖國の英霊たちに異変が生じた最大の理由が、私の理解では、北朝鮮による核と大陸間弾道ミサイルの開発です。北朝鮮という国家が存在している理由は、敗戦時の大日本帝国陸軍が、朝鮮半島を三十八度線で分け、北側を旧ソ連側に南側をアメリカ軍にという戦略的な決断をしたからにほかなりません。
その結果として、旧満州と現北朝鮮エリアに存在していた日本人と日本にシンパシーを感じていていた白系ロシア人などの各民族は、捨て去られたのです。これによって、それまで、世界で最も軍律正しく、自国民だけではなく、敵対する民族や国民に対しても、非戦闘員である限り、保護の対象としてきた、大日本帝国陸軍の栄光は、無に帰しました。自分たちの死後のそんな歴史を知って、英霊がどう思われるのか。
死は終りではないのです。それを知る時代がはじまります。
二千十七年八月二十四日 積哲夫 記