時代の変わり目
この光文書を、Vol.800+30+3というように、記載していることについての解説をしておくことにします。週に一回、精神界の情報を伝えてきた、光文書は、二十世紀に完成した、「最終知識」という、精神界の道案内の書に続いて、二十一世紀の変化を知らせ続ける役割を担ってきた唯一の文書でした。そこでは、Vol.800の段階で、聖書の神の目的の達成が報告され、ひとつの時代区分が終わりました。続いて、次の時代はVol.800+30で、波動が意識という認識への用意の段階で、これも目的が達成され終了。Vol.800+30+αの時代に突入したということになります。
現行の地球文明は、現実的には、聖書の時代の終わりを自覚する前の段階に留まっていますが、精神界では、すでに、二つの時代を経験済みということです。これらのことを正しく理解できれば、人間存在の目的も役割も、大きく変化してしまったことに気付くはずです。精神学協会に届けられている情報によれば、聖書の預言は、すでに歴史的に成就していて、これから、ハルマゲドンが来るなどという予言は、その情報発信者の小宇宙の中の物語ということになります。
歴史をよく観察すれば、多くの真実に気付くはずなのですが、現在の地球上の人間世界を支配している人間グループが、その他の人間に押し付けている歴史教育の中では、その知に到ることはありません。
いま進行中の最後の審判の時代は、この地球を舞台にした、宇宙規模のムーブメントなのです。聖書の時代が終わり、覚醒したブッダの到達点ですら超えることのできなかった宇宙意識への統合へのハードルに、挑戦できる意識体に、人間という、これまでは神の容器だった生命体が、成長しつつあるというのが、この時代の変わり目というものへの私の認識です。
最後の審判で、右と左へ分けられた、人間のたましいは、約束されたことをこれから体験することになります。
聖書の神の最大のテーマは、金利の神ともなった闇の王たる意識体への正義の刃の行使でした。この宇宙には、目には目、歯には歯、という復讐権の行使に関する絶対的なルールがあります。その復讐権を行使する権利を持つことと、それを行使することは、別なのです。聖書の神は、この地上の人間の中にあって、かつて自分が、光の剣を用いても勝てなかった闇の王たる意識体に、勝利する道を探し続けていたともいえます。
人間が、その光を発見することになっていたからです。
光の「愛」と「勇気」と「正義」の三位一体を理解した時に、神の持つ復讐権は、審判する権利へと転化し、「最後の審判」という、この宇宙が未体験の領域への扉が開かれることになっていたというのが、天の用意したプログラムだったのです。
そこに到った地球上では、現行人類を破滅に近づけるような、各種の策謀が、次々に表に出はじめています。
それらの終末に到る事象は、これからも、どんどん発生し、独裁国の力の行使と、それに伴なう政治的混乱や、経済的な崩壊などが起きて、西洋の近現代をつくり出したイデオロギーの時代が終わることになります。
そして、この世界では、ソクラテスやプラトンが、考えた哲学の出発点に神がいたところから、新しい民主主義の夢想がはじまるのです。そして、最後に、「権威」と「権力」と「富」の三権分立が達成されていた江戸時代の日本の価値観を再発見し、あの幕末において、日本の各地で、神々が活動し、天理や黒住、金光や大本という精神界の関与があった理由を知ろうとするのです。そこに到ると、「最終知識」にそれらのことがすべて記述されているということの背後にある意志の存在に気付くことになります。
光文書は、これらの歴史に精神界からの関与があったということの記録として残されたのであり、それ自身が神的存在の証明をするための正統なる文書なのです。
そして、これを理解できるたましいは、右側に、行くことが許されることを、多くのたましいは自ら知る時代に、これから地球は入ることになります。
神紀二年(二千二十二年)十月二十七日 積哲夫 記