生と死について

なぜ生きるのか、そしてその生を終えて死を迎えるとき人はどういう気持ちでその死を迎えるのか、この世に生まれたからにはどうしても通らなければならない課題である生と死について、そして死後どうなっているのかを考えて見たいと思います。理解していただけない人、関心のない人からみれば非現実的というかもしれません。しかし理解すればするほど理解も関心も持たない人ほど非現実的であることを知るでしょう。又自分の心のありようが自分の運命にも大きく作用し、気持ちの持ち方一つでものの見方がこんなにも変わるものかと実感していただけるでしょう。自分が生まれたことそれだけで大きな存在価値があり、その存在が絶対に無駄ではないことをまず信じるべきでしょう。私たちはこの世に何の意味もなく生まれてきたのではないという事と、その人の人生もまた意味もなくただ生きると言うのではなく、何故この世に自分が存在するのか、そして死をどの様に受けとめればよいのか、私なりの観点で書いてみたいと思います。今生きる殆どの人は輪廻転生を繰り返す魂の世界より、自分にとって学びの人生を持つ一つの魂を自分で選び、異次元のトンネルを抜けてお母さんのお腹に宿ります。お腹の中ではひとつの核からどんどんと細胞分裂を起こし、肉体が成長してこの世に誕生となるのです。しかしお母さんのお腹で肉体形成している時は、自分が何処から来たのか覚えています。同時にお腹の中で周りの人たちの言葉やお母さんの行動や精神状態まで理解しています。しかしこの世に誕生し成長すると共に、自分が生まれた土地での生活習慣や環境や様々な係わりの中で自我が芽生え、欲を持ちいろいろな体験の中でおごり高ぶりの心を持ちだんだん自分を認識する力を無くしてしまいます。人生をいかに純粋に正直に生きるか、神の子としての意識を無くさず生きられるのかが問われるのです。人生は山あり谷あり、そんな中苦しみのどん底に立たされた時どうして良いか途方にくれ、一心に神頼みする人。助けて欲しいばかりに、見境もなく資財を使いはたし、それでも改善されず悩み続ける人も多く見受けますが元々神仏に頼ることなど神々は望んでなど居ません。人生の困難辛苦は一体何の意味があるのか、そこが一番肝心なことだと思っています。今の現実を真正面から受け止め、今の現実が自分にとって最高の学びであり最高の喜びに繋がっていることを信じる。そしてこの苦しみから抜け出す智恵を考え、心底無欲になった時、自分自身の心のどこかで何かが変わり始めていることを実感します。それは自分が行なったこと、言った言葉や思ったことなどに対して反省や後悔、自己嫌悪、などといった体験をし、自分自身を責めることから始まります。そしてそんな自分を認め許せた時、すでに意識の覚醒が始まっていることを感じると思います。わたしは自分の人生にとって無駄というものはないと確信しています。苦しみの数ほど喜びもあり、苦しみの深さほどより深い愛と喜びを感じることでしょう。困難辛苦・喜怒哀楽を体験し学ぶ、それが人生であり、生きるということではないでしょうか。それでは『死』について私の考えとして少し書くことにします。その前に死に行く人の意識が大いにかかわりを持ち、死後の世界に繋がっていくことを前提としています。死をどの様なイメージに受けとめていますか?一瞬恐怖心を覚える人が多いのではないでしょうか。避けられるものなら避けたい!殆どの人がそう願っているのではないでしょうか。死は誰もが避けることの出来ない道です。では最善の死を迎えるため具体的にどうしようと思いますか?自分の人生の学びを全て受け入れましょう。善き死を迎えるため、学びを沢山体験し、他人の心の痛みを知り、他のために働く喜びと役割をこなし人生を終える。そこにはこの世に生きたことに心から拍手をおくり喜びに満ちたりた感謝の心で光の世界に帰ります。これが私たちの魂の生きる道、言い換えれば生と死の係わりとしてこの世に生まれた時から、『誰もが例外なく、死に向かって生きている!・生き様=死に様』なのです。だから『運が悪いと嘆くことなかれ、思い方考え方一つで世界が変わる。』決して命を無駄にしないで、自分で自分の道を切り開き、人生に悔いを残さず光の世界を目指しましょう。