十年の節目を前にしてわが心顧みる

平成九年七月二十八日・不思議な体験や夢。そして多くの人たちとの出会いや様々な出来事が、今の私の心を育ててくれました。この世に生を受けて今日まで、素晴らしく輝いた人生に思えてきました。生まれてよかった!生きてよかった!と心から感謝の思いが湧き起ります。地球のエネルギーの原点、私たちの御霊のふるさと宇宙。「脳を変えよ、人の心が変わる、瞑想」そして「許す」の言葉から沢山の気付きを得、人の出会いによって素晴らしい学びをさせていただき、今に至った喜びを改めて噛み締めております。今までの苦しみも悲しみも寂しさも怒りも全て有り難く受け入れられるようになりました。ここに至るまで魔界のエネルギーの作用により、信じられないような、一瞬にして命を落としかねない様な危険な出来事が沢山のしかかり、弱音を吐きそうになるほど苦しんだ時期もありました。魔などに負けたくないという思いを一新して、魔界を排除する心ではなく、受け入れお互いの存在価値を認め合うことこそ、本来の調和の姿であるという認識にたどりつきました。人生経験を経て貴い体験をさせていただいて、私の本当の生き方がこれから始まります。(そうして自分自身に自覚を促していました。)十年目の一区切りを前にして一切師を持たず今日まで光を求め続けることが出来たのは、家族から見れば気ままな行動にしか移らなかったのであろう私の行動。今日まで許してくれた家族の愛に心から感謝しています。そして私の話を信じ、共に行動してくださった仲間。二度にわたり神島まで同行してくださり、私がしようとすることに、ことごとく賛同してくれました。また瞑想会においても、一時期瞑想指導している自分の顔がゆがみ、口がゆがんでいる姿がイメージに出てきたとき、どうしても話す勇気が出なくて、真ん中で指導者ぶってる自分が凄く嫌で、しゃべる勇気すらなくなり、どうして良いのか目先真っ暗になって、瞑想会を辞めようとまで思いつめていました。「同じどん底なら、見栄も恥も捨てて素っ裸になって自分を見つめてもらおう!」そう決心したらなぜか胸がすいたのを覚えています。次の瞑想会に「私は過去に経験したことが無いほど、自己嫌悪に陥って、皆さんに何もできない。今ここでわたしをイメージしてどんなことでも良いです。長所も短所もどんなことも素直に受け止めるから、教えて欲しい」とお願いしました。そうして瞑想です。仲間の数人が良くも悪きも素直に言ってくれました。涙も流してくれました。私自身も涙を流しながら、仲間の温かい心に包まれて本当に癒されていました。「ありがとう」の言葉しか出てこなかったのです。もう一回瞑想して欲しいとお願いし、自分を確認・・・顔のゆがみが消えて!・・・でもまだ口がゆがんでいる。これは自分が修正するものだと自覚。そんなことも含め十年色々ありました。メッセージや不思議体験も、それだけでなく学びのための問題も一緒についてきます。そう簡単に与えられるものではないということです。それでも私は求め続けました。光を信じることで自分を信じる勇気も湧いてきました。起こりし出来事全てが自分のためにあると信じられることが自分の心の奥から湧き出る叡智を引き出す糸口となることを信じて、光に通じる心を見出したいと願ってきました。神の光は全ての人々の心の奥に輝けるときを待っていることを信じ、神の愛は全ての人に注がれていることを信じて。これが私の十年の奇跡、私の宝物です。