メッセージ

脳を変えよ!人の心が変わる!瞑想!このメッセージから始まった心の旅路。心の底から突き上げられるような焦燥に駆られ、精神世界の学びを受け入れると同時に、月日の経過とともに、不安感やまた逆に思い上がりの気持ちや、人よりも優位に立っているような錯覚をして自己満足しているそんな自分に気が付いてからは様々な形で自分との戦いが始まりました。そんな中、学びを共にしてくれた仲間の人たちには、不愉快な波動を感じさせてしまったこともあります。ある時期、瞑想で自分の姿をイメージしたとき、自分の顔と口が歪んでいるのです。自分でゾッとしました。こんな歪んだ顔で歪んだ口元で、どんな真実を上手く話したところで、誰も気持ち良く喜んで聞いてくれるはずがない。今までこんな顔でいい気になって話していたのかと思うと恥ずかしくて、仲間の人たちに申し訳なくて、そんな自分が嫌で嫌いでどうしようもなくなっていました。なかなか自己嫌悪から抜け出せません。何ヶ月間の瞑想会ではただ参加者の話を聞くのみ、悩み苦しんだ挙句思い切って仲間に言いました。「今日の瞑想は、この円の真ん中に素っ裸で私が立っていると想像してほしい。そして私という人間を観察して、観じたまま思ったままを素直に教えてほしい。どんな言葉でも嬉しく受け止めることを約束します。今の私を助けてほしい。」とお願いし、わたし自身は自分の心の中である覚悟をして瞑想を始めました。瞑想後、みんなひとりひとり素直に話してくれました。厳しい言葉・いたわりの言葉・みんなの言葉の中に優しい愛を感じながら、黙って聞いていたことを思い出しています。その時のみんなの言葉と愛の心で私が目覚めたのでした。心の中で重く暗い世界が一気に消え去り、希望と勇気を仲間から頂いたのでした。たぶんそのことがなければ、いまの私はなかったかも知れません。それからは、あの歪んだ顔が出なくなっていました。ただ、口元のゆがみはまだそのままでしたが、それは自分が自己の心を修正する以外方法がないことを自覚し、努力しているうちにいつしか歪みもなくなり、笑顔の自分がイメージできたことでその苦しみからぬけ出せて、また階段を一段上ったような気持ちで、仲間に感謝しながら、新たな気持ちで瞑想会を進めてきました。あの頃は自我が表面に出ていたのでしょう。意識の低い醜い心の波動を自分で観じていたのだと思います。いつも未熟な私のそばで、逸る私を戒めブレーキをかけてくれたり意見を言ってくれたり、私の気がつかない部分をサポートしてくれたのも瞑想仲間でした。こうして私は仲間とともに学ぶことの大切さも知りました。また、魂の世界からは大道から外れかかった私の心を全て見通し、現実の生活の中で現象として見せてくれている実感と魂世界との深い繋がりを教えられました。私たちが心の健康を維持し、生きる喜びを感じとれたなら、必ず皆様の心の中に光が点されています。そして偉大な光の力を誰もが感じることができるのです。他人を憎み、物欲的自我から離れないと光の世界へ到達などとうてい無理なこととなります。しかし、生きることの意味を探求し、生きる喜びを得ようとするならば、許しの心を学び、意識の向上を求める者には、必ず光への導きが約束されています。