2010年1月9日のこと・・・やっと頭にかぶさっていたものが、解き放たれた!そんな気がしました。
スポッと何かが外れた感覚があったからです。
何度も何度も薄皮を剥ぐようにして、自分の意識が変化する。幾重にも重なった楔の封 印・・・いつ解けるのか誰が解いてくれるのだろうか?
開けたくても開けられない!心の中で何十年ももがき続けて来た。もどかしい思いで!
その原因を外にあると思いこみ、いつも答えを外に求めていた。
過去生の中で、いつか誰かの手によって封印されてしまったのだと、勘違いしていた。
しかしそうではなく、その閉じたるものは自分自身であったことに気づく。
外のものではなく、自分の内にあった。大きな過ちと深く反省する。本当に悔い改めである。
その悔い改めの中にこそ、自己を愛し許すことが他を許す大きな愛の姿が存在していることに気づく。昨年の12月、支部の例会に積さんが、はるばる大阪から車で駆けつけてくださった時、「何も無理に許そうとしなくても良いよ。」と言ってくださった言葉の本当の意味が理解できました。しなくても良い苦しみを背負って生きて来た二十数年、何と浅はかな自分だったのか、全ての人生のシナリオは自分がつくりしもの。
結果を求めずして、自己の意識を高めよ!である。<人生のシナリオは自分自身でつくっている>とずっと前から他人にはそう伝えて来たはず。自分でもそのようにできていると思い込んでいた。辛いハードルを、何度も何度も繰り返し飛び越えて来たつもりでも、まだまだ高いハードルが用意されている。
その度に意識のレベルアップを自覚するようになっている。それを体感しながら、<知ることは担うこと!>を実感する。
担おうとする自分が、知らずして何を担うのか?用意された学びであると、信じられれば本当にありがたいこと。
そんな自分の心を、後押ししてくれるかのように、1月8日の光文書に目が点となる。
<天の用意がなされた>の文字に、たった今まで頭から何かが覆いかぶさっていた感覚が一瞬にして消えた。顔全体の表情筋が正常に戻ったと・・・そう思えた。
昨年11月22日にあのような体験をして以来、友達等から「何故か顔が今までと違う。
何が違うのかは分からないが、以前とは本当に違うよ。」そう言われていました。
これで心からの笑顔が表現できる。
そう思える瞬間を与えて貰えたことに、深く感謝です。ありがとうございます。