15の巻<念のちから>

前バージョンの正会員プログラムの念を学んだあと。
「これってあまり難しくないというか、なんだこれって念だったのですか?という感じなのですが・・・。」
「そうだよ。人間が簡単につくりだせるエネルギーだからね。」
「今まで、念と知らなかっただけで、思い起こせば、子供のときから使ってきたように感じます。例えば、ちょっと気の合わないと思う子がクラスにいたとして、ワタシの前からいなくなったらいいのになと思っていると転校していったり、テストで良い点数が取れるように願うと、一夜漬けで勉強したところが出たりといったことが良くありました。両親から、何でも神さまにお願いしろと言われ続けて育ったから、本当に神さまが願いを聞いてくれているのかと思ったこともありました。ワタシは念のちからが強いのですか?」
「普通の人より少しは、強いかもしれないね。」
「そうですか。でも、このちからは使わないようにした方が良いのですよね?」
「使うか、使わないかは自由です。ただ、全て自分の責任であることを忘れないように。」
「はい。できるだけ使わないように努力します。」

月末に資金が足りなくなるのが確実になったある日のこと。
ついつい、何とか月末までに注文が入って入金があるようにと念じていた。使わないように努力するといったものの、今までにも結構、これで新規の取引先ができたりしたので、苦しくなるとどうしても、神頼みしてしまうのだ。
数日すると、システムを導入したいという人から電話がかかってきた。話を聞くと、業界最大手企業と専属スタッフとして契約することになり、新たにシステムを導入する予定で、費用はその企業が持ってくれることになっているという。節税対策で年度末までに経費を使う必要があるので、早急にシステムを導入しなければならないとのこと。30分も話した頃だろうか、携帯電話からだったので、途中で回線が切れてしまった。連絡先も聞いていなかったので、冷やかしかと半ばあきらめていた矢先、再度連絡があり、見積もりを出してくれと連絡先を知らされた。見積もりを出してみると、月末に足りなくなる資金の10倍の額。やっぱり、念のちからはすごいと改めて実感した。

ところが、見積もりをFAXしようとして、連絡先に電話をかけてみると、聞いていた会社名とは違う社名を名乗る人がでてきた。おかしいと思いながら、電話をかけてきた人の名前を告げると、そのような人間はいないとのこと。まるで、きつねにつままれたような話。それから、待てど暮らせど、その人からの連絡は無かった。一体、あれは何だったのだろう。
「通話料金を使って、電話が途中で切れるとかけなおしてきながら音沙汰なしって、一体何のつもりなんだと思いますか?あまりにもワタシが、お金、お金と思っていたので、本当はかかってきていない電話があったと、勝手に思い込んでいるだけなのでしょうか?」
「電話は、あったのでしょう。まあ、その意味は時がきたら、分かるでしょう。」

最終知識にも書いてあった、Sekiさんの声であった電話の話を思い出した。
魔界のネットワークに、ただワタシの欲望情報を流しただけなのか・・・。

数年たって、ふと、この話を思い出し、その意味がわかった。(ような気がした)
思いのちからは、それに反応する人には、ワタシが思っているより強く作用する。でも、それはワタシに都合の良いように人を動かすだけで、かけていたちからが外れた途端、ワタシの思い通りにはいかないし、誰にでも効くわけでもない。こんなことをしていても、本当に起こっている問題を解決するためには、何の意味もない。資金が足りなくなるのにも、意味があって、それを解決することで学ぶことがあるのに、念を使ってその場をしのいでも、意味がないということを、あの電話は教えてくれたのだ。

それから、念のちからを使わないようにと努力している。でも、新しいアイデアを思いついたり人に何かを伝えようとするときに、熱が入ると、どうしても出てしまうようだ。思いのちからを使わず、相手に納得される説明の仕方を身に付けるのは、けっこう難しい。
現段階で分かったことは、今までワタシは念のちからで生きてきたのだということ。使わないように努力するにつれてお金に縁がなくなることが、その証かも。