別巻<時空は一様ではない>

今でも鮮明に覚えている。1990年か1991年の夏の真夜中。強烈に光る白い光の玉が北向きに寝ていたワタシの足元から頭に抜け、飛び起き、なぜか「おかあさん、ありがとう。ありがとう。」と繰り返し、涙を流してワンワン泣いたこと。彗星を近くで見たことはないが、身体を彗星が貫いたような感覚だった。
当時は、これまでのワタシの人生の中では最悪の時期。一歩間違えば、その後の人生を狂わせるようなことを犯したかもしれなかった時期だ。ヘドロをかぶった人ごみの中にいる夢を見たのも、この頃だ。深い深い闇の中にいたのだろうことは、今なら分かるが、全てが自分中心に回っていると錯覚して楽しいとさえ感じていた。

初めて『最終知識』を読んだ時、Sekiさんが発光するたまにたたき起こされたという文章が目に飛び込んできて、もうそれだけで、ここに書かれていることは、全て実際に起こったことなのだと信じることができた。ヘドロという言葉もでてきたり、ワタシにとっての様々なキーワードが目に付いて、今までの人生で起こったことを、勝手に解釈して読むのが面白くてしかたなかった。

「ワタシも白い光を見たことがあるのですが、Sekiさんが見られたのと同じ時だったのでしょうか?」
「さあ、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。時空は一様ではありませんから。」
「その時。おかあさん、ありがとう。と心から感謝したのですが、ワタシの母に対してではないような感じがしました。一体なぜそんなことを言ったのかも思ったのかも分かりません。」
「あなたを生んだもの、守ってきたものに対して、感謝をしたのでしょう。」
「はじめてSekiさんにお会いした時より更にひどい状態だったワタシに、よくそんなことが起こりましたよね。」
「本当に。あなたのために祈ってくれているひとに感謝しなさい。」
「そうですね。でも、それから8年以上も経っているのに何の変化もありませんが・・・。」
「そうですか?ずいぶんマシになったと思いますが・・・。」

今考えれば、精神学協会もなく、Sekiさんの存在も知らず、落ちて闇を巻き散らかしていた時期でさえ、それ以上落ちると戻って来られないという瀬戸際で、引き上げてくれる愛の手があったということである。これは、全てのひとにあるのだと思う。でも、それが愛の手だということに気付くためには、知識が必要である。そのために精神学協会や最終知識があるのだろう。

もし、白い光を見たときに、Sekiさんを知っていたなら、精神学協会があったなら、最終知識があったなら、もう少し早くにハタラケル者になっていたのだろうか、と思うこともあったが、したのことを知らなければ、うえのことも知れないとのことなので、これも必要な期間なのだと信じる。

前回の<精神学協会正会員としてのワタシ>にて公開した通信の最初の部分

2007年10月7日 PM1:23
いちきしまひめさんへの
でんたつ じこう
そろそろ お役目が
くだるで あろうから
待っていて ください

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