13の巻<人を見る目>

新たに従業員を採用するための面接、顧客になるかもしれない人との商談、パートナーとしてともにビジネスを考えようとする人との面談など、ビジネスを始めてからは、人と会う機会が増えた。
相手によっては、頭頂や背中、腰など身体の一部が痛くなったり、嫌な気分になったりする場合がある。直感が、付き合うのはやめた方が良いと言っているように感じる。

「ワタシは、結構、人を見る目があるかもしれません。」
「あるとは言えませんね。」
「でも、初めて会ったときに、いやな気分になったり、頭や体の一部が痛くなったりする人とは、最終的には必ずトラブルが発生します。ダメな方は分かるのですが、この人なら絶対大丈夫というのは当たる確率が低いので、まだまだ見る目がないということですか?」
「そういう意味ではありません。」
「では、直感というあいまいなものではなく、どんな人物なのか説明できるほど相手のことを分かっていないからですか?」
「どんな人物なのか、100%正しく説明することなど、できないでしょうね。」
「それは、今のワタシにはできないという意味ですか?」
「今もそうですが、先にもできる可能性はないでしょうね。でも、人を見る目とは、人物像を100%正しく語れることとは違います。もし、そんな人がいたとすれば、もちろんその人は人を見る目があるのでしょうが・・・。
今、目の前にいる人が、1時間後も同じ状態だとは限りません。君ではなく、他の人の前でも、同じ人物に見えるかどうかも分かりません。どの状態のその人をとって人物像を説明すれば正しいと思いますか。」
「そう言われると難しいです。いつ会っても身体のどこかが痛くなる人もいれば、日によって異なる人もいます。一瞬にして痛くなる人もいるくらいですから、刻一刻と状態は変わっているのかもしれません。昔から不思議に思っていたことですが、ワタシと2人きりのときと複数の人達といるときとで、本当に同じ人なのかと疑いたくなるくらい性格が変わる友人がいました。極端に変化する人は稀かもしれませんが、ほとんどの人は微妙に変化しているのかもしれません。ワタシも多分、変化しているのだと思います。」
「では、人を見る目があるとは、一体何ができることなのでしょう。」
「人は変化するということを分かった上で、起こり得る問題を想定し、それを擬似的に起こしてテストする。ということができれば良いですが・・・。どれだけ時間をかけても、結果は出そうにないですね。」
「たとえ、そのテストに時間をかけて、この人ならと思える人に出会えたとしても、それだけでは人を見る目があるとは言えません。短所のない人もいなければ長所のない人もいません。その人の良いところを見つけて、それを伸ばしてあげることができる人を、人を見る目がある人と言うのです。
中には、何ひとつ良いところがないのではないかと思える人もいるでしょう。君の能力が高ければ、そういう人も活かせるかもしれませんが、今はまだ無理でしょう。」
「もし、ワタシの能力が高くなったとしても、何ひとつ良さそうなところがない人と組むより、できる人と組んで仕事をしたいですね。」
「君の言うできる人とは、どんな人を指していますか?これまでのビジネス成功者に見られる特性を持つタイプですか?それなら、君とはビジネスをしないでしょう。」

まあ、今のワタシでは、できる人が組んで何かをしようと思わないのも当然のレベルだからなぁ。しかし、能力があがらなければ、できる人ともそうでない人とも一緒には仕事ができないということになるのか。
人を見る目があるというのは、相手を知れるということで、知るということは担うということに繋がるのかもしれない。だから、その人を伸ばす能力のない人には知らされないのだろう。相手との関係によっても状況は変わるかもしれない。
どうなんだろう?

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