『光の精神に成る。』21

≪新しい福音=(命の書、最終知識、精神学、+おふだ)の伝える重要性8≫

【進化した水の意識】

1、
最新の宇宙観測では宇宙に膨大な水(H2O)が存在することがわかっている。

2、
大昔の地球の姿もわかってきて、地球はできた時から冷えると、全てが水で覆われた惑星だということもわかってきた。全部が海ばかりの水の玉だった。
当時はおそらく火星の表面も海と陸があった。ここでできた生命の種は隕石の衝突などの衝撃で、火星から地球へ飛ばされ、地球の海で生命が育まれた。

3、
昔から夢のような映像が頭にある。
『サッカーボールよりも大きい、きれいな透明で輝く水飴みたいな濃い液状の玉が回転している。
美しい水の玉を指さして、「これは何?」と私が聞いている。
「それは地球だよ。」と、白衣を着た博士が教えてくれた。』

4、
若い時25年くらい前、自分の性格や判断に悩んでいた時期。
アルバイトをしていて3階の窓から、外に降る雨を見ていた。
雨は空から降ってきて、隣の工場の古い錆びたトタン屋根に落ち、その下の汚い部品やゴミを洗って土に消えて行った。
私はこの時、雨水の想いはどのようなものだろうと想像していた。
人は天からくる水を清きものとして歓迎する。しかし汚れた所を通った水は嫌う。
水も汚れたものに触れるのは嫌なのだろうと考えたら、そうではないという感じがした。
役目として天から来たのだから覚悟の上かと考えると、そうでもない、みたいだ。
「水は嬉しい。」みたいだった。
水からすれば汚れたものを包み込み、洗う、清らかにすることが嬉しい。
「地球がきれいになるから。」という感じだった。
人は天からの水を感謝し、畏怖し、喜ぶ。
でも地に落ち土に混じった水を嫌う。
その時の私には自らが汚れを抱きかかえ、地球を洗っている水の方が偉いのではないのか。
とそんな感じを、水から教わった。
たぶん、宮沢賢治さんの「デクノボウ」に繋がる喜びと嬉しさと同じものかな。

5、
10年ほど前、琵琶湖の北湖岸で早朝から、一人でブラックバス釣りをしていた。
腰くらいまで淡水に浸かってルアーを投げていると、朝日に照らされてキラキラと何千匹いるかわからないほどの魚の稚魚が、私の周囲に集まっていた。
本当に美しかった。
稚魚も朝日も地球も喜んでいる様に感じた。
何十分かそのまま見ていた。
釣りをやめて、帰りの車で涙が出てきて1時間ほど止まらなかった。
考えたのは、
稚魚は地球に生まれたことを喜んでいた。
地球は稚魚が生まれたことを大変喜んでいた。
稚魚の生命に地球が刻印され、証しの意味を持っているみたいだった。
地球も稚魚たちもそれを喜んでいた。
その地球を人は汚している。これはどうなのだろうと考えた。人がいない方が地球にとってはいいのか、どうか。
それは違うと答えが帰ってきた。
どうやら地球は自らが汚されても人を育みたかったらしい。
地球は人として精神を成長させることができれば、本望みたいだった。

6、
恩師、積先生によれば聖別された水やオイルや塩は、使用状況のデータが光の精神界に刻々と記録され、集計と分析されているとのこと。
汚された、または汚れた水はそのデータを蓄積しているのかもしれない。
水には意識があり、ある程度負荷や過酷な状況やデータの集計ができると、準備された新しい光(愛)を宿した水に進化する。そんな予定がされていたような気がします。

7、
怒りは怒りを生み、最終的には悲しみが怒りを受け止める。
悲しみでしか、人は悔い改めるきっかけができないのだろうか。
しかし本当の悲しみを知っている、人や新しい光の水は、悲しみを教えてあげることができる。
本当の喜びや嬉しさの中で暮らしたければ、怒ることの傲慢さを反省し、悲しみを自らの罪として悔い改め、真理と真実を受け入れることだろう。
それは生まれ来て、死んでいく、または死んだものにもあてはまる。ことだと考えられる。
ミエル

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