きょうはそら:の日だった
なにかがカタンっと壊れた
それは
いつものように連絡ノートをみたときだった

ふたりの姉が交互に
それぞれに
母のために尽くしていることが手柄になっていて
それをお互いに認め合っている内容になっていた

この内容を目にしたとき意味もなく
ああ。もういいんだなー
という静かな気持ちが心に訪れた

以前だったら心が痛み頭に血がのぼっていた
(くやしい~~~)

二人の姉は仲がいい
仲がいいのになぜかきょう
連絡ノートの交互にふたりが書いたのを見たとき
ああ。よかったー
という安堵がやってきたのには自分でもびっくりした
すごいことだとおもった

かたじけなさに心洗われ…

おまけにきょうは加湿器の給水タンクの取っ手を壊してしまった

ああ。こういうタイミングなのかー
わたしでよかった。
スタッフの人がこういうことの場面に直面しなくて。
とおもった

帰りを迎えに来てくれた夫が応急処置で紐に取り替えて
使用続行できるようにしてくれた

わたしは母のケアをしながら
ずーーーっと静かな境地だった

何かが壊れた

強がりが
壊れた

母の状況の見守りに対して
・これでいいんだー
と吼えていたけど
きょうわかった
わたしは
話しかけること達者にできない
母を病人扱いすることしかできない
日常を持ち込むことができない

・これしか仕方がない

のだった。

「ふたりぼっちの庭」の囲いが壊れたのかな

それにしても連絡ノートを見ると
いろんなことをして見せる母の様子におどろく

まるで「わたしの日」は 前からわかっているかのように
ベット上でぽかーーーんと待っていてくれて
終始ぽかーーーん、としている

母にしたらわたしの訪問をうけるときは「これしか仕方ない」
ということなのだろう

弱い弱いと思わせる自分はじつは強がりという意地をかたくなに隠し持っていたのだった

生育家庭環境からほんとうに立ち去るときがきたのだ
とおもった

母のうちはイエス様の家なのだとおもった

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