タイミング手品師

いまでは
そら:に着いて
履物をスリッパに履き替えてから
速度を落とすことなくスタスタと
職員のみなさんと笑顔をかわす心も軽く
母の居る部屋に到達することができるようになった

今年春ころから
落ち葉が全部落ちてしまって行き着くところへおさまった感を感じることができるようになった

もういい
もういい

ただ
母の居る部屋に入ると
じわじわと頭の中がしぼみはじめ
目に圧を感じるのは相変わらずだった

それが最近わかった

ここの部屋に立ち込める「思いの残像」だー
それがレーザー光線のように部屋の中を真ッ直線に
人工的まぶしさを
発し続けている

そら:へ入所当時
ほんとうにこの「人工まぶしさ」は痛かった
心にも身体にも思考にも

よし

このまぶしさをなんとかすればいいんだ


いまは

「余計な思いはここから去りなさい」
「ここで見届けているわたしの前で去って見せなさい」

と祈る

そして自分自身は屈伸をしたり
伸びをしたり首回しをしたり

その間にも スタッフの方が部屋にいろんな用事にやってくる

~ああ いいかおりですね~
~マッサージ中ですか いいですねー


親しく声をかけてくれる

そら:からの帰り道おもった

タイミングは手品師のように空中から鳩を取り出したりするような感じなのだなー

タイミングをつかむ

というより

タイミングを自分の手で取り出すみたいなー

種も
しかけも
ある
ある
ある

落ち葉が全部落ちてしまって
というのは
相手に権限をもたせるように言動してきた思いの癖の終焉
だとおもった

この癖がキライだったのにやめれなかったんだなー
それで
現実がキライ 
という把握で生きてきたことが
葉っぱが枯れて落ちるまで

わからなかった

わかればわからないにもどることはない

もういい
もういい

とは

わかるまで
わかるまで

と同じなんだなー

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