川上村紀の川源流

2012年4月23日 紀の川の源流・川上村へ

2年前に長女の家族とともに、訪ねた川上村。
 長女は、半ば仕事での源流ツアーだったので、それに便乗させていただいた形で参加したのです。
 長女は、「最初から入口のところまで来てくれればよい。その日は、山の神様が喜んでくれたら雷と雨が降るから、そのつもりで、と言われているから、多分雨やから」という。
当日は、予告通り、朝から小雨。
北山村に着くころには、本格的な雨模様となり、結局山の入り口までしか行けず、現地の情報によれば、山の上は、雷が鳴り相当ひどく危険だからと、源流のところまでは、残念ながら行くことはできませんでした。
しかし、長女は「今日は、ここまででよかった。山の神様も喜んでくれたから」と、平然とした顔で言う。
「そのかわり、いい所に連れて行くから」と案内されたところが、役行者さんが修行のために開いた洞窟(鍾乳洞)だった。
洞窟の奥に進むと、ドドドドーッという地響きのような音に驚く。
さらに進んで、確認したのが、凄い勢いで流れる大量の水。
まるで血管が開いて、中の血液が流れているのを見たような錯覚を覚え、大げさなようだが、身震いしながら立ちすくんでしまいました。
地球は生きている!!そう実感しました。
その時、どうしても積先生に来ていただいて、この水に光を通していただきたい!
きっと、何かが動き出すはず!  その直感を信じ、積先生にお願いしていました。

本日、積先生の同行が、やっと叶えられたのでした。
「洞窟の入り口で、ちゃんと役行者さんが、待っていましたよ。」と積先生のお言葉でした。
勢いよく流れるお水に、その場を清め、光を送っていただき「どうか、この水脈を通って、光が各々のところに流れ、清められますように!」と手に水をすくって、お祈りをしていると、急に胸が熱くなり、水が!地球が!愛おしい!・・・そう思っていると頭の中で歌が流れ、大地に抱かれる子供のようだとおもいつつ、心地よい時間を経過しながら、自然とうたを口ずさんでいました。
今思い起こせば、覚えてはいませんが、その歌もやまと言葉だったと思います。
また、近いうちに源流のところに登りたい!そのような思いを残し帰路に着いたのを思い起こしています。

2012年11月6日  川上村源流へ

前日より、川上村に入る。
積さんをはじめ、23名の方々が同行してくださいました。
 前日、皆さんとともに一夜を過ごした宿が、大峰山登山口の前にあり、大峰山修験者たちが、利用した宿だったのも、これもご縁だと思えます。
 源流の一番近いところまで、案内してくださり昼食。
 実は、そこがツアーでは最後の場所だったそうですが、さらに上のほう(もうこれ以上は、登れないところ)まで案内してくださいました。
 皆さんが、説明を聞いている間に、積先生は、その山の清めと、水に天地の結びの光を通してくださいました。
 その瞬間、何かが変わった!という体感をしたのを覚えています。
下山途中、東京の会員さんにその直後と、少し時間が経ったのと、両方のお水を預けてくださっていて、皆さんに試飲していただくと、全員がこのお水がおいしいと感じたのは、少し時間が経ったお水のほうが変化しているとすると、この光は消えることなく、海に流れ、海の水をも変化させてくれるかもしれない、という期待感が生まれます。
 地下水脈に光がともり、河川に流れる光と相まって、この紀伊半島に光の渦が動き始めることでしょう。
 これからは、「最終知識」に書かれている、人の子として働こうとする私たちにとって、
この上なき、援護の光となる筈です。

*川上神社 上社に参拝しました  
本殿横の小さなお社が三つあり、
向かって左「水の神」  
真ん中「大国主命・事代主命」
右 「山の神」様のところで歌

とも よ こ さ せ たまいて
みこの やくわり はたせませ
いのり とどけり このやまの
み おや ちとせ つかまつりて
た た の おくり のべつかみ たまわり たてりなむ
み よ よすがに とこたちて はや とめどなき
あし はやて なりなむ
ことといし とこよの ちぎりの ひとときなり
なむ たまいしや このちに ふりなむ
あ やめ ちりなむ はや ちぎり ありなむ
                    ことしろ
 

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