『光の精神に成る。』18

『光の精神に成る。』18
≪新しい福音=(命の書、最終知識、精神学、+おふだ)のすすめ5≫
≪新しい福音の伝える重要性5≫

【小さな救世主】

「見捨てないで」と言っている。
「見捨てないで」と聞こえる。
しかし「見捨てないで」と言っているものは、自分のイデオロギー(思想・意識の体系)を変えない。変えるつもりもない。
間違っていると気づいても、変える気などサラサラない。

自分のイデオロギー(思想・意識の体系)が間違っていても、それを変えないで、救われたいと願っている。
そして、正当化できると願っている。
それをかなえてくれるのが、真の神であり、悪魔であり、と、かなえてくれたら何だっていいのである。
その上、犯した罪はかなえてくれるものに、預けたまう。

自分は間違っているのに、道を修正せず、正当化し、罪を他のものにゆずり付ける。
それをかなえてくれるものが、救世主なのだという。

そんなニセモノの救世主など到来しない。
神も悪魔もニセモノの救世主なんかになりたくない。
なぜ人間はそんな道理の外れたニセモノの救世主を願うのか。
願えばかなう、何でもかなう、と信じている。
誰かが救ってくれると信じているから。
道を外した自分を、悔い改めない自分を救ってくれると信じている。

いくら信じたところで、道理から外れる、悔い改めないものは、救われない。
審判される。追及される。逃げても追い捕まえられる。
そして罪と業と共に燃やされる。

耐えられるほど、甘い痛みでは無い。
その痛みは、他人に与えた痛みの数十倍以上で、本人とその関連した意識体に帰ってくる。

たぶん、すべて耐えられない、痛み。

いくら後で後悔したところで、戻らない。
大事なことは、死んだらタマシイも関連した意識や諸々のもの達も、すべて必ず審判され、
審判の火に焼かれる。

覆水は盆には返らない。
未来をシュミレートして、よく考え悔い改めて、間違いを正しながら、未来を過去に変える。
過去の十字架を背負い、イエスさまの代わりに十字架を背負う。

屈辱の中に正しい真の誠、正義のために、十字架を自ら背負う。
覚悟します、とハラが決まった時、
宇宙生誕前から準備されていた、
『小さな救世主』が目を覚ます。

『小さな救世主』は勇気を奮って、
「見捨てないで」と言うダマした略奪者を切り捨て、
そのモノたちを審判の火で焼き尽くす。

ひとりに『小さな救世主』が目覚めると、1万倍に成って、周辺に審判の聖別現象が起こる。
クニトコタチ・プロジェクト(クニトコタチ計画)。
ミエル

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