歴史から抹消してしまった国防と国益 80
世界で戦う日本人 <日本の伝統医療編>(下)
カナダの公共機関との闘い
小崎先生との出会いによって、病名を知ったことで安堵と、治るという希望が見えてきました。これまで、先の見えない暗い闇を歩いていた世界から、光の方に向かっていることを動物的な感覚で確信しました。その日は、激痛の中にも病名の症状が解ったことで、久々に気持ちが楽になり帰宅しました。しかし、安堵もその日だけで、これから新たな闘いが始まり、さらに険しい山道が待っていました。それは、カナダの医療機関との闘いでした。日本とは大きく違い、すべてに於いて交渉をしながら治療が始まるという、とんでもない事態が待っていました。
まずは、この事実を担当医に伝えるところから始まりました。これまでは適当な対応をして話しを流していた医師が、慌ててドクターストップの手紙を出して状況が一変しました。(カナダでは、労働に対して医者が第三者としてオピニオン(意見や権威)になれるので、「仕事をさせない」という休職命令を会社側に出すことができます。いまは、日本でもあるようですが、20年前はそんなシステムがあることを知りませんでした。)
最初は何がはじまったのかわからずに、このレポートをもって会社に行き、詳しい事情を話すことになりました。即日に、休職扱いになり仕事をしなくてもよくなりました。職場の仲間は、暖かく見守ってくれて、「休んで早く復帰してこい。」という雰囲気で、先の見えない休みを取ることになりました。
次に労災側からきた連絡は、労災のリハビリセンターに通院する通達でした。カナダの労災機関(WCB)が動き、そこと提携している病院に毎日通うことになりました。そこには、他業種で労災を受けた人たちが、集まってリハビリをする施設になっていました。
Workers’ Compensation Boards in Canada Introduction Below is some contact information for agencies a www.ccohs.ca
治療とリハビリとカウンセリングがはじまり、いくつもの手続きと書類にサインをさせられました。ここで、厄介だったのは、半年前と同じ問診と触診がはじまり、激痛が走っているなかで同じことの繰り返しを数時間かけてしたことでした。さらに、最悪なことに半年前と同じプログラムがはじまり、小崎先生の治療とは真逆の治療がはじまりました。やっと労災のプログラムがスタートをして、いい方向に向かうのかと思っていたら、また元の療法になり何も変わりませんでした。しばらくは、彼らのプログラムに従い言われるがまま、そのプログラムをこなしていました。しかし、快方に向かうどころかどんどんと悪くなり、四六時中激痛が走る状況になりました。その激痛は、首を寝違えた激痛が永遠に起こる状況になりました。この労災のリハビリセンターは、全く意味のないモノでさらに悪化させました。精神的にも疲れ、先の見えない地獄の日々がはじまりました。
その時の状況は、昼間はリハビリのセンターに行って、夜から小崎先生の治療を受ける、2足の草鞋の治療をしていました。小崎先生の方は実費だったので、毎回ひやひやしながらの出費でした。海外は、医療関係はすごく高く、保険がほとんど聞かなかったので痛みの苦しみと、経済的悲痛がダブルで起きました。さすがに、小崎先生はこの状況を見て
「このカナダの治療を続けていたら、治るものも治らない」
「ここで体を整えて完治する方向に向かっても、リハビリで体を壊すことをするから、体が良くならないのはそれが原因。」
「もし、体を治すならそのプログラムを止めるしかない。それか、日本に帰って治療するしかない。」と言われました。
やっと、治療の兆しが見えと思ったのですが、新たな問題が出てきました。今度は、カナダの労災と交渉をしなくてはいけない、とんでもない戦いが始まりました。
まずリハビリセンターの担当者に、この事実を伝えて治療法を変えるよう要望をしました。数日後に、本来は来ないWCBの担当者が来て、普通ではありえない大ミーティングがはじまりました。リハビリセンターの方から7人と、労災側から3人と通訳が入り、12人のミーティングになりました。その場で、ここの治療を止めたいとのことを伝えて、操体の治療だけに専念したいことを伝えました。さすがに、全員がざわつき「前例がないことは認められない」と言われて、話しは平行線になりかけました。
その時に、以前小崎先生に診断書を作ってもらったものを渡して、「カナダのリハビリでは決して治らない。それは、自分の体が半年経っても治っていないことが証明している。」と伝え、もし反論があるならば言ってほしいと言いました。医療知識のないド素人が、プロ相手にプレゼンをするわけですから笑ってしまいます。
日本の治療とカナダの治療の違いを説明して、自分の体がどんどん壊れていることを話しました。
「結果として、自分が治っていない現実を、どう捉えるかを考えてほしい。」と締めくくりました。その時も、ざわついて誰しも厄介なことになったという顔をしていました。ただし、面白いことにみんな真剣に私の話を興味深く聞いてくれました。そして、一旦は保留することになりました。
いま、考えたらカナダの行政機関と喧嘩をしているわけですから、とんでもないことをしていました。英語もまともの出来ない人間が、カナダ人相手に交渉をするわけですから、自分の中でも現実とフィクションの境がない状況であったのは間違いありません。人間とは面白いもので、想定外のことが起こると映画の一シーンを見ているように、自分を達観して役を演じているのですから、気持ちはハリウッドの役者でした。
痛みと苦しみの中で、自分が何をしているのかわからずに、無我夢中であったのは間違いありません。その功をなしてか、大きな組織が動き始めました。まずは、「操体カナダ」は何かを視察したいことになり、労災側とリハビリの担当者が、操体の治療を見に来ることになりました。そもそも、日本の整体法はカナダの治療機関に組み込まれていないので、その治療が何なのかを調査するところから始まりました。
いま考えると、なぜWCBがすぐに操体の治療にさせなかったのか?
その答えは「国を騙してお金を巻き上げようとしている」とか、「この治療で、治らなかったときに誰が責任を負うのか?」 いろいろと難題があったんだと思います。
しかし、本人自身がこのWCBの治療をしたくないという強い意思と、「日本に帰って治療をしたい」ということを伝えたところ、担当者の顔が一瞬にして曇り、
「それだけは、しないでくれ。」
と懇願されました。切なる想いが、相手に通じ数日後に異例のプログラムがはじまることになりました。リハビリセンターに来ずに、操体だけに専念するプログラムに変えてくれました。
そのときに、大量のサインをさせられました。それは、操体で完治しなかった場合には、WCBは関与しない。今回、治らなかったら、WCBを訴えることはしない。という内容のサインをさせられました。はじめは、操体と自分の決断を信用しないのかと思ったのですが、いま思うと契約社会の白黒を決める北米社会のだいじな儀式でした。を経験しました。いままで契約社会を経験していなかったので、日本の忠誠とは違う社会になっていることを、ここではっきりとわかりました。
その担当者も大変な決断だったと思います。そもそも、実績のない日本の療法をプログラムにするわけですから、失敗したら彼の将来にも影響したのかもしれません。お役所仕事なので、イレギュラーを嫌う人たちなので、今回の治療は特別の対応になりました。
ただ、もう1つの見方があって、もし私が医療ミスということで訴えたら、そっちの方が厄介だったのかもしれません。「事前に、この治療では治らない」と懇願したのに、それを無視したのはWCBです。そうなれば、WCBの賠償責任はとてつもない金額になっていたでしょう。肩の神経は切れ、右手は動かなかったでしょう。その懸念はあったと思います。
その当時は、まだ若くカナダの医療システムや療法が解っていなかったので、巨大な組織に意見をしてルールを変えるとは、想ってもいない出来事でした。海外に来て後にも先にも、こんな闘いをしたのは最後なのかもしれません。それを考えると、人生は何が起こるかわかりません。
ただ、日本人の発想からカナダの医療システムを見ると、実は大きな市場が転がっていることになります。私の例を見てもわかるように、ちゃんとした治療に入るまでに、1年もかかるとんでもないカナダの医療システムになっています。偶然にも、日本の整体師文化を知っていたから、闘うことが出来ましたが、それを知らない人たちはカナダの治療法で人生を壊された人たちは多くいると思います。それに、カナダの医療システムは無駄な仕組みになっています。
この日本の独特の療法(整体師文化)を北米に輸出したら、とんでもない医療改革が出来ます。実は、ここにも日本人が世界に出ていける光が潜んでいます。
Takefuyu|note