歴史から抹消してしまった国防と国益 45
-民族観と国家観が国を支える-
日本人は、国家を捉えるときに世界とは違う価値観で見ています。その違いを理解しないと、国の運営を大きく見誤り、世界で何が起きているのかが理解できないと思います。日本人の感覚として国家は、国と民族が常に一緒であり、そのカタチが普遍的だと信じています。しかし、世界は国家と民族が永続的に同じであることは稀であり、民族の入れ替わりの中で国家が形成されていることを知っています。2600年以上同じ民族が自治をして、他民族からの侵略や支配を経験してこなかった歴史が、ある意味この激動の世界を捉えにくくしています。
世界の歴史は、民族の入れ替わりと他民族の支配によって、奴隷制や民族文化の破壊の繰り返し国家を作ってきました。日本人の弱点は、大きな世界地図を想像できていないことです。加えて、民族が入れ替わった国家が何を意味するのかが理解できていません。2024年からはじまる世界の激動という意味は、アメリカの覇権体制が終焉しつつあるということです。そして、ロシアやイランや中国は民族の統治機構が変わることに、敏感に察知して戦略的に世界の秩序を壊しています。
他民族は、宗教観や民族観を非常に敏感に察知する能力があり、自分たちの文化圏を子々孫々守るために民族防御する英知を持っています。日本は、民族と国家が未来永劫変わらないモノと信じている節があり、自分たちが世界で稀な民族であることを意識していません。話しは飛びますが、根底に繋がっているのは、今回東京15区の選挙を見てもそれは如実にでました。これだけ世界が動いているにも関わらず、民族観と国家観を持たない人を選ぶ感覚そのものが、いまの日本人の姿の現れです。
日本人以外の民族は、他民族の支配と民族の独立の交互が、民族の性(サガ)として捉えています。敗戦後の日本は、アメリカの占領政策によって民族観と国家観を奪われて、それをなくして経済発展と国家を繁栄してきました。それが、幸か不幸かわかりませんが、民族と国家のことを考えず、経済的な豊かさは手に入れ、物質的自由だけを手に入れてきました。
日本は、敗戦から3~4世代に渡り民族観や国家観を持たずに、経済的裕福な生活をしてきた結果、伝統や文化までこわしてしまいました。経済の発展は、物質的不自由のない生活を謳歌してきました。しかし、経済の発展が止まり物質的豊かさに限りが見えた社会に何が残るのか? いまの日本社会は、「みんな仲良く」「誰にでも平等に」という言語空間だけが広がり、誰も責任を持たない社会になってしまいました。国際社会は、弱肉強食の下克上の世界です。その意味を理解しないまま、絵そらごとを言っていても民族を守ることは出来ません。
日本が国際社会を語るときに、いつも見落とすのは民族対立の禍根や怨念がどこにあるのかを理解していないことです。ロシア・ウクライナの紛争にしても、日本は近代民主主義の価値観と信条を判断基準にして善悪を決めていますが、民族の対立や地政学はそんな単純なものではありません。歴史的経過と民族の観念・情念を見ていかないと、その民族を理解することはできません。
今回話す北米事情は、米中関係の歴史的景観と民族の観念で見ると、まったく違った北米を見ることが出来ます。いまの日本は、米中問題を経済面と表層的な社会問題と軍事面でしか見ていません。近代民主主義の価値観でみていたら、米中対立の深層にある民族間や地政学の本質を見ることができません。
いまの日本人は、世界のグランドデザインが出来ないのは、民族観と国家観がないまま政治と経済を動かし、アカデミックの世界は最新の情報をアップデートしていないまま、国策や地政学を見ているからです。歴史的な経緯から激動している姿を見ないと、世界を捉えることはできません。日本だけが、どこか取り残されて世界の激動を捉えていないのは、経済のマネーの動きしか見ていないからです。加えて、日本の政治家や経済界は過去の実績しか見ず、5~10年先を見て国を動かしていません。常に、国益を考えずに欧米の意向に沿って、金魚の糞のように経済と政治が動いています。そこには、知性も英知も全く感じません。
2024年を分岐点にして、世界は大きく変わり戦後の常識では世界秩序は見ることは出来ません。自国を守るために、他国を潰しても這い上がろうという下克上の時代に入りました。それは、北米の内部で民族生存競争がはじまっています。いま、北米で起きていることを見ると、世界の図が解り必ず日本でも起こります。決して遠い国の話しではなく、明日の自分たちの街の問題になります。
―アメリカでの中華系移民の歴史(前半)―
アメリカという国家を見るときに大切なのは、世界中からの移民の集約と奴隷貿易を柱にした人造国家であるということです。ほとんどの国は、長い月日で居住地と人が繋がって、文化と文明を作ってきた歴史を持っています。しかし、北米はそれらの経過を持たないで、常に多民族の移住(人口集約)とマネタリズム(貨幣主義)が、リンクしながら国家の繁栄をしてきました。新大陸発見時には、先住民を排除して奴隷貿易と白人優越社会を柱にした国家を作ってきました。(ヨーロッパ社会の白人と言っても、1つの束にはならない。その中で宗教<プロテスタントとカソリックと東方正教会>の格差と対立があり、アングロサクソンやゲルマンやケルト人やユダヤ人という民族格差の対立がある。単純に、白人と有色人種という枠では語ることが出来ない。「異端は異教よりにくし」というように、キリスト社会にも大きな格差社会がある。)
アメリカ史を見ると、世界の縮図になっているのがよく解ります。そのときに、どの民族が勢力をつけて世界の中心になっているのかが、北米大陸を通して見るとよく理解できます。今回は、アメリカの移民史を広げずに中国移民の歴史に絞って書いていきます。
中国の移民の歴史は、古く1849年以前からはじまったとされています。ペリーが来航し日米両国和親条約・修好通商条約の締結が、1853年なのでその少し前からアジアからの移住がはじまったとされています。そのときの移住は、白人の労働力の手としての移民がはじまり、アフリカからは黒人奴隷としての労働力、アジアからは安価な労働力という構図があり、白人至上主義からのスタートでした。
中華系移民の歴史を見ると、鉱山や鉄道敷設工事の労働者か下働きの奉公人として働いていました。その当時は、ゴールドラッシュで鉱山での仕事はたくさんあり中国人が多く移民してきました。しかし、中国人が増えてくると白人の労働者層は、職をめぐり争いになり1872年に中国人女性の移民を禁止し、1882年には中国人排斥法が成立し中国人を入国出来ない仕組みをつくりました。この法律は、長く1943年まで続き北米に於いて中国人の流入が、ほとんど出来ない状態になりました。
(この歴史を見ると、その中国人が入国できない期間は、安価な労働力として日系人を使い、白人の労働の下請けになりアメリカ社会を支えていたことがわかります。1943年は、太平洋戦争がはじまるころで日系人締め出しをした時です。中国人排斥法の廃止と中国人労働力の受け入れが、繋がっていることがわかります。)
この大きな歴史の中で、中国系移民は虐げられながら少数民族として北米社会の中で生きてきました。しかし、今度は中国が社会主義国になったことで、中国政府は1950年~1970年まで国民の海外移動を禁止にしました。これによって、本土の中国人のほとんどがアメリカ移住は出来なくなり、香港系かアジア各国(インドネシア・マレーシアなど)の中華系というかたちで北米に渡っていきました。
では、いつごろから中国系移民が増えていくのか? その分岐点は、1972年のニクソン訪中から大きく変わります。中国が、改革・解放をしたことで米中関係の改善から人員交流と文化交流から、わずかな人口移動から再開しました。1979年「台湾関係法」によって、大陸出身者の移民が急増していきました。その数は、2万人~3万人を毎年受け入れていきました。次の大きな波は、1984~1997年です。この期間は、中英両国が香港返還の合意の準備のときで、アメリカ政府は香港の中産階級以上の移民割り当て数を年間600人から5000人に大幅増加しました。(それ以前は、香港から移民を年間600人しか入れませんでした。北米の移民システムは、お金もしくは労働力を持っている人だけを対象にする移民法だということがわかります。ちなみに、香港返還は1997年です。)

1994年「米国香港関係法」によって、香港+台湾+中国本土の合計割当数が年間76860 人の移民を受け入れて中華系の移民を増やしていきました。右の図は、「Chinese Immigrant Population in the United States, 1980-2021」中国人移民の人口数です。この図を見ると移民が、どんどん増えているのがよく解ります。
北米の移民制度というのは、常にビジネスと人口増加がセットになっていて経済を発展してきたことがわかります。移民もビジネスとして見ると、北米社会の仕組みがわかります。国益という観点から見ると、貿易黒字を出さなくても移民の流入だけで、安価な労働力とお金が入る仕組みを作っています。次回は、IT産業とチャイナマネーと中国人移民がどのようにリンクしたかを書きます。「中華系移民の歴史の後半」は、いまの日本に直接関係する問題で、これからの日本の移民政策とも繋がる問題になります。そして、中国人移民は天安門事件から米国のIT産業(シリコンバレー)とも繋がっていて、アメリカの貧困問題に繋がっています。いまのアメリカが、どのように民族の入れ替わりがはじまっているのかが理解できると思います。