あそび、むすび

“あそぶというのは、あらは(顕)れる、ということですから。
かみあそび、ことばあそびで、どうでしょうか?

……不敬、って、いわれませんかねぇ
それをタイトルに掲げるのはさすがにどうかと(名前負けしそう……)

物語も、言葉も、約束も。どれもあらわれては、最後には結ばれるもの、です。

ひそひそ、と、こんな会話から決まったタイトル。

そんな「誰か」との会話と、自分の何かを、つづるところ。”

No.38

「道案内書としての意味」

普段、たぶん、こういうことだろうなという仮説をいくつか立てていて、60%〜70%程度確信がもてるまでは、非言語思考的に、大まかに情報処理しながら考えているところがある。

最終知識を読んでいると、不思議と、覚醒に至る自分の物語でいえば、今はココにいるんだ、という進捗状況が分かるような気がする。自分だけでなく、誰かの話でいっても。

読む人の魂の進化の道程とリンクしているから、個人が印象に残っていると口にするもの、体験する言葉、気になるもの、心にのぼる場面、何度も読み返す場面というのは、最終知識のはじめから終わりまでを「魂の進化」の進捗バーにした場合の、まさにその地点なんだろう。

例:■■■■■■★□□□□ (60%進捗)

上記の、★地点に自分がいる、ということ。魂の昇華がどこまで進んだのかが、それで分かるのではないだろうか。

ただ、自分に起こったことを振り返ると、魂の進化はまっすぐ進むわけではないかもしれない。

はじめに審判を受けた後、私が受けたのは浄化現象というより、目覚めて本格的に動こうとする魂を叩き潰そうという負のエネルギーによる総袋叩きだった。いや、順番的には合っているのかもしれない。

審判の場に到達する前と後では、脳が扱う情報量と思考回路に差が生じることもあるようだ。というより…今まで頭の中に巣食っていた、その人の能力や気付きを封じていた何者かの影響も、審判のときに炎によって浄化される。それによってロックが外れるのだろう。

ダークな意識体の影響が外れた瞬間、創造的でオープンな思考形成が可能になったのを見たという話も聞いている。つまり日本ではほぼ全員、闇の中で生きるなにがしかの暗躍で、完全に意識に蓋がされている状態になっていると考えられる。

頭をちゃんと使えるようにするには精神学を学んで審判を受けたほうがいいのだが、精神学に対して攻撃的なプログラムは仕込んであるし、審判を自身の意志で受け入れないように何者かに意識がロックされている。そのロックを外すには審判を受けるほうがいい。どうすりゃええねん、堂々巡りじゃん、というわけである。
システムでいう、いわゆるデッドロック状態、あるいはウロボロスの状態なのだった。

ならば一時的にでも影響を与えるものを排除しなければならない。活用されたのがイコンシールや最後の審判の波動シールだ。そこで精神や意識が闇の自分に抵抗する余地を作って、その隙に自分の小宇宙に対して審判を行うわけである。

本来ならば、審判の層に自ら上がれるならば、イコンシールがない状態でもあらゆる影響は処理することができるはずだ。だって最終知識の時代にはイコンシールなんてなかったんだし。
精神学を知らなくても対処するためのイコンシールだというのは、理解しているのだけど。

人間の脳は皆基本的な作りは一緒だ。回路や下地ができていて、それを使えていないだけなのだとしたら、それを使うためにロックを解除しないといけない。
でもそのロックが一番硬いのだ。

意識の蓋を外して創造的な頭を手に入れたいなら、頭にシールを貼って浄化と上昇して、審判を希求するのがたぶん一番手っ取り早い、のかな。