歴史から抹消してしまった国防と国益 75
「リアリズムに生きる中国人」と「言論空間に生きる日本人」(前半)
―平成の価値観では生きていけない―
この動画を見ていて、多くの日本人は不思議な世界が始まろうとしていることを感じたと思います。日本には、移民や移住専門家がいないことが、見え隠れしたような気がします。加えて、政府に脆弱な専門機関しかないことが解りました。
カナダやアメリカには、必ず移民や移住者を統括している省があり、ここで人口統計や犯罪統計なども取りながら、常に国策として移住者の数をチェックしながら国家政策をしています。日本では、法務省が曖昧に管理して国策がないことが、この動画でもわかりました。これは、中国人たちにとっては有意義な情報提供になったかもしれません。
この題材は、大きな問題なので2部構成にして西岡先生の「移民法の歴史」と「インタビュー」にした方がよかったかもしれません。それに、3対1でなく1対1のインタビュー形式の方がよかったような気がします。タッカーカールソンのように、1対1でゆっくりと徐氏の国家観や民族観を聞くことの方が、中国人が何をしようとしているかを知るいい機会でした。制作側の構成にも、問題があったような気がします。ただ、この動画は日本人に広く事実を知ってもらういい企画だったことは間違いありません。この動画を見ていて、4つのことが解りました。
- 帰化が、永住権でなく永住許可になっていること。
- 徐氏は、中国工作のアドバルーン発言になっていること。
- 日本人の中に、「表現の自由」と「民族のモラル」が理解できていない。
- 国家を揺るがすことを、1省の内規で決めてしまうこと。
1)西岡先生の発言で、「日本には永住権ではなく、永住許可書であり永住許可を取得後も取り消すことが出来る。」と発言したときに、徐氏の顔色が変わったことは、多くの人が解ったと思います。これで、中国人の在留を考えている人たちの反応は変わったと思います。ただし、中国人のことですから、この法律を変えることを間違いなくしていくでしょう。
2)私感ですが、徐氏の目を見ていて、本気で市長になる気はありません。むしろ、工作活動の一環としてやっていて、日本人の反応を試しているようにしか見えませんでした。
なぜ、1対1のインタビュー形式にした方がよかったのか。その理由は、彼はしきりに平和の実現や憲法9条問題を口にしていました。そして、過去の日本の戦争責任を主張していました。彼は、平和な街を作りたいと言っていましたが、この方法は80年代から続いてきた日中外交そのものです。「戦争責任を口にする」と日本人は、中国に媚びる方法を彼も使っていました。その時にインタビューアーが、
中国でなぜ平和な街を作ることをしないのか?
ウィグル地区やチベット問題は、どのように捉えているのか?
この国家観や民族観を聞くべきだったと思います。さらに、国防動員法を知らないと言っていましたが、一瞬彼の目は泳ぎました。平静を保っていましたが、彼の中では中国政府への畏怖の念が、見え隠れしていました。多くの中国人は、中国で国家否定をすることはできません。これだけ「日本政府批判をすることを、自国中国でやれるのか?」と聞くだけでも、話の流れは変わったような気がします。
河合氏は、むきになって選挙の落選運動をすることを発言していましたが、徐氏の方が1枚も2枚も上手でした。おそらく、彼はおとりで他の地域で中国人帰化1世を当選させることを、本格的に進めていくでしょう。その実験が、日本国内ではじまっています。彼の行動は、アドバルーン候補として日本の動向を伺っているように見えてしまいました。話しはそれますが、保守論客とされている石平氏が、突然の選挙出馬を出したことも、根底のところでは繋がっているのか? 考えてしまいます。
3)浜田氏や河合氏の発言を聞いていて、違和感を覚えたのは外国人が帰化するにあたり、「表現の自由」と「民族のモラル」は別物だということを多くの日本人は、この意味を理解していないと感じました。
例えば、カナダで移民から国籍を取るときに、国に忠誠を誓うことをします。加えて、チャールズ国王にも宣誓します。徐氏が、天皇制を批判したときに、本来はそれだけでアウトです。
なぜ、外国人が国体をゆるがすことをして、日本に帰化させるのか?
これは、他国では内政干渉をするための工作とみなされ、ブラックリストに載ります。再度、移民を申請しても通ることはないでしょう。いまの日本は、国の制度設計が間違っています。
この問題は、右・左の思想の問題や「表現の自由」の問題でなく、国家観の問題です。帰化人が、その国に同化する意思がないのであれば、移民国家では国籍は与えません。
本来は、徐氏みたいな人は帰化申請から省くのが、他国では普通に行われます。これは、国家転覆行為を宣誓している行為です。さらに、北米で「信教(国体)や民族批判」をしたら命の保証はないでしょう。加えて、彼とは全く関係ない同じ民族の店や会社は、報復を受けるでしょう。だから、「民族の魂」に触れる発言は、極力避けることが民族のモラルで共存の知恵になっています。
かつて、フランスでシャルリー・エブド襲撃事件があり、民族の「信教の自由」と「表現の自由」で殺戮が起きました。
これを、日本で再現をするのか?
国民の分断化する火種を受け入れて、「国づくり」をしていく覚悟が日本人は持っているのか?
本質はそこに繋がっていきます。民族観と宗教観は、オブラートに包みながら共存するのが多民族国家のモラルであり常識です。
本来は、河合氏の感情の言論よりも、徐氏の民族観や国家観をインタビュー形式で聞くことの方が、よっぽど彼らの戦略を聞く機会になったと思います。
シャルリー・エブド襲撃事件 – Wikipedia ja.wikipedia.org
この討論を見ていて、日本人は他民族に慣れていないことが露呈してしまいました。河合氏が、「徐氏に日本の心を持て」と訴えていましたが、そもそも彼らは持つ気持ちはありません。この問題は、日本の法に何も書いていないことが問題で、法の制度上に欠陥があることを河合氏は理解していません。
ここに、「リアリズムで生きている中国人」と「言論空間で生きている日本人」に差があることを露呈してしまいました。この隔たりは、言論空間では解決はできません。むしろ、法の下で粛々と進めている中国人の方が、日本人よりも1枚も2枚も上手です。この本質は、この状態で帰化を許可している日本の法の問題で日本人の問題です。
さらに、日本人の最大の欠陥は「自由」と「モラル(ときには同調圧力や集団規範や道徳)」のガイドラインを、他民族に対して明確に持っていないことです。どこか性善説であり、他力本願であるような気がしています。
「日本人が天皇制批判をする」のと、「帰化しようとしている外国人が天皇批判」をすることは、まったく別問題です。これを、国会議員である浜田氏が「表現の自由」という言葉に、すり替えてしまったことに、日本人の国家観と民族観の価値観が浮き彫りになってしまいました。私が推測するに、浜田氏の意見が、大方の日本人の考え方だと見ています。
4)日本の政治が、1998年から機能していないことが解ってしまいました。小渕内閣だと思うのですが、この当時から国家のグランド・ストラテジーがないまま日本の政治は動いていて、無作為の中で「国づくり」をしてきたことがよくわかりました。このことによって、日本の「政」が機能していないことを知っただけでも、プラスかもしれません。
たった1つの省が、「国策もなく」「将来の展望」もないまま、外国人を流入させて国力を落としている不思議な国家体制になってしまいました。日本の役人には、国家観も国益もないまま国を動かしている実態が、解ってしまいました。さらに、国会議員も学者も、この不思議な状況に「我関せず」で、黙認をしています。いったい、この国は誰が過去と現在と未来をつなげる人がいるのか? それでは、中国政府の20~50年越しのグランド・ストラテジーには勝てるはずはありません。
後半は、「日本国をターゲットにした民族大移動」をなっています。これもセットに読んでいいただけると、この問題の本質が見えてきます。
Takefuyu|note