歴史から抹消してしまった国防と国益  Ⅲ
―日本人を盲目にさせたリベラル思想―

 いまの日本は、統治する概念がない人たちが国づくりをしているおかしな国になってしまいました。それに加えて、メディアの出鱈目な情報によって、国民を誤認にさせて大衆扇動を作り、ポピュリズム政治をしている姿は、大戦前の状況に酷似しています。この非論理性の国づくりが、日本を暗黒の世界に引きずり込む大きな流れになっています。野党をはじめメディアや有識者は、整合性がない間違った情報を国民に植え込みこみ、感情を煽る情緒論だけで国家運営をさせようとしています。感情による大衆扇動は、国づくりに於いて何も価値を見出さないということを、そろそろ日本人は理解しなくてはいけないタイミングだと思っています。
今回の武漢熱の対応を見ていて、日本の「国づくり」の大きな闇が潜んでいたことが見えてきました。
 これまで日本は、知識層である学者やメディア(言論空間を職としている人)が、リベラル思想や人権を謳い言論空間だけで日本の国づくりをしてきました。しかし、未来という時間軸で見たときに、将来の日本民族は豊かになっているのか?という問いが生まれます。過去に捉われた国づくりは、すべてが前例主義や既存の既得権(省益・経団連・連合など)を守る体質から抜けられない国体をつくります。その後ろ向きの姿勢が、古い体制を守る国づくりをしているので、すべての対応が迅速さに欠けて解決が出来ず後手後手に回ってしまう体質の国になってしまいました。
 時代に合わない体制は、既得団体として残り60~80年代に作られた日本独特のリベラル思想(国家観と民族観のない平らな社会)が、つくりました。そのリベラル思考からくるメディア・政治リテラシーは、前例主義を軸とした思考でしか捉えていないので、時代を切り開く英知や有事になったときに問題を捉えることが出来ない国家体制になるのは当然です。
 さらに、大手メディアの情報や政治サイドの言論は、まったく現実とは乖離した言論空間を作り、公私混同による営利活動が複合的に絡み合い、後世につなげる国づくりの場では無くなってしまいました。(マスメディは、自社を守るための言論活動をして、政治家は党利党略しか興味がなく、国の政ごとをしないで無作為に国を動かしてきました。)それによって、国会は不毛な議論しかせず誰も責任を取らない言論空間を作り、国家運営の機能不全は国力を落とし民族の弱体化につながってしまいました。なぜ、そのような状況になったのか? そろそろ日本人は、その原因を知ることからはじめ、現状を脱する思考回路を持たなくていけないと思います。
 国会中継を見ても、時代錯誤なことをしている状況を批判する議員が、一人でも出てこなくてはいけないと思えてなりません。リベラル思想を中心に、「資本家 対 労働者」と「権力 対 庶民(マスメディア・野党)」という軸を作り、その対立軸で語ると、すべて問題が捻じ曲げられているのが見えてきます。その思考は、全共闘時代に作られたプラットフォームで、高度成長期の日本の政治・経済には対応ができましたが、時代は大きく変わり、その対立軸では解決できない状況になってしまいました。そして、対立軸がどこにあるのかが解らない人たちが、国の政ごとをしている不思議な社会を作ってしまいました。その1例が、日本企業は弱体化して、かつての労使関係で社会を作る仕組みでないにもかかわらず、「企業 対 労働者」という軸で社会を捉えようとしていること事態が、滑稽な姿になっています。すべてが、60~80年代の思考のレンズで判断し、ピントが合っていない状況の中で、国家運営を長年に続けてきたのが日本の政治です。そして、「リベラル思想」は整合性に合わない報道と政治政策によって、日本人の思考を停止させてしまいまいた。その盲目になった状況で、間違った情報と大衆扇動で国を動かす極めて危険な状態が、いまの日本です。こうしたことは、コロナの報道と政治対応を見ていると、とてもよく解ります。以前から言っていますが、日本はコロナの感染症による打撃は、国が震撼するほどの危機的な状況には至っていません。メディアや新聞は、毎日感染者数を取り上げて不安を煽るようなことばかりを言っていますが。日本は「戒厳令(ロックダウン)」にもなっていなければ、規制による外出まではなっていません。ほとんど、自由に移動が出来る生活空間になっています。都市部では、通勤ラッシュをして会社に行けば、多くの人と接して人口密度が高い場所で仕事をしています。買い物をするときのスーパーや商店においても、あれだけ人が密に接している姿は、海外から見たらとても理解出来ない状況です。あの生活をして、感染者数や重篤者数や死亡者数(感染による)が他国に比べて圧倒的に少ないということは、奇跡に近いことがおきていることを日本人は知るべきです。その事実を理解すれば、去年から世界とは違う政策を打ち日本独自の道をあゆむことが出来たと思っています。そして、庶民の生活はもっと活気のある環境になっていたと思っています。事実を正確に伝えず、過剰な経済自粛や理にあわない規制は、日本の国力を落とすどころか後世に影響することは間違いありません。そして、いまも日常生活に不必要な規制を続けています。
 世界は、コロナ収束に向けて動き出しています。レストランをはじめスポーツ会場は、正常化に向けて段階的に戻しています。(アメリカ・カナダの国境が、7~8月中に開くかどうかの検討に入っています。これは、北米では終息宣言をする手前まで来ています。)いまの日本のメディアや国会は、いまだに「危機を煽る」閉鎖空間に日本人を閉じ込め、洗脳活動をしています。今回、コロナによって闇が見えたというのは、数理学的に社会をみないで出鱈目な世論誘導をする政治家とメディア・有識者が、あまりにも多く国家観と民族観を持って発言をしていないことが解ってしまいました。ほんの一部の人によって作られた出鱈目な情報は、コロナ後さらに庶民の生活を圧迫し国づくりの失態は、次の世代に大きな負として残ります。この舵取りの誤りは、20~30年という単位で日本人の生活にのしかかってきます。

 

―数理学から見る日本社会―

 コロナの対応・東京五輪の運営にしても、中心に関わっている人たちは何をしているのか? 国会答弁での与野党の無能な発言もさることながら、感染対策分科会長の発言を見ていても、具体的な政策もなければ、机上の理論でしかない馬鹿げた世界になっています。なぜ、具体的な行動や仕組みを作らないのか、よくわかりません。そして、どこの集計データを基準にしているのかが、まったく見えてきません。日本の大きな弱点は、有事に於いて政策を提言し行動出来ない人が統治をしている現実。国・地方自治の両者に言えるのですが、「なぜ何千万円もの給与を受け取って、国会・地方自治で仕事をしているのか?」 この問題は真剣に考えなくてはいけないと思っています。なぜなら、政策をひとつ間違えることによって、莫大な損失することが理解していないからです。そして、「国民の血税を使って無駄遣いをしている」と声高に訴えている人が、政策提言や解決の実行も出来ずにパフォーマンスで飯を食べている議員だということです。
 今回、数量学者の高橋洋一先生が「さざ波発言」をしたことで、メディアや野党は政権を批判する茶番劇をしましたが、本当にその論点が真っ当な意見なのか? 野党やメディアは、高橋教授の本質の発言(政策)を否定するならば、科学的な検証と整合性の中で討論をするべきだったと思います。しかし、情緒論や感情論で言論空間(笑笑や「屁みたい」Twitterでの発言を、メディアや野党は倫理観を問う問題にした)を支配して、高橋教授の意図する本質をくみ取ることはしませんでした。統治に関わる人は、政策や実務をひとつひとつ組み立てて実行して「国づくり」をしていくことが本業です。
 日本の言論空間は、メディア・野党を中心に情緒に訴えて大衆迎合をするという不毛な行為を続けた結果、迅速に対応ができない仕組みになってしまいました。本来の「国づくり」は、政策というブロックを1つ1つ組み合わせて作っていくモノ作りです。いまの政治は、その作業を怠り後世にすべてを先送りしています。責任を取らない仕組みと、何も決まらずに前に進むことをしないシステムは、日本の国力を落としていることに繋がっています。この状態を続けていけば、日本は5~10年後はさらに劣化し庶民の生活は貧困に引き込まれていくでしょう。
 日本の大きな問題は、日本中に蔓延している空気のようなリベラル思想(メディアや野党勢力が握っているイデオロギー)を否定した場合に、言論空間から抹消されてしまう怖さがあることです。その行為は、国づくりの障害になっています。未来を見据えた舵取りは、一時的な感情論や大衆迎合では出来ません。時には、冷淡な政策が国を動かすこともあります。「民族が続く・国が続く」とは、いま何をするべきなのか? この発想が、いまの日本人の思考にはありません。今回の高橋教授の件は、一人の学者を集団で整合性の英知を潰すという行為を徹底的にしたことです。メディア自身は巨大な権力です。野党議員は、国家を背景にした権力者です。それらが、一体となって個人をつるし上げ言論封鎖と政策提言を抹消してしまったことは、ある意味、言論空間の魔女狩りをリベラル思想の人がしてしまったということです。
 整合性のない政策決定は、国づくりの根幹にかかわる問題になり、国民生活の貧困化をさらに加速していきます。多くの人は忘れたと思いますが、去年4月15日に新型コロナウイルスの感染が拡大する中、厚生労働省のクラスター(感染集団)対策班の一員である西浦博・北海道大教授(理論疫学)は、外出自粛などの対策を全く取らなかった場合、重篤な患者が国内で約85万人に上り、このうち約半数の40万人程度が死亡する恐れがあるとの試算を明らかにした。この発表されたときに、多くのメディアは飛びついてその学者を賞賛しました。その発表を媒体にして、恐怖を植え付けて「コロナは怖い」という印象操作の下地を作りました。私は、その発表が出た当時から違和感と「まともな学者」なのか? 疑いの目で見ていました。なぜなら、世界の研究機関が発表するデータを見ていると、あまりにも整合性の合わない数値を発表したからです。常識な判断があれば、誰でもわかるものをメディアはデータを否定するわけでもなく、国立の大学教授というだけで検証の無いまま「恐怖」を拡散しました。世界と日本のズレが、どこにあるのかを明確に説明しないまま、その学者の意見を取り上げて欧米と同じような感染状況になっていくと発表し、日本も欧米並みの規制をするような政策に移行していきました。そして、日本人に非論理性の認識を与え「コロナは怖い」という印象操作をして、世論を作っていきました。メディアが世論誘導をしているときに、高橋教授は反対の理論を展開し感染者数の波の動向を、数式によって予測し感染者数と波の時期を数理学の中で対策をたてていました。こちらのデータは、ほとんどオールド・メディアに取り上げられることはありませんでした。

 本来、国を動かす人間や知識人・メディアは、基礎データに基づく政策決定が、どうなっていったのかを 多角的に検証して、整合性の中で比較することが大きな仕事だと思っています。基礎データがあまりにも現実と乖離していた時には、メディアは問題を取り上げその開きについて事実検証をするのが仕事です。政治家は、どのデータを基軸にして政策をつくり、未来につなげる国づくりをしているのか明確にするべきです。いま日本の大きな問題は、国民に恐怖と過剰な危機感を与え、自主規制によって必要以上に経済規制をして景気を止めていることです。その責任は、政治家・知識人・メディアを含めて持たなくてはいけないと思っています。北米から見ていて、不思議に思うのは高橋教授のような、正確なデータを出し国力を落とさない政策を提言している人を潰して、出鱈目なデータと大衆が興味をそそること(大衆迎合)を提示する人を国づくりの中心に置く体質です。いったい、その体質はどこにあるのか? いまだによく解りません。

 次の参考サイトは、カナダが進んで日本が遅れているという話しではなくて、データから見るといろんなことが見えてきます。日本には、多くの研究機関があるにも関わらず、データを収集して発表をしていないという現実を受け止める必要があると思っています。英語ですが、参考までに見てください。

 BC州 保健省がWEBサイト
 https://experience.arcgis.com/experience/a6f23959a8b14bfa989e3cda29297ded
 東京都のWEB
 https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/

 日本は、「今日の感染者数」だけをニュースで発表していますが、それは、本来の報道のあり方ではないと思っています。正確に報道するのであれば、「完治した人数」「病床数」「死亡者数」も報道するべきです。そして、起原から現在までのタームでデータ化すれば、感情に惑わされないで的確な政策や対応につながっていきます。
 東京都とBC州のWEBを比較すると、面白いことが解ります。東京都の方は、次に同じような感染症がはじまった時に、データから政策や対応が分析出来にくい集計表になっています。いかにも、役人がまとめた指標であり、自分たちが書類上にまとめるデータモデルにしかなっていません。今後のバイオテロやアウト・ブレイクに対応できる集計表にはなっていません。同じような感染症のパンデミックが起きたときに、あの表を見て一般の議員や町中の医療関係者は、政策や対応を果たしてできるのか? BC州は、場所・年齢に別けて状態や状況を簡素化したデータで、誰でも視覚から状況を判断できるデータになっています。すごくシンプルにして必要な数値だけ出せば、住民は天気予報なみの情報として理解します。なぜ、次につながるデータフォーマットにしなかったのか、不思議でたまりません。東京都は、中規模の国家と同じぐらいの財政と人口を抱えている大都市です。国家と言ってもおかしくないぐらいの財と自治権も持っています。意味不明なコロナ自粛の宣伝費に使うのであれば、大学や医療機関や東京消防署と連携して、世界に通用するデータ発信のWEBは出来たと思います。(今後のことを考えたら、東京都のデータ集計は災害時の緊急対応や感染症対応にするべきです。専門家もこのデータを見て対応が出来るようになれば、トップダウンで支持を出さなくても済みます。戦場時に近い感染症がパンデミックになったときには、地域や年齢が重要であり、どこに一番感染患者が集中しているかを明確にする必要があります。そして、どこで治療が出来てどのような対応ができるのか、住民にも知らせるサイトにするべきだったと思っています。そして、町中の医療従事者でも参考になるような情報発信の場にするべきだと思っています。)

 WEBサイトを比較して見ても、東京に国際都市としての統治力が無いのが見えてしまいます。(次回のコラムでは、BC州が段階的に経済復興のシナリオをTwitterで掲載しているので、それを参考にITと行政をどのように組み合わせて統治してくのかを考えます。)
 かつては、技術大国と言われソニーやパナソニックや富士通などのITに強かった国が、それを駆使できなくなってしまった背景はどこにあるのか、その疑問はぬぐえません。

 以下は、蛇足ですが高橋教授が、「さざ波」という意味はこのデータからわかります。これを見てしまうと、国会議員やメディアの人たちが、いかに茶番劇をしているのかが解ります。そして、誰が国の成長を止めているのかが解ります。今回はイギリスのデータから引っ張ってきました。

 Global Change Data Lab(オックスフォード大学が運営する研究機関)
 https://ourworldindata.org/covid-cases

新たに確認された COVID-19 の症例数(1日あたり、100 万人に対して感染者数)
<日本は、一番下の緑のグラフになります>

 これを見てわかるように、日本はさざ波のようにゼロ付近で波を打っているのがわかります。科学的なデータを見ても、日本はとても感染対策をやってきた国家です。しかも、国家権力による規制ではなく、庶民の尽力によるもので、ここまで抑えてきたということは先進国では異例中の優等国家です。このデータを見れば、他国とは比較にならないほど感染が拡大していないのが理解できます。日本のメディアのズルいところは、このようなグラフを日本人に紹介せずに、感情と大衆を煽るような言論空間に国民を誘導して、テレビ・新聞で誤認をさせる誘導操作していることです。そして、多くの知識人やメディアは対立軸を違ったところに軸を作り、日本国内を分断させるようなことをしていることです。

 

―東京オリンピックを反対する輩―

 日本はどこに向かおうとしているのか? 国として民族として、進む方向がまったく見えません。それに加えて、五輪中止を呼び掛けている人の意味が理解できません。科学的な検証をすれば、数か月後にはどうなっているのかが予測つくにも関わらず、感情論だけで世論を作っていくのは止めるべきだと思っています。五輪まで2ヶ月を切り、著名人やメディアが中心になり五輪中止を呼び掛けている行為は、整合性にあった上で反対をしているのか? 日本の言論空間の理解に苦しみます。反対をする知識人は、すべての状況をテーブルの上に載せて議論をするならば理解できるのですが、「コロナが危険」という感情の一点だけを見て発言している人が多いように思います。そして、その人たちの思考は 「もし、国民が感染して多くの犠牲を払って死亡者が増えたらどうするんだ?」ということを異口同音で言います。
 そもそも、オリンピックの延期や中止の決定権は日本にないという事実をメディアは報じていません。IOCが、すべての全権を持ち仮に日本が「五輪をやらない」としたときは、次のようなストーリーになります。日本は、場所を提供する施設(開催国)であり、IOCはオリンピックというイベンターという関係です。数年前に、イベンターが施設の予約をして開催期間と規模を決めました。ここで日本が中止をするということは、施設側が違約をしたということで莫大な金を払って中止にするというストーリーになります。日本は、忠実に国際信用を築き上げてきた国家です。先人たちは、いろいろな難局を乗り越えて国際信用を作ってきました。それが、たった一回のドタキャンをしたことで、国際ルールを守らない国家というレッテルを張られてしまいます。そして、諸外国は上の図(データ)を見て、これだけ感染者や重篤者が少ないにも関わらず、なぜ中止にするのかが理解できない意味不明な統治力のない国に認定されてしまいます。国際信用も無くなり、統治能力のない国家になれば、世界は日本を軽視して国力が落ちた弱小国として扱ってくるでしょう。
 先進国の多くは、このオリンピックをコロナからの脱却と新しい時代のはじまりにしたいと思っています。コロナの終息宣言を、どこでするのかを探っています。誰が、その言葉を言うのかを世界は待っています。東京オリンピックをしたときに、菅首相が「終息宣言」を発表したら世界の中心は日本になります。2021年の東京オリンピックは、歴史的な分岐点に必ずなります。いま、日本人が必要なことは大きな時間のサイクルで、時空間を捉えることです。世界は、武漢熱によって目標を失い不透明な社会の現実を、どう受け入れていいのか解らなくなっているのが世界の現実です。
 そこで、平和の祭典とアスリートの人生を掛けた戦いは、多くの世界の人たちの心を揺さぶることは間違いありません。日本は、この祭典を通して民族としての力を示す千載一遇の機会を手にしています。天の采配は、その大舞台を日本が引き受けるという運命的な場面を用意してくれました。その大舞台を、自ら降板させようとする輩(勢力)の意味が解りません。そして、オールド・メディアは五輪中止を謳っていますが、本当に五輪が中止なって困るのはテレビメディアです。彼らのように営利目的でしか見ていない輩が、「中止をうったえている」主張は何の整合性もありません。そんな輩が、国民感情を煽り「国民の生命・財産」を守る正義の味方をしている姿に滑稽すら感じます。
 今回のメディアの報道や行動は、忘れずに見ていく必要があります。そして、整合性のないことを発し世論を作っていくロジックは、しっかりと捉えておくべきです。日本人の悪しき習慣に、忘れてしまいまた同じ繰り返しをするという性質を持っています。これは、日本人の悪い体質でもあります。
 今回のオリンピックは、民族として次世代の生き方にも大きく影響を与えるイベントになることは間違いありません。正しい組み合わせをすれば、東京五輪は大きな問題が無くできます。ワクチン接種にしても、菅政権の敏腕さがよく見えます。前回の回では、一ヵ所に集めて大量摂取をする批判をしましたが、いまは企業や大学などが会場提供をしてくれるまでになりました。このペースでいけば、高齢者のワクチン接種は夏の中旬までには終わるでしょう。日本の強いところは、方向が決まったら迅速に体制を整えることが出来ることです。それは、民族の特殊性でもあります。
 さらに、オリンピックを開催すれば家で五輪を見ることで外出が控えられて、一石二鳥の状況になると思います。その観点から見ても、五輪はする必要があり不必要な恐怖を煽る報道はするべきではないでしょう。正しい衛生管理と公衆衛生と病院対応さえできていれば、開催しても何の問題もありません。それは、上のグラフから見ればはっきりとわかります。

 

―平和の祭典で国際世論を作る―

 なぜ、今回五輪をするべきかという根幹は、上記に書いた以外に別の理由もあります。それは、対中政策を明確にして国際世論を持っていく、絶好の機会だといえるからです。いまの日本は尖閣諸島について、八方ふさがりで何も出来ていない状況になっています。一部の国会議員は、必死に対応と政策を取りまとめて、現行の法律の中で何が出来るのかを政策実行していますが、一向に現状を変えられない状況に変わりはありません。このコロナ禍に、尖閣諸島に政府関係者を上陸させたら、与野党・メディア・経団連が束になって袋叩きにして政権潰しをしてくるでしょう。そうなれば、いまの菅政権はそれを跳ね返すだけの体力もなく、政治不安を作り国力を弱めていくことになるでしょう。
 しかし、ものはとらえようでオリンピック開催中に、国民の関心事がオリンピックに注目してメディアが政治世論を作りにくい状況時に、「環境調査」という名目で小泉環境大臣を先頭にして実地調査をしたらどうなるか? 思い出してください。ロシアは、クリミア半島侵攻をソチ五輪の開催中に実行しました。その過去を見習い、日本人はもっとしたたかに国際情勢に対応すべきです。五輪の開催と同時に、国産のUS-2という世界最高の飛行艇に乗って、現地調査と温暖化調査という名目で上陸をすれば日本は世界に対して、強力なメッセージを発することになります。平和の祭典をしている国家が、自国の領土の温暖化調査(地球温暖化には疑問はあるが、世界が飛びつきやすいトピックにはなる。)というパフォーマンスをすれば、世界は日本に追随して尖閣諸島は日本の領土という世界世論を作ることが出来ます。
 いま、尖閣諸島は中国の海警局の艦船が毎日、日本の領海に入り日本の領海領土侵攻の機会を伺っています。日中が長年に渡って無人島の状態にして、日本の領土でありながら日本人を上陸することを禁止した状況を作ってきました。国が所有しているにも関わらず、国家機関の人すら立ち入ることのできない状況です。世界の常識では、理解できないことを長年に渡ってした結果、いまは沖縄県の漁民が漁をしたときに、中国の艦船に追われるという国際法では考えられない現実が起きてしまいました。日本の領海でありながら、中国の艦船に日本人の経済的自由が奪われるという、おかしな現象がいま現在起きています。それに対して、日本のメディや政治はまともに取り上げてきませんでした。
 今回、菅政権は大きな切り札を手にしたといえます。人気度の高い小泉環境相を起用して、尖閣諸島に上陸をさせて、彼の得意とする「ワンポイント・フレーズ」を言ってもらい、政治主導で世論を作れる絶好の機会が訪れたと思います。小泉氏であれば、次の選挙で落選することもければ、メディアが袋たたきをしても大きな痛手にはなりません。表面上は、環境メッセージを謳い。(彼お得意の「カーボンニュートラル」を提唱すれば、リベラル陣営の好きな環境問題につながる。)民主主義陣営には、対中国政策を明確にしたことを表すことになります。
 自由主義陣営は、日本の覚悟を見ています。どこまで、対中政策をしていくのか? 本当に日本は、自国を守る決意があるのか? 世界は、注目して見ています。今回、環境大臣を上陸させることによって、ゴールポストを日本サイドに、戻すことにもつながります。いままでは、中国にすり寄った政治家・メディア・経済人が日本の中枢に入り、ゴールポストを中国の優位な方に動かしてきました。その事実を、多くの日本人は理解しないで今日まで来ました。今回の武漢熱にしても、発端は中国から出てきたモノです。それを、世界は中国を非難することを辞めて、国内政治の問題として世界各国は苦境の中で苦しんでいます。
 今回、菅政権は強い政治力を見せる絶好の場になります。たった一人、知名度の高い議員を送るだけで、国際世論を変えられるということは、コスト・パフォーマンス(あまり好きな言葉ではないのですが)から見ても、低予算で最高の国益を作ることが出来ます。これを実行することによって、改憲を望んでいた本保守の有権者が自民党に戻ってくると見ています。秋には、総選挙が待っています。東京オリンピック以降の日本は、国防と経済復興を同時に舵取りしなくてはいけなくなります。そのときに、このパフォーマンスは独立国家として、日本の分岐点になることは間違いありません。東京オリンピックを開催する意味は、「コロナが怖い」というレベルの話しではなく、民族生存競争の存亡に掛けた戦いがすでにはじまっていることを日本人は気づかなくてはいけないと思います。一見矛盾しているように見えますが、平和の祭典をしながら国防の下地を作るというしたたかさが、いまの日本という国には必要です。

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