歴史から抹消してしまった国防と国益 61
―民族観と国家観から見る国際政治-

世界が壊れ行く中で、日本だけが世界の流れとは違う空間で流れています。増税問題は、日本社会にとっては死活問題ですが、国内の中でいくらでも解決ができる問題であります。世界は、ウクライナにしても中東にしても、自国の中では解決できない状況で、国内政治が機能しなくなっています。世界は民族生存競争の中で、生き残りをかけた苦闘がはじまっています。さらに、民主主義陣営も国が破綻するかどうかの瀬戸際まで来ています。
 北米の近況で言えば、トランプ政権が誕生して安泰に向かうのかと思いきや、突然のカナダ首相トルドー氏の辞任とロサンゼルスの大火災によって、北米社会はさらに未曽有な危機にむかっています。カナダは、首相が不在で何も決められず、国家運営が出来ない状況になっています。さらに、カナダもアメリカも大量の移民を受け入れたことによって、庶民の生活は物価上昇と失業者が増えて、貧困層がどんどん広がってきています。
 そこに大火災がおきてしまいました。日本のメディアは、普通の山火事として報道していますが、幾つもおかしなことが重なり常識では考えられない事態になっています。その1つは、火災が起こる前に、火災保険から自然火災は適用から外され、多くの人たちは何の保証も受けられない状況になっています。さらに、ロス市長は水利権を変えてしまったことで、水が足りない事態になり消火活動がまともに出来ませんでした。ロス市長によって、意図的に水が足りない状況を作りました。ハワイで起きた山火事と同じようなことがアメリカ本土でも起きました。いまのアメリカは、どこに正義と正当があるのか解らなくなり、2020年のアメリカ大統領選から露骨に、不正や奇怪なことが起こる国になってしまいました。今回の山火事は、政争の道具として使われたふしがあり、庶民が犠牲の上にアメリカ社会が乗っている構造になってしまいました。すべての全容が見えてきませんが、トランプ氏の就任と同時に、このおかしなことが究明されていくと見ています。
 いままでのアメリカは、世界の各地域で有事を作り、利権と金儲けにまみれた政治を続けてきました。その構図は、バイデン政権になってさらに露骨になり、国内でもするようになりました。難民の受け入れにしかりLGBTの問題は、公的資金が流れる利権を作り民主党主導で、国民が意図しないことをし続けてきました。それによって、国民が分断化しリベラル政治が、不自然なアメリカ社会を作っていきました。
 今回のロス火災によって、一番リベラル色が強かった街が犠牲になり、リベラル政治の奇怪さに国民は気づきはじめました。
 トランプ大統領の就任式を見ていましたが、クリントン氏から続いてきた軽薄なセレモニーから、一変して厳粛な儀式(キリスト教規範を重視する)に変わりました。アメリカは、いままで続いてきたリベラル政治を終焉させ、アメリカン・デモクラシーに戻ろうとしています。そして、エコ問題とLGBTQ問題を明確に社会問題にしないことを明言しました。さらに、対中政策を明確にし国内産業に力を入れることに舵をきりました。
 その世界が変わろうとしている中で、日本はタレントの性加害と消費税の問題に集中している歪さに、自覚すら持ちません。特に、ひどいのは政治家や有識者(アカデミック界・メディア)が、大きな変革がはじまっているにも関わらず、間違った認識でアメリカを見ていることです。たまに日本のオールド・メディアを目にすると、的外れな報道をして日本人に事実を伝えずに、見誤った認識を与えてリベラル政治に誘導していることに気付きます。
 そのいい例が、トランプ大統領の就任前の「カナダに51州目になった方がいい。」「グリーンランドをアメリカ領にする。」の発言です。日本メディアは、相変わらずトランプ大統領の無法さとデリカシーのなさを取り上げて報道していましたが、Grand Strategy:(国家戦略・国家策略)の視点から見ると、アメリカ政治が大きく転換することを示唆しています。アメリカは、孤立主義(モンロー主義)に段階的にしていき、世界の警察を辞めて1940年前のアメリカに戻ろうとしています。そうすると世界の秩序とパワーバランスは、まったく違うモノになっていきます。
なぜ、カナダやグリーンランドをアメリカにしたいのか?
 (実際、カナダを51州にしようとは本気では思ってはいません。トランプ氏は、トルドー政治のリベラル的思考が嫌いで皮肉で言ったところがあります。この発言によって、トルドー氏は辞任に追い込まれました。ただし、グリーンランドの買収とは意味が違います。)この2つの発言で共通しているのは、北大西洋の北極圏が地政学的に重要な意味を持ち、どこかの場所にハワイのような軍事拠点を置きたいと考えていると見ています。いままでは、自然が城壁になって北極圏は国防に力を入れなくてもいい場所でした。しかし、気候変動によって北極海航路が通過できるようになったことで、中国とロシアが活発に動くようになり、軍事的危機が背景にあります。さらに、貿易の主要の航路にもなると見ているので、国家安全保障から見てもカナダかグリーンランドのどこかに戦略的な場所を作りたいとして考えているのが、この発言からも読み取れます。この国防システムが出来ると、アメリカはNATOの加盟に意味を持たなくなり、脱退していく方向で進んでいくと見ています。
 その1段がグリーンランドの買収だと見ています。そうすると、戦後に作られた民主主義グループの枠と軍事同盟も変わり、世界の構図がまったく違う秩序になっていきます。国連(戦勝国の互助会)は何の意味も持たなくなり、80年間続いてきた常任理事国を中心にした戦勝国の統治の終焉を意味します。


なぜ、グリーンランドの買収が現実的か?

 民族観からグリーンランドを見ると面白いことがわかります。グリーンランドの住民を見ると、アジア人のカラーリットというエスキモーやイヌイットと同じ民族が生活圏を作っています。グリーンランドは、白人(デンマーク系ゲルマン人)がイヌイット系アジア人を植民地支配してきた歴史的経緯があり、白人社会が作ってきた人造国家です。そして、1979年にやっと自治区としてデンマークの政治とは距離を取れる関係になりました。住民が自分たちの意志で、デンマークよりもアメリカの方が未来あると決定すれば、デンマークからアメリカに行くことが、住民自治で決めることが出来ます。
 世界のパワーバランスは、グリーンランドでもはじまっていて、中国やロシアが領土獲得のために動いています。ウクライナや新疆ウィグル地区のように、民族浄化の危険にも直面しています。その危機は、住民しかわからない皮膚感覚があります。そうすると、彼らがアメリカに民族の将来を委ねるという選択が、良いか悪いかは現地の住民しかわかりません。
 アメリカは、いままでいろいろな州をお金で買ってきた過去があります。1867年には、ロシアからアラスカを買いました。そこに先住民のイヌイットやエスキモーの人たちが住んでいました。ルートをたどれば、アラスカの先住民と同じ民族で、彼らにとっては同胞でもあります。その同胞と国籍が同じになれば、民族生存にもつながります。そもそも、白人が勝手に国境を作って民族を分断化させた経緯からすると、元に戻ることは自然なことであります。彼らにとって、国籍が変わることに大きな意味を持っていません。なぜなら、デンマークとは文化や民族が違うからです。
 歴史観や国家観や民族観から見ると、日本の情緒的感情論とはまったく違う世界観で見ることが出来ます。これを、トランプ大統領の無法で品性が欠けるというレベルで語っている、日本のオールド・メディアや有識者の稚拙さに呆れてしまう理由はここにあります。世界は、すごい勢いで民族と国家編成がはじまっていて、日本人だけがそれを理解していません。

―乏しい国家観は、生活圏にも影響している-

なぜ、日本は世界のグランド・ストラテジー(Grand Strategy)に疎いのか、理由は2つあります。1つ目は、日本は2000年以上、国(土地)と民族が一体となって国が続いてきた国家だからです。それによって、民族と土地と国家の関係を別けて考える発想を持っていません。陸続きの国は、常にLand(土地)とかTerritory(領域)を他民族の侵略と略奪の繰り返しの中で、民族の生きる道を探してきました。多くの民族は、熾烈な生存競争の中で生き抜く知恵を子々孫々に伝えていきました。いまの日本の政治家や有識者は、その民族観から世界を語る人はいなくなりました。エマニエル・ドット氏やサミュエル・ハンチントン氏の文化人類的な思考が、日本では主流にならないのは、島国で民族の再編を気にしなくても生きていける環境があったからです。加えて、戦後は経済が良かったので、国家観や民族観が生活に重要な意味を持ちませんでした。
2つ目は、戦後のGHQの占領政策(敗戦責任洗脳プログラム)によって、3つの観(国家観・民族観・宗教観)を奪われたから、80年間は日本の伝統的な作法や思考が亡くなっていきました。特に、敗戦後教育は日教組を中心にして、日本民族の意識を持たせない教育をし続けてきました。その結果、日本人が世界を見るときに経済と国力(先端の技術や天然資源)でしか見ることが出来ず、すべて市場主義の価値判断しか出来なくなりました。すごく狭い価値基準しか持っていないので、人種問題や民族問題を見るときに日本的な情念と感情論で問題を捉えて、表面的なことでしか価値判断が出来ない思考になってしまいました。いまのオールド・メディアは、中途半端な全体主義と感情に同調させる希薄な報道をして、真実がどこにあるか煙に巻いた報道しかしていません。だから、ワーホリや留学でカナダに来ていても、民族のグラデーションが出来ていないので、深いところで国際社会を見ることは出来ません。多くの日本人が、海外で根付かない理由はそこにあるような気がしています。これだけ大学の進学率が高く、幾つも国際関係学科があり、外国語学科があるにも関わらず、何を学ばしているかが理解に苦しみます。
さらに不思議に思うのは、幾つもの外国語学科がありそこを卒業した人が、その言語をいかした仕事に就けていないことです。先日、ニュースである役場が中国人や中東の人が増えたことで、その言語を話せる人を募集したところ、すべて外国人を雇うことになったという記事を目にしました。役場の人も、「いろんな国の人が働けて、国際色豊かな職場になり、国際化になっている」と言っていましたが、それが本当に「国際化」なのか? 
これは、いまカナダに来ている留学生やワーホリにも共通のことが言えるのですが、短期間外国の人と働いた時間が国際化になったと思っている人がいますが、この認識は大きな間違いです。私が、ここにいる日本の若い人たちと農作業やカナダの職場に紹介して、彼らがそこで働くときに言うことが2つあります。
  
「外国人と喧嘩出来る関係になれ。」
「自分が正当だと思っていることは、相手を説得して自分が折れるな。」

 この意識をもつことで、異文化の対立軸を自分の体の中に入れることが出来ます。実は、この感覚はすごく大切で日本の‟Justice“正当性や正義を相手にぶつけるという作業が、異文化の人たちと共存していく入り口になっているからです。
 日本の役場の話しに戻しますが、外国人が公共施設で働けるというのは、国際水準から見ても不自然です。多民族国家のカナダでは、地方行政や国家行政に外国籍の人は働けません。地方行政の役人になるには、カナダの永住権か国籍を持っている人しか採用しません。公の場所で働くということは、「公衆に奉仕」すべき立場であると同時に、市民の生活を守る仕事も入ります。そこには、明確に市民権を持っていないとその責任は果たせないと、定義付けているのが国際社会の認識です。市民の生活を守ることは、国家安全のセキュリティーにも繋がっています。外国人が、市民の財産やプライバシーに深く関与することは、市民の「公僕の奉仕」という考えにはなりません。公の場に働くということは、住民のプライバシー(家族構成から個人資産までの情報)を管理させることであり、いつ何時その情報が悪用させられるか解らない危険性も持ち合わせています。公平性という日本人のJustasがないと、特定の人種や民族の利益に誘導することにも繋がっていきます。
カナダでは、他民族の‟Justice “という正義・正当性・公平性をカナダの価値基準に変えながら、異文化の綱引きをしながら共存をしています。
 もし、外国人が公共サービスで言語での支障があるときは、行政が用意をするのではなく外国人が通訳とか同胞(現地の言葉が使える家族・友人)を連れてくるのが海外では当たり前です。そこの住んでいて、言語が出来ないのは自己責任という考えです。カナダでは、国の公認の通訳がいてそれを雇うシステムになっています。
 いま日本では、クルド人問題や中国人の公衆衛生・公的規範が社会問題になって解決出来ていないのは、日本人の中で異文化の人の対立軸が出来ていないからです。日本人は、他民族を入れたことによって「もてなし」と「公共サービス」の発想をはき違えています。外国の人と共存するということは、自分たちの民族観を明確に持たないと共存は出来ません。そして、異文化の人たちに民族のJustas(日本の規範)を伝えなくてはいけません。地方行政においても、民族観と国家観から社会を組み立てる思考が必要になってきます。日本の税金を使って、他国の人たちの生活を保障することが「公僕の奉仕」ではありません。
 仮に、住民サービスで多言語を使える人を必要とするならば、日本の若い人たちを雇うべきです。日本には幾つもの大学があり、多くの他言語を勉強してきた日本人の卒業生がいます。その人たちを雇用して、学業と仕事が1つの線で繋げる社会にするべきです。そうすることによって、個人の勉強も無駄にならず、日本社会にも還元できる循環システムができます。いま日本には、数多くの学校と行政の箱モノがあふれています。そこに異文化の人たちと日本のJustice(規範・倫理)で闘える人材を育てることが、世界に通じる一歩になります。そのためには、日本も地方レベルでもグランド・ストラテジー(Grand Strategy)の思考を持つ時代が来たと思っています。