~羽毛布団の思い出~

No.49

21歳の頃、隣街で事務職の仕事をしながら、夜、アルバイトをしていました。

昼間の仕事は経理事務でした。
本社が仙台市ということもあり基本給やボーナスは高く、年に数回の研修旅行があり、とても有意義な時間を過ごせました。

勤務時間は、午前8時半~17時半でしたが、仕事は午前中に終わる程容易く、午後からは課長や配置係の方と、お茶することが多い日々でした。

経理事務の仕事も慣れ始めた頃、知人の紹介で、アルバイトの話が舞い込んできました。
事務職には何の不満もありませんでしたが、夕方から、なにもすることがなく遊んでいるのが勿体無い気がして、何かしたいなぁ~と考えていた矢先の話でしたので迷わず、アルバイトを始めることにしました。

アルバイトは、羽毛布団の販売でした。
価格は、上掛け、敷き布団のセットで338,000円でしたが、飛ぶように売れました。

最初の月のアルバイト代は、10万円程度でしたが、2か月目は、15万円になりました。
わたしは、アルバイト3ヶ月目で仲間と一緒に、仕事用に使うアパートを借りました。

アルバイトを始めた時に、人と会い話をする場所は、ファミレスや人の家でした。

でも、いつでも気軽に集まれる場所があれば、便利だし、能率が良いし、いつでも使える場所があれば仕事がしやすいのでは?と借りることに決まりました。

アパートを使用する時のルールを決めて、管理する人や責任者を決めました。

わたしの担当は、夕食作りの指示と商品の最後の説明でした。
料理は、小学生からしていましたし、お喋りは大好きでしたから、じぶんの得意分野での仕事は、とても愉しかったです。

【愉しい所に人は集まるんだよ!】
【遣り甲斐のあることをしたいんだよ!】
【人に喜こぶことをしたいんだよ!】

アルバイト仲間で借りたアパートには、
夕方になると、10人~20人が集まって来ました。
何の話かわからずに連れてこられた人
夕食があたると言われて連れてこられた人
人がたくさんいるからと、とにかく来て!といわれて連れてこられた人
色々な人が恐る恐るアパートに入ってきました。

わたしは、いつも『お疲れ様です。お帰りなさい。お茶入れますから、どうぞ、どうぞ』と、初めて訪れた方々の気持ちを解すことに集中したものです。
羽毛布団の価格も去ることながら、嘘をついて連れてくる人が大半でしたので、初めてアパートに足を踏み入れた人を安心させるのが、わたしの役目でした。

あの頃、出逢った人達で 今でもお付き合いしている皆様に時々、言われます。
【あの羽毛布団はほんものだったね】
【あの頃は愉しかったね】
【また、何か一緒にやりたいね】

羽毛布団のアルバイトは、半年で止めました。
昼間と夜、働いていたので、身体を壊して入院してしまいました。
お見舞いに来た母親の心配した顔は今でも忘れられません。
【お母さん いつも心配させて申し訳ないね。でもお金たくさん貯まったよ!】
【お金があっても、身体を壊したら何もならいだろ!】

そんなやり取りの中、わたしは、羽毛布団販売に関わった人達の喜ぶ姿をベッドの上で思い出していました。
お金のために働くのではなく、人を喜ばせるために働くと、おのずとお金がついてくることを学んだ羽毛布団販売でした。

この時期、羽毛布団を使うとあの頃を思い出します。

今のわたしを創った肥やしになっている出来事です。

今日、何事もなく健やかに暮らせた1日に感謝します。
そして、今日ある命を大切に 生きていきたいと思います。

ありがとうございました。

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