~現実世界と精神世界~

No.51

昨年6月、緊急入院をして在宅酸素を薦められ自宅に最新型の酸素を供給する器械を設置したました。

在宅酸素の患者に対して肺移植を薦めるのが、病院の決まりになっているらしく、主治医から説明を受けました。

あの当時を思い出すと、物質世界で我慢しすぎることばかりが重なり じぶんらしく生きられていなかった気がします。

入院が決まった時、わたしは自力で酸素を吸うことが出来なくなっていました。
動くだけで息苦しさを感じ、喋ることも食べることもまま成りませんでした。
測定不能になった左目は充血し、もやがかかり全く見えなくなりました。
かろうじて見えている右目は、逆さ睫毛も重なり涙が止まりませんでした。

わたしは、昨年6月に入院してから、肺移植手術を受け入れてくれる病院を探すため、転々としました。

毎月、通っている富山市の大学病院の主治医の手厚いサポートもあり、ようやく仙台市の大学病院で肺移植の手術を受け入れてくれることになりました。

肺移植のために精密検査などがあり、何度も入院しました。
長い長い準備期間の中、何度も挫けそうになり 移植をするかしないか迷いました。

面倒で細かな検査が続き、目と肺以外の臓器最終検査を乗り越えた時は、じぶんにしか判らない感動に包まれました。

闘病生活45年にもなると辛く苦しい事より、嬉しくて愉しいことの方に意識が向くようになります。

だから、わたしは現実世界に起こることには感謝しかありません。

神は、わたしを生かしてくれて 成し遂げなければならないことを気づかせてくれると信じています。

わたしは 天が許さないことを やり続けると 死の淵まで じぶんがじぶんを追い込んでいくのが 明確に判るようになりました。

人間世界の現実は、悲惨で散々なことばかりですが、精神世界のことを知り、行動することで愛と勇気と正義が漲ってきます!

だから、わたしは耐えられるのです。
どんな困難も乗り越えて行けるのです。

体力が下がり、衰弱しきった身体になっても、また立ち上がれるのです。

肺移植の審査のための検査中では、何度も挫けそうになりました。

誰にも、わたしの気持ちを理解する人はいないので、じぶんじしんで乗り越えるしか道はありませんでした。

その度に、ほんとうの強いじぶんが、弱いわたしを叱咤激励し、奮い立たせてくれました。

そして、ついに、8月末に最終検査が終了したのでした。

ようやく、10月に肺移植の協議会から肺移植の認定通知を受けました。

苦しく辛い検査と厳しい審査を通過し、一年半の歳月を経て、無事に肺移植のドナーを待つだけになりました。

わたしは、医療で解明できない肉体ではありますが、最先端の医療方法を確認するために、肺移植の準備をしています。

移植のドナーが見つかるまで、今の状態が維持できるかなんの保証もありませんし、ドナーがずっと見つからない可能性もあります。

なんの確約もないことに対して、わたしはじぶんの肉体を酷使しました。

病歴が長く、難病指定されているわたしの肉体は、どの病院でも懸念され厄介払いで、たらい回しにされました。

それを県外の富山の大学病院と仙台の大学病院が受け入れ、熱心に手厚くサポートしてくださったのです。

肺移植専門チームのドクター、ナースは陽気で明るいメンバーです。

技術は去ることながら、気づかい、心配りが素晴らしかったです。

病院で働く皆様も優しく、親切で、人柄の良さが伝わってくるほど素敵な方々ばかりだったのを覚えています。

肺移植というと大変そうなイメージがありますが、それを吹き飛ばすくらいのサポートとバックアップがあることが確信でき嬉しさや安心感がありました。

だから、わたしは何の心配もしていません。

その現実世界を目の当たりにして、物質世界も精神世界も同じ仕組みなんだなぁと思いました。

時間をかけて確認し、じぶんなりに動いてみて、検証しながら、計画を立てて行動する。

じふんで正しいと思っていても、間違うこともありますし、大丈夫かな?と感じていても、天が許可することなら、現実世界はスムーズに流れ始めることもあります。

いつも思います。

わたしはなんのために生まれ何を成し遂げるために生きているのか?

わたしは、昨年6月から比べると、今はとても元気です。

供給されている酸素の器械は使っていません。

視力は右目だけしか見えませんが、日常生活はなに不自由なく生活できていますからありがたいです。

呼吸困難はなく、日に日に身体が軽くなっている気がします。

物質世界では、医療の最先端の堅実を体験しながら、じぶんじしんの可能性を信じています。

肺移植の準備の中、今年の6月に【イコンシール】のお話を、東京都で開催されたシンロジカルセミナーで聴きました。

わたしは、闘病生活の入院期間を思い出しました。

【からだに不要なものは外に出す】
【からだをキレイなものと入れ換える】

幽体離脱を体験してから大人になるまで、わたしの中から湧き出るフレーズと何とか似ていると思いました。

わたしは、イコンシールを自力でやっていたのだと感じました。
だから、積哲夫先生と繋がったのだと妙に納得できました。(笑)

わたしは物質世界では何度も何度も余命を宣告されました。
目は、いつ失明してもおかしくない状態だと言われています。

でも、わたしは じぶんの可能性を信じています。
無理をせず 直感の赴くままに生きていくのです。

じぶんが決めたことを諦めないで実行しようと思います。

関わってくださる皆様とコツコツ形にしていきたいと思います。

医学では解明できない肉体を与えていただき感謝しています。

恵まれた環境に感謝しています。

毎日、必然的な奇跡を頂いて感謝しています!

ありがとうございました。

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