~心境の変化の凄さ~

No.14

過去を思いだし、活字にすることが出来るのは、まだ右目の視力が、0.02の値だからです。

左目は、難病のせいで、瞳の真ん中が曇っています。
幼少から、ひどい乱視で物が二重に見えていましたが、この数年でぼやけてしまい、光りは見えますが、文字を読み取ることが出来なくなりました。

運転免許証の更新が出来なくなり、7年くらいでしょうか?
免許証所得のための視力検査が通らなかった時は、だいぶ落ち込みました。

でも、4年前まで難病とは気がつかず、診断もされなかったため、専門の眼科医に言わせると、数年前まで運転ができるほどの視力が出ていたのは、まさに奇跡だ!と言われました。

免許証がなくても、ありがたいことに身内や他人様で、運転してくれる人がいるので、とても助かっています。

高校生の時は、まだ視力が良かったので、バイクの免許を取り、学校に通っていました。

実家の坂道で、バイクで横転したり、友人達と列なり走行をしていて、転倒、、、そんな時は間一髪、いつも助けてくれる存在がありました。

一人でいるときも、他の人といるときも、いつも丁度良いときに助けが入り難を逃れていました。
わたしは いつも 何かの存在に助けられ 導かれ 促され 無難な結果をいただいていました。

あの頃は、じぶんの病気を隠しながら、健常者の友人と遊んでいたので、かなりしんどかったのを覚えています。

今年は 年頭から沢山の新しいイベントを経験しました。

仕事もプライベートも いろいろなことを体験し その度に 一生懸命、真剣に向かい頑張りました。
回りの存在の力を借りながら、段取り通り、スムーズに事を成しとけることが出来ました。

その中でも、10月は 精神的にも肉体的にも 大イベントの時期でした。

肺移植の審査、第4回のカミサマセミナー開催、そして第3回目の離婚届の提出でした。

人間的な感情が たくさん出てきた月でもありましたが、事が終わってみると 達成感や満足感や安堵感があり、涙を流すだけ流したら、また新しいことを始める気持ちに切り替わりました。

イベントの中で 一番良かったと思うのは、3回目の離婚でした。離婚を機に、じぶんの心境の変化を感じ それに対応する強い意志が芽生えました。

私は、元々 さみしがり屋で、泣き虫で、本当は、とても弱い人間です。

それなのに、意地を張り、じぶんの気持ちを押さえて、我慢して、無理してきました。

ゆえに、決まって、疲れてしまう結果になります。

私は、今までの使命感を履き違えていて、志が曲がっていたことに気がつきました。

私は、じぶんのやりたいことに夢中になると、じぶんのことや、回りを蔑ろにし過ぎて、ずれてきてしまいます。

そのズレに気づいていながら、見て見ぬふりをして修正しないのでいるうちに、結局はじぶんに返ってくる破目になりました。

性格は、かなり良い方だと思いますが(笑)、倫理に反したり、筋道を通さないことが、仇になり、じぶんも回りも疲れさせてしまうのだと反省しました。

『命は大事にしなくちゃ』
最近は、そんなことが頭に浮かんできます(笑)

人間界で経験することは、じぶんの魂を磨くことで、光と闇の値を変化させていくこと。

数年前から、2回目の結婚相手の元夫が 私の仕事のお手伝いをしてくれていましたが、3回目の離婚を機に 今後は、本格的に事業として働いてくれる流れになりそうです。

私は、柔な身体を持ち生きてきました。
この柔な身体の内なる生命力の強さで生かされてきました。

にんげんごとで考えたら、悩みや心配事ばかりになりますが、違う方面から見たら、それはチャンスであり、チャレンジする可能性を秘めているのだと思っています。

天の配剤は、誰にでもあると思います。

でも、それに気づくには、やり方があるのです。

正しい知識と ほんものの愛と勇気と正義を知らなければ 天の配剤があることすら気づかないのではないか?

果たして 今、自分が持っている知識は正しいのか?

そんなことを知りたくなった最近、魂は光と闇の半分で生まれてくると 聴きました。

私は、6歳で幽体離脱した時から 闇が気になり、魔に興味があり、人の思考回路や 人間的感情を知りたくなりました。

きっと、じぶんと人の光りと闇の割合を知りたかったのだと思います。

じぶんは、人とは違う、じぶんは、人とは別の領域だ!と感じながら 私が、私が、を解除し、じぶんにとって必要なことだけを大切に生きてきました。

わたしにとって、精神学協会のプログラムや他の資料は とても判りやすく書かれていて どれをとっても理にかない、府に落ちる、筋道がといった、府に落ちるものばかりです。

そのツールを元に ひとりでも多くの人たちに 正しい知識を学んでもらために じぶんの人生の真実を お伝えしたいと思うようになりました。

その理由は、一回で止めるはずだった 3月から地元で、はじまった『カミサマセミナー』を開催し続けているからだと思います。

私は、いつも日常会話で 精神世界の話をしています。
人の感情や気持ちや思いなどのいろいろな表現を活用しながら 魂に問いかける話をしてしまうのです。
意識と身体が繋がっている話しは、小学生の頃からしていました。
回りは、そんな私を宇宙人みたいだと言っていました。

でも、肝心なところは、見えない世界だよ!
魂は 本来のじぶんの役割に沿って働いているのか?
魂の光と闇は、どのくらいの割合で存在するのだろうか?
魔が差すとか、闇が湧くのは、なぜなんだろう?
そんな人は どのように回避していくのだろう?
果たして、一人で 解除できるのだろうか?

幼少から、そんなことばかり気にしていました。

今日ある命は、私にとっては、当たり前ではありません。

今日、人間的な感情を表現できていた私に付き合ってくれた回りの存在に感謝なのです。

今日も、無事に過ごせただけで、感謝、感謝なのです。