~厳しい教育のはじまりpart2~

No.8

小学生時代は、親元を離れて寂しい思いをした病院生活でした。
苦しい治療を我慢して、辛いイジメに耐えながら、ただひたすら家族と暮らす日を待ちわびていました。

でも、わたしの安易な考えが間違っていたことに気がついたのは、実家に戻ってすぐのことでした。

厳しいと思っていた病院の規則や親元を離れていた切なさは、実は筋違いだったと目の当たりにしたのは、退院して間もないまだ肌寒い春先のことでした。

家に帰ったら、好きなことをして、楽な暮らしが出来ると内心、喜んでいたわたしの安易な考えが、ことごとく覆されました。

礼儀作法、躾、人の心や生きるための社会学、人間学を細かく厳しく仕付けられました。

その厳しくも過酷で逃げ場のない状況は、治療やイジメとは違う別の意味を持つ、それ以上の辛さや切なさ、言葉では言い表せないほどのスパルタ式教育でした。

教えの内容は意識のことばかりでした。

病気のせいにしない。ひとのせいにしない。じぶんが発したことは最後まで責任を持つ。親兄弟がいることに感謝しろ。毎日、ご飯が食べれることに感謝しろ。雨露しのげる家があることに感謝しろ。

人には尽くせ。人には良くしろ。人に施せ。

嘘と泥棒はするもんじゃない。

三人姉妹の真ん中に生まれましたが、なぜか?いつも祖母は わたしの方を向いて説教をしていました。

『何でいつもわたしの方ばかり向いて言うの?姉ちゃんと妹もいるのに、、なんで?』と聞くと、祖母は決まって
『お前だけは、いつもニコニコして相づちを打つから、ついついお前の方をみてしまうんだよ(笑)』と言っていました。

そんなことを言われる度に、わたしの中にはいつも違和感が出てきました。

返事と行動は、三人姉妹のうちで一番早く、注意されたことは二度としないと細心の注意を払い気をつけていましたから、なぜわたしの方にばかり見て注意するのか、その頃は納得がいきませんでした。

反面、一番誉められいたのもわたしでした。

『お前だけは、いつも笑顔で、返事をして、注意したことを、すぐ直して同じ過ちをしない、素直で良い子だなぁ』

誉められると、嬉しくて、嬉しくて、またついつい張り切ってしまい他の人の分までやってしまうと、祖母に怒られたものでした。

『それぞれの役割分担を決めて指示してるんだから、余計なことするなっ!!』と言われ、全くその通りだなぁ~と肝に命じたことをよく覚えています。

今となれば、慣れてくると当たり前に思ってしまいがちなことに感謝できて、何をするにも感謝しながらこなせるようになったのは、祖母の厳しくも優しい躾のお陰です。

厳しい中には愛がありました。

その祖母の愛に見守られ励まされ促されて育ちました。

筋道が通り差別をせず、いつも沈着冷静で平常心を保ち、その正々堂々とした姿が、今でも脳裏に焼き付いています。

祖母の暖かくきめ細かい愛が、わたしの心の氷を溶かし、魂を磨いてくれたのだと思います。

わたしは今も、祖母に仕付けられた同じ場所に暮らしています。

今いる場所は、あの頃から、いやっわたしが生まれるずっ~と前から聖地だったんだと確信しています。

これからも、今日ある命を大切に受け止め、今日しか出来ないことを、私事の講釈ではなく、自分の解釈に沿って行動していきたいと思います。