~厳しい教育のはじまり~

No.7

病気を発症してから、6年の歳月が経った頃、わたしは 退院することが出来ました。

まだ 身体は治っていなかった気がしますが、何故か?地元の家に戻ることになりました。

病院で治療しながら、養護学校で勉強していた生活の中で、人の生き死にを沢山経験し、感情を把握し、そんな環境にもなれた頃に また 過酷な病院外での生活が始まると思うと 嫌で嫌でたまりませんでした。

なぜなら、小学校を卒業した私を待っているのは、見えない世界からのメッセージを収集し 厳しい現実世界での確認作業をはじめなさい という 強制的な命令にも感じたからです。

よく母親から 病気になる前は、お客様が来ると 決まって大泣きしていたことを聞いていました。

最近、感じるのですが わたしは じぶんの生まれた場所に癒しにくる輩の邪気が怖くて怖くて、母親の身体にしがみつき泣いていたのだと思います。

そのわたしが 病気になり 光が入り 別な人格になったのは、何か意味があったんだと 強く感じるようになりました。

中学生の新学期から 新しい生活に意気揚々としていたわたしを待ち受けていたのは、祖母のしごきでした。

実家に帰ると 朝の掃除からはじまり 挨拶 礼儀作法 躾 ありとあらゆることを 厳しく教えられました。

『お前たちを養っているのは この屋敷なんだから 精魂込めて 掃除しなさい!!』と言われていました。

どんな言いつけにも従い 返事をしたことは その通りに、行動しないと 倉庫に閉じ込められたり 罰として 家の手伝いを増やされたりしました。

祖母の厳しい教えから学んだことは、筋が通らないことは どんな言い訳や細工をしても 必ず崩れて、通用しないこと

じぶんが 発したことは じぶんが責任を持ち 必ず成し遂げなくてはいけないこと

常に 世のため 人のために喜んで 働くこと

祖母の言動から 真意を読み取り そんなことを わたしに伝えたいのだろうと、子供ながらに解釈しました。

高校生くらいになると、その祖母の教えに習い
人の嫌がることを喜んで させてもらえるじぶんになりたいと強く思うようになりました。

わたしは 思ったら命がけの性格なので すぐに、行動しました。

やりやりしていると、人のために 誠心誠意を尽くすことが 楽しくなり させてもらえることが 嬉しくて 身を粉にして もっと もっと 出来る人になりたいと思いました。

関わる人たちが 喜んでくれて、楽しんでくれて、笑ってくれて、幸せだぁ~と感じてくれている その姿を観るだけで じぶんが苦労したことや、頑張ったことが 報われる気がしました。

また、そんなじぶんが カッコいいと思いましたし そして、そんなふうに思えるじぶんに 大満足でした。

今日も わたしに関わってくださる皆様が 笑顔でいてくれたことが とても嬉しいです。

最近 母親に 『お前は、婆ちゃんに似てきた』と言われて とても嬉しいです。(笑)

改めて わたしを 厳しく教育してくれた 祖母に感謝しています。