~ストレス発散方法~

No.17

中学3年生になると同級生との関わりも慣れてきました。
中学校時代の同級生に言わせると、私の印象は、‘’身体は弱くておとなしい子‘’だったようです。

小学校の頃は、病状が重く、普通の学校には通えませんでした。
養護学校と病院が隣接する場所に滞在し、そこでの生活を強いたげられました。

地元の小学校から、中学校に上がる同級生、各地域から集まる人にとっては、私は、転校生そのものでした。

私は、昼の休み時間は、遊びには参加せず見学ばかりでみんなが楽しそうにしているのを眺めるのが日課でした。

今、考えると回りの人達は、私に気を使い、身体を使う遊びは誘わなかったのだと思います。

一度、ドッチボールに誘われ、遊んでいたらボールを受け取った時に左手の小指にヒビか入ったことがありました。

そのときも、私の柔な身体が恨めしく、回りに心配をかけたことが申し訳ない気が先に立ち、、、切なかったのを覚えています。

私は、考え事をしたり、煮詰まったりすると決まって独り言を発信していました。
呟くのではなく、大きな声で叫びました。

幼少期から、私のストレス発散方法は、大きな声で発声をすることでした。

辛いことや悲しいこと、嬉しく楽しいことがあると、必ず、見えない存在に対して、大きな声で発言していました。

私事で解釈し、私利私欲で行動すれば、思った通りに事が運びませんでした。
また、運んだとしても、かなりの負担がありました。
でも、じぶんの直感に従い動いたときは、描いた以上の現実がやってきました。

『やはり、精神界はあるのだな、、、そして常に、試されているな、、、』と いつも そう感じています。

中学校に入学した時は、まわりの人たちに気を使い、毎日、疲れていました。
でも、ありのままのじぶんを表現して 判ってくれる人と関わればいいんだ!と決めた瞬間から 肩の荷が下り とても楽になりました。
見た目と中身のギャップがあるのが人間の良いところだと考えられるようになってからストレスが溜まらなくなりました。
ありのままのじぶんをさらけ出し、関わる人に注意されたら直せばいい!
ありのままのじぶんでいて、お付き合いしてくれる人だけでいいんだ!と思うようになったら、どんどん気持ちが楽になりました。

私に、関わってくださる皆様は 色々なことを言ってくださいます。
私は、じぶんの信念を持ち 我を棄てていますから、まわりからの助言がありがたくて、真剣に聴いています。
聴いた内容をシッカリ受け止め、客観的に判断し、沈着冷静に対応するように意識をしています。

でも時々、考えすぎると自律神経が乱れて体調不良になりますので、そういう時は気持ちを切り替えてリラックスするように心がけ、なるべく考えすぎないようにしています。

中学校からは、地元の普通の学校に戻りましたので、病院という守られた環境から一変した健常者との共同生活という、私にとっては過酷で苦しい状況で、、、過度のストレスがかかっていて、じぶんのバランスを崩し余計な事を考えすぎていた気がします。
気の使い方を間違えたり、じぶんの本性を隠していました。
本当にやりたいことを我慢して、行動に移さなかったような気がします。
また、やりたくないことを我慢して、無理してやっていたことも沢山ありました。

その結果、気持ちが悪くなり、体調を崩して、いつも疲れていたのだと思います。
それが判って、振り分けられるようになったら、どんどん楽になりました。

意識が変わると行動が変わります。
そうすると、どんどん流れが変わります。
その流れを頂くにも、利にかない筋道が通り理論に沿わないとダメなのです。

中学校卒業の時は、すっかり元気になり、回りからは『面白い人だね!』と言われるようになりました。

私は、小学校の頃の本来のじぶんに戻っていました。

小学生の頃も 中学生の頃も 人を笑わせるのが好きでした。
私は、面白いことや愉しいことが大好きです。
元々、じぶんの思考や捉え方が面白いと思えるので、発想やイメージも愉しく描けるのだと思います。

今日も いろいろな出来事があり 私の中の変換器が働いています。
最後は、必ずじぶんに還ってくるという結末機能がついた変換器です。
私の変換器は面白さや愉しさを頂きます。
寂しさや辛さや悲しさを削除します。
とても便利な変換機能なのです。

今日も、生きている実感を噛み締めています。
与えられている全ての環境に感謝します。
今日もじぶんらしく生きていられる環境に感謝なのです。
改めて、まわりの存在に感謝いたします。
ありがとうございました。