vol.535

地震と古史古伝

この二千十七年二月某日、九州の古史古伝に関係の深いある神社で、神々の会合のようなものが開かれ、古事記や日本書紀とは別のこの国の情報を伝えてきたものたちが、複数、存在し、これから活動を再開するらしいことを、私は知らされました。
日本列島が変化したことと、この情報開示は、たぶんセットになっているはずです。このために、昨年の九州各地での地震はあり、地下の水脈、ほんとうの水脈も、精神界の隠されたデータの水脈も、かなり変化している印象がありました。さらに、この地震が、千九百九十一年のリンゴ台風、千九百九十五年の阪神大震災、二千十一年の東北大震災といった一連の日本列島大変動の動きの延長上にあることも、今回のことではっきりしたといってもいいのでしょう。
この情報で重要なのは、この神々の会合を主宰していたのは、天児屋根命であったことです。ここで示されているのは、古史古伝もまた、日本神界の遠大な計画の一部を形成しているらしい、という情報開示なのですが、「最終知識」の冒頭に<アメノコヤネ>がコンタクトしてきたことの意味の深さがわかります。
いま、なぜ古史古伝なのかというと、皇紀の役割で、精神界では皇紀二千六百七十五年で終了したという情報が伝達されているからです。
それより古い日本列島の歴史は、約三千年前の後期縄文文化となり、その縄文文化は、今から一万六千五百年前の世界最古の土器が出土しているところまでさかのぼれるとされています。
不思議なことですが、いま知られている考古学的知識で、一万六千五百年より前の人間の文明の痕跡は、地球上のどこにもありません。
にもかかわらず、ホツマのクニは三万年前といった精神界からの言葉が伝えられています。日本列島のいわば岩戸開きが、いま進行中だとすると、やがて、それらの情報の背後にある大きな何かが見えてくる可能性があります。
それらのことがあり、何かの導きで、臨死体験者として有名なある人物が、自らの天文学的知識と、過去への旅で、この地球では一万五千年前に、聖書に記されているノアの大洪水のような事件があったという情報を、伝えていることを知りました。
私たちの現行文明は、精神界のデータでいうと五たび滅んで六度目のものとされています。
現行文明の最古の土器が、一万六千五百年前の縄文式土器だとすると、古史古伝が、太古よりの文明の継承者と主張してきた原因ともなっているデータが、日本列島の山や河から、あるいは岩や木々から出てくる可能性が高いのです。
このコンタクトには、たぶん縄文人が持っていたような、今日から考えると超能力とでもいうべき何らかの才能の開花が必要になると考えられます。
今回の私の各種の体験によって、その現代人が忘れている何かをあきらかにするヒントが、どうやら日本に伝えられてきた古武道のなかに隠されているらしいこともわかりはじめています。
大本教の出口王仁三郎と、合気道の植芝盛平の接点が、そこにあったとすると、大本教は型を示したということになります。
いまの時点で、私が公表を許されているのは、ここまでですが、日本列島の変化は、また続くはずです。あと二年とされている、明治百五十年の日本の覚醒には、この日本列島という、ある種のご神体の用意が不可欠のようなのですが、それをスムーズに進めるためにも、この列島上で生活している日本人の意識の変革が求められています。
普通の日本人が、普通に、我々の歴史は、世界のいかなる地域や国家の過去よりも人間的欲望に汚染されていないことを素直に受け入れるならば、ほんとうに何かが変わるのです。光と闇の闘いの最前線が、ここ日本だと知れば、日の本の名の由来もわかるはずです。

二千十七年二月九日 積哲夫 記