#70   われらが国語(日本語)に愛と感謝を ~その4 タタミゼ効果

私はここ数年、政治や行政が立て直されないと、日本人は立ち上がらないのではないか、このままブレーメンの笛吹きオトコの話のように、世界を操る誰かさんたちの策略の下、おとなしくついていってドボンになるのではないか、と思っていました。

立法府である国会は、いまだに「モリカケ」ですし、この精神レベルの人間たちが野党の限界であるならば、日本に野党などいらないと言いたいくらいです。
少なくとも、この頓珍漢な議員たちの大半を一掃しなければまともな立法などできようはずもない、と思っていました。

むしろ、意見がかなり明確に異なる自民党議員団を、意見ごとに二つか三つに割ることで野党を作ることのほうが、ずっと有意義なのではないかと思います。

しかし、これら議員を選んだのは、そしてこれから先も選ぶのは私たち国民です。
それならば、私たち国民が正しい選択ができるようにならなくては話にならないと考え、最低限、正しい歴史を知らないと認識を誤ると考えるようになりました。ちょうど、自分自身に歴史再教育を課して、自ら知る努力を始めた頃です。
今も、歴史と地政学をきちんと学ぶことは大変大事だと思っています。

加えて、日本の精神を一人ひとりのうちに蘇らせるには、母語たる日本語をもっと大切にすべきだと思うようになりました。
やまとごころを培うには、古典(原文)を、古の和歌をもっと、身近に置いて響きを全身に浴びたほうが良いのではないかと考えています。

国民の精神性が高くなっていかなければ、選ばれる議員も低レベルにとどまるのです。
明確なビジョンを持ち、的確に仕事をこなす国会議員が増えてもらいたいものです。

文科省や財務省、厚労省と、保身が第一で、国民は第二か第三になっているとしか思われない現状は、すぐには変わりません。欧米で解禁されてきている医療大麻を許可しないのも、認知症は成人病の成れの果てに起こりやすいことをさっさと公表しないのも、塩や卵は悪者ではないことを大々的に言わないことも、相変わらずです。

一つひとつ上げればきりが無いくらいですけれど、個々がしっかりして、まやかしを排除して生きていくことはできますし、連携していくこともできます。
まずは、自分自身が、まやかしを脱するために学び、考え、知ることが大切ではないでしょうか。
今すぐに始められることですし、議員や官庁へのアプローチも大切ですが、最後に問われるのは常に、一人ひとりの生き方、考え方です。

今日は、従軍慰安婦関係の問題で、「セックス・スレイヴ(性奴隷)」という言葉を世界に広めた日本国籍の弁護士の話題などを含めて、なかなか改めては書かないようなことを、はっきりとわかりやすく発言されていた大高未貴さんの話を、ちょっと聞いてみていただきたいと思い、ご紹介します。

  【DHC】5/25(金) 上念司×大高未貴×居島一平【虎ノ門ニュース】 01:02:16
   ミキペディア(スラップ訴訟の実態とその後) 

一時間二分くらいのところから、十八分間くらいです。
人間関係を含め「なるほどね」と思う内容でしたし、もう、国民はこうした経緯、事情を知るべきだと思います。
この話に出てくる弁護士、大学教授など、日本は一体どうなっているんだ?と思いますが、いかが感じられるでしょうか。

「モリカケ」の話で、小川栄太郎さんが朝日新聞社から訴訟を起こされたこともありましたが、「スラップ」訴訟といって、大企業や政府、公共団体から個人、民間団体を相手取り民事訴訟を起こすことを指すそうです。
言論を土俵とする者は、本来ならば「訴訟」ではなく、言論の場で議論を戦わせてもらいたいものです。

感情に訴えるのも、あざとさが命取りで、先ごろの、野党の女性たちの「 Me Too 」のように、逆に反感を持つことも少なくありません。みっともない話です。

福岡県行橋市市議会議員 小坪しんや氏 HPの一年半くらい前の記事に、スラップ訴訟に関して詳しく解説されていました。

  【保守を黙らせる手口】『スラップ訴訟』の恐怖【司法を悪用した言論弾圧】
  https://samurai20.jp/2016/09/slapp/  

なんでも訴訟になりがちなアメリカでは弊害の大きさから、既に、「反スラップ法」が各州において制定されています。

日本語は西洋語と比べて劣っていたわけではないことは、三週にわたる鈴木孝夫先生の資料からの引用文を見ても、現実面から見ても、あきらかだと私は思っています。

エゴ(自我)の主張は強くて当たり前という西欧では、言語だけでなくすべての面で人類の中で自分たちが最高最良という意識が主流であるため、共通項のない言語体系をもつ日本語への理解は薄く、西欧を先進的と全面的に受け入れる姿勢で追いつこうとした近代日本の文化人たちの間に、日本語をないがしろにする傾向があったのは事実だっただろうと思います。

しかし、日本語の特殊性とともに、鈴木先生の指摘される「ヤヌス的双面性」に見られるように、非常に論理的で、物事を整理して認識しやすい言語であることから、近年、日本人はノーベル賞を多く受賞してきました。

—————————– ここから 引用

 最近、日本の科学の専門家の間で、日本人学者にノーベル賞受賞者が激増しているのは、英語などの欧米語ではない日本語で、幼少時から成人するまで教育を受けてきたためではないかという声が上がっている。欧米以外の先進国で西欧語以外の言語で家庭から幼稚園、そして大学から大学院まで、母語で教育を受け研究できる国は、現状では日本だけという言語社会学的な環境が関係しているのではというのである。
 私は年来の主張が、やっとこのように、言語学者仲間ではなく、思いがけない学問分野の人々によって裏書されたと喜んでいる。例えば『日本の科学が世界を変える』松尾義之、筑摩選書、『日本にノーベル賞が来る理由』伊藤乾、朝日選書の二冊がこの問題に取り組んでいるが、後者の三八ページには「日本は非常に例外的な国です。自国で生まれ、自国語で世界最高度の教育を受けた科学者が、内外でリードする研究を進めている国は、ほかにはほとんど存在していません。これは日本の誇るべき伝統として自覚してよいと思います。」とある。
 このように日本語は日本人の宝なのに、いま述べたような日本語に対する肯定的積極的な認識は、肝心の教育を扱う文部科学省には全く無どころか、むしろ世界の流れに遅れないためにと称して、日本の大学教育を英語で行うような方向に、制度も予算も重点を置くことを進めている。
 だから私たち日本語教育に関係するものはいまこそ立ち上がり、声を大にして日本語は日本人の宝であるだけでなく、混迷の度を日々深め、まかり間違えば人類を破滅の淵に導く惧れが大きい、人間至上主義的な世界観に裏打ちされている西欧文明(今では主としてアメリカ)主導の、無限の成長路線を走り続けることがいかに愚かであるかを示さなければと考えている。

—————————– 引用 ここまで

今週末、慶應義塾大学で開かれる講演会の主催は、「慶應義塾⼤学タタミゼ プロジェクト」ですが、その「タタミゼ」とは、Wikipedia ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%BC ) によれば、下記のような内容を意味します。

  タタミゼ / タタミーゼ(フランス語:tatamiser)とは、「畳の上の暮らし」を意味し、
  フランス語による造語である、日本風の室内様式を取り入れることを指す。
  現代のフランスで用いられるようになった、日本語の「畳(たたみ)」に由来する
  造語であり、机と椅子を中心とする暮らしから床でくつろぐ暮らしへの生活様式
  の変化や、住居の一角に畳を採り入れるなど日本風のインテリアや住居生活を
  導入することを指している。
  また、転じて「日本びいき」「日本風に暮らす人々」を意味することもある。
  軽蔑的なニュアンス(英語のWapanese的な意味)で使われる場合もある。

Wapanese などという侮蔑的俗語がある、というのを初めて知りました。
日本かぶれの外国人や日本アニメ・マンガファンを指すようです。

世界がいま対立と抗争心にあふれ、軍事的にも常に緊張感を強いられる情勢であることを考えると、他者に対するトゲトゲした心を和らげる、温和な性格「タタミゼ力」を持つ日本語を、一刻も早く世界に広めることだと提案しておられます。
鈴木先生は、「タタミゼ力」の伝播こそが、日本のなしうる最大の世界的貢献となるはずだとお考えです。

日本語がどうしてタタミゼ効果を強く持つようになったのかについての鈴木先生の見解を、プリントから引用します。

—————————–  引用 ここから

 私の言う日本語に強く保持されている「タタミゼ力」とは、前にもふれたように、日本語・日本文化が持っている他者との対立や折伏闘争を嫌い、相手を立てながら、皆がそれぞれに仲良く処を得て暮らして行ける日本人の伝統的な知恵、人々の生き方を指す。日本文化の中にはこのような独特な民族文化の結晶と見ることのできる風俗、習慣、しきたり、芸術そして娯楽などが、未だにふんだんに見られる。
 これまで既に、かなりの数の日本語を学ぶ外国人や、日本に住むようになった外国人が、自分たちの感覚や考え方、そして人格まで日本との接触の結果変わったということを証言している。私はこのタタミゼ力の日本語習得者に与える影響をタタミゼ効果と名づけた。

—————————– 引用 ここまで

日本に住む外国人が、日本語を使い日本で暮らすうちに、里帰りしても、つい「すみません」と気軽に謝ってしまったりする、という話は私もよく耳にします。そして、慣れれば慣れるほど、日本での暮らしのほうが気持ちが楽だと感じる学生も多く存在します。

それが日本語だけによるものなのか、あるいは、日本に来て日本人と接するうちに、日本語とともに習慣や文化に触れて、それらの全体でタタミゼ効果となっているのか、私にははっきりとはわかりませんが、日常使う言語に象徴されるもの、というのは、少なくないと思います。

私は、地理的に恵まれた日本は、世界の文化、哲学、宗教、科学、技術、産業、食・・・さまざまなものを、内に取り込み、工夫を加えて融合させ、粗雑なところを削ぎとり、良いところを残して文化として洗練させ、精製、発展させるようなことをしてきたのではないか、と感じています。

たとえば、日本の仏教は、まるでキリスト教のように、弱者の救済といのちの平等を説きますし、日本の漢字には、大和言葉、日本古来の考え方、意味を載せて使っています。
他からやってきた考え方も、そのまま取り込むのではなく、みなひと工夫を加えて、独自の咀嚼力をもって日本化しています。

その良い面が、仇になる場合もあって、実態は共に産み出すとは程遠いにも関わらず「共産主義」と美化した言葉を作り出したのかもしれません。

鈴木先生の切なる願いは、ご著書『新・武器としてのことば—日本の「言語戦略」を考える』(アートデイズ刊)で多く語られているように、日本の国家戦略のなかに、日本語を世界に広めることを盛り込み、積極的に取り組んでいただいて、世界を平和にする一助としたいということだと受け止めています。

私は、海外進出はさておき、少なくとも日本人が母語たる日本語をもう少し大事に扱い、歴史ある国の古文もきちんと学習し、やまとごころを己の心のうちに復活させていくべきであると考えます。
現代語や流行語を追いかけても、日本精神を奮い立たせることは不可能だと思いますが、伝統ある日本の文化に裏打ちされた言葉を常日頃、使いこなすことによって、日本語脳を揺り動かすことは、一定の波動をもって自らを目覚めさせることに直結するのではないかと期待しています。

間近の開催ですが、鈴木先生の講演会が、六月三日に開かれます。

講演会の主催は 慶應義塾⼤学タタミゼ プロジェクトで、テーマは「日本語と世界平和」です。
今回はほかに、カナダから金谷武洋さんをお招きしての講演会です。
慶應義塾⼤学⽂学部井上教授も交えて、鼎談も行われます。

——————————————————————————— 
⽇時: 二〇一八年六⽉三⽇(⽇) 午後二時~五時
場所: 慶應義塾⼤学三⽥キャンパス北館ホール 
    (https://www.keio.ac.jp/ja/maps/mita.html)  
⼊場無料・事前申込不要  ※どなたでもご参加いただけます。
お問い合わせ先 : 20180603@fora.jp
主催 : 慶應義塾⼤学タタミゼ プロジェクト
共催 : 慶應⾔語教育研究フォーラム  
協⼒ : TAO LAB http://taolab.com
——————————————————————————— 

私は、鈴木先生のお話を、心待ちにしております。
皆様も、お誘いあわせの上、ぜひご参加ください。

平成三十年六月一日

阿部 幸子

協力 ツチダクミコ