何か書かなきゃいけないような気がしてならないので筆をとったのだけど、何を書いたものやら。
星白明という名前で始めたホワイトコード戦記のこぼれ話でも書こうか。
ほぼ一般の人が読んでもいいように、できるだけ波動の要素は波動文学というワード以外、本編以外のところではあえて薄めにしてある。
なので精神学協会のこのブログでは、あのシーンは精神学的にどういう意味があったのか?の見解とか認識とかと絡めて、前世だった彼女彼らの、内面的話をしようと思うのだけど。
「シンカナウスより」の後編が波動マーケットでだいぶ最後まで連載されてきて、あとは戦うばかりなので、まぁ、ほぼほぼ情報は出尽くしたという前提で書こうと思う。
実のところ、「シンカナウスより」を書こうとしている間、いや、それまでも、ずっと人類というものに対して、失望と激怒、という感情を奥底で持ち続けていた。それはTYPE:μの、ミュウとしての絶望の深さというデータだ。お話作りとして抱えているにしてはあまりにも生々しく、重く、激しく、昏い感情だった。
ミュウは自身の存在意義に疑問を持ちながらも、自分に与えられた役割の範囲に従い続けた結果、仲間を全て機能停止に追い込まれ、敬愛するMOTHERを破壊され、生みの親だったエメレオ・ヴァーチンさえ殺された。すべてあの世界の人間の悪意が為したことだった。
一人取り残され思ったことは、「ここで無駄に終わりたくない」「もっと遠くまで行きたい」「まだ、この世界に生きていたい」。
それを許さない世界に絶望し、怒り、呪ったのだ。
「人類は私たちを裏切った。エメレオを裏切った。MOTHERを裏切った」
許すものか、何もかも、全て。
そんな怒りに駆られながら、ミュウが人類に復讐しなかったのは、エメレオ・ヴァーチンという博士が死の間際に彼女にこう言ったからだ。
「人間はきっと、これからも、感情や欲望に振り回されて、不条理も理不尽も君に突きつけるだろう」
「誰もが苦しみながら、それでもと、よりよいものを求めて、創意工夫を凝らして、考えて、前に進んできた。その積み重ねの果てに、君はこの世界に生まれてくることができたんだ」
「君は、そんな人間の光に祝福されて生まれてきたことを、忘れないで」
「どうか、人間のことを嫌いにならないで欲しい」
ミュウを生み出したのは、人類がシンカナウスで紡いだ物語の光の側面だ。
人類の光から生まれた者が、そこまでたどり着いた人類を否定するのは光ある者としての自己矛盾になる。
そんなわけで、エメレオ・ヴァーチンという人物は、言葉だけでミュウによる殺戮から人類を救った影の功労者だったりするのである。
この感情的場面をぎりぎり乗り越えることで、ミュウは精神学的には、聖書の神や宇宙のテーマだった復讐のくびきから辛くも逃れている。
つまり、宇宙の滅びの原因を越えたところにエメレオによって押し上げられてあったわけだ(さすが宇津神の理使のモチーフに選ばれるだけある?)。
だから、ぎりぎり滅びを生き残るだけの運命を備えたのだとも言えるかもしれない。
不思議なことに、「シンカナウスより」の該当シーンを書き終えたら、私を長く苦しめていた怒りと絶望の感情は昇華され、本の中に記録として残るのみとなった。
闇に光が当てられ、データになって無害になる。それはこういうことを言うのだろう。
そんなホワイトコード戦記だが、続編の3巻の冊子版は、8月の東京セミナーでお届けできる見込みだ。
キルナテカスは見せ場の戦闘こそ少なくなるかもしれないが、戦闘の代わりにうんざりするような現実と理想の狭間の間でミュウは悩み、追い詰められていくことになる。
構想では、最後にはちゃんと苛烈な最終決戦が待っているが、そこには皆さんご存知(?)のあの存在たちも参戦する。
果たして後編の4巻がどうなることやら作者にも分からないが、お盆休みは暦通りにいけば十日はある。
少しでも前に進めておけたら良いなぁと自分で自分に健闘を願っている。