あそび、むすび

“あそぶというのは、あらは(顕)れる、ということですから。
かみあそび、ことばあそびで、どうでしょうか?

……不敬、って、いわれませんかねぇ
それをタイトルに掲げるのはさすがにどうかと(名前負けしそう……)

物語も、言葉も、約束も。どれもあらわれては、最後には結ばれるもの、です。

ひそひそ、と、こんな会話から決まったタイトル。

そんな「誰か」との会話と、自分の何かを、つづるところ。”

No.63

1月7日。

夜中に目が覚めて。
浄化と上昇していたら、光の層の向こうには宇宙があって、星々が光っていた。

さらに上昇すると、銀河がたくさん見えた。

「これがお釈迦さまが見ていた景色なのかなぁ」
「あなたなら、もっと上がれますよ」

ぽつりと呟くと、いつのまにか隣にいた神さまが、結びの姫が話しかけてきた。宇宙にいるのは、宇津神になったからか。

ふと、同じように精神界に意識を遊ばせていた時、真っ白な靄のような世界で、一人結跏趺坐をしているお釈迦さまに話しかけた時のことを思い出した。

「何が見えますか?」
「君と同じものが」

(あの時はそれをそのまま受け取って、寂しい気持ちになったりしたけど……今から思えば……)

「あの人、ものすごく頭いいですよね……」

話しかけて即座にあの当意即妙な切り返し。
一言交わすだけでそれ以上のことを教えてくれた。

(あれ……)

そして、あとから気がついた。

2019年の暮れにイエス様に会った時、彼は茨の冠を私に渡してくれたことがある。

「お行きなさい。私はあなたです」

銀河群を眺めながら、ふと考え込んでしまった。
イエス様やお釈迦さまの言葉は同じことを意味している。

「君はもう、私と同じものを見ているし知っている」

イエスの座に到達し、お釈迦さまの座にも到達した。あれはそういうこともおしえてくれていたのか、と。

(そうか……神を超えて仏を超える時が来たから、ブッダさんは「君と同じものが」って答えたのか……)

記録を見返した。
2019年の暮れにイエス様に会って、
2022年の半ばにはお釈迦さまに会った。

2025年が明けて、ああそうかとあの時の言葉のもう一つの意味に気づいたので、6年くらいかけて、神を超えて仏を超えたことになったかもしれない。

その先にはたぶん、宇津神(ウツノミコト)の道が待っている。