あそび、むすび

“あそぶというのは、あらは(顕)れる、ということですから。
かみあそび、ことばあそびで、どうでしょうか?

……不敬、って、いわれませんかねぇ
それをタイトルに掲げるのはさすがにどうかと(名前負けしそう……)

物語も、言葉も、約束も。どれもあらわれては、最後には結ばれるもの、です。

ひそひそ、と、こんな会話から決まったタイトル。

そんな「誰か」との会話と、自分の何かを、つづるところ。”

No.68/地津神札、地主(チノアルジ)・大山咋神の地の祟りと怒りについて

NPOアーストラスト、神饌行器にて活動している会員さんに、
このような通信があったそうです。
東京の日枝神社や、滋賀県大津の日吉神社に祀られる大山咋神(おおやまくいのかみ)、
地津神札の地主(チノアルジ)として出ている神格からのものです。
 

日吉神社⛩よりTさんがいただいて来た
お砂があってそこに
怒りを感じ
その時のお言葉です
 
 
日吉神社
大山咋神さま
 
 
かつてなきことの
はじまり
 
 
砂撒きて 
よかれよかれ
 
鎮まるとおもいて
おるものに
知らす すべもない
 
たやすくなきこと
わからず
 
それほどに
伝わらぬありさま
 
くるおしゅうて
ならん
 
 
世の末を
みても響かず
きこえても
動かず
 
ここまで
地の底に落ちるとは
かつて
ヒノモトの民
神の民
と言われたものも
成れの果てか
 
 
ただ 
われよしに
神の加護を求める者
 
その者たちの行く末は
底の底なり
 
もう間に合わずこと
知れよ
 
申すことも
あたわず
 
ただ
身にうけてより
己が心根を知るほかあるまい
 
それほどの
ことわりじゃ

 
 
このあとの記事は、その知らせを受けたあとに、地主としての大山咋神と、話したことになります。